「あ、桜」
すぐ近くで聞こえた声に私は顔を上げた。
その言葉につられるように電車の窓から外を見る。
いつも外なんて見ていなかったから、気がつかなかった。
線路沿いに、桜が植えられている。
それが満開で、薄桃色の帯のようにずっと向こうまで続いていた。
今年は、いつもより開花が遅くて、週末にここを通った時には、まだ咲いていなかったような気がする。
この辺りでは、桜の見頃は大抵3月の終わりだ。
けれど、今年の冬は寒くて、いつまでたっても暖かくならなくて。
気がつけば、ようやく蕾が膨らんできたのは、入学式が終った頃だった。
「綺麗」
もう一度、同じ声が聞こえた。
そこで、ようやく私は声の主に視線を動かす。
見知った顔だった。
クラスメートだというだけでなく、同じ中学出身で、私と同じく電車で1時間もかかる高校に入学した子。
けれど、話したことは一度もない。
彼女は、私と違って、中学の時から真面目で大人しかった。いつもふらふらとしていて、授業も時々サボっていたような私とは住む世界が違う―そんな雰囲気の女の子だ。
もっとも、今の私も彼女も、殆どが地元出身のクラスメートたちの中で、なんとなく浮いている存在だという共通点があったけれど。
かといって、二人が近づいて話をするということは、今までなかった。
私がじろじろ見ていたせいなのか、彼女の視線が私の方に向いた。
「……おはよう」
律儀にそんなことを言ってくるところが、彼女らしい。
「おはよう」
素っ気無く返事を返すけれど、彼女は私の無愛想な態度を気にしているふうでもなかった。
そのまま、自然と、私たちの視線は窓の外へ向く。
前方に駅のホームが見えてくる。
忘れられたような小さな駅。
周りには民家も少ない。
普段から利用する人が少ないせいで、あちこちに世間的には雑草といわれる草が、ゆらゆらと風に揺れていた。
ゆっくりと、電車は速度を落としていく。
もうすぐ、駅につくのだ。
「外、気持ちよさそう」
私が呟くと、彼女が再びこちらを見た。
私も、彼女の顔を見た。
二人の、目と目があった。
相手の顔に、一瞬、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。
ただの優等生だと思っていた彼女の、初めてみる表情だった。
そして。
扉が開いた瞬間、私たちは、同時に外へ飛び出していた。
誰もいない無人駅。
私たち以外、人も降りない寂しい駅。
けれど。
そこは一面ピンク色で。
風が吹くたびにひらひらと花びらが舞い落ちる。
柄にも泣く、私は感動してしまった。
「すごい」
そういった彼女の言葉に、素直に共感できた。
「ほんとに、きれい!」
私の言葉に、彼女も大きく頷いた。
私たちは、次の電車が来るまで、いろんな話をした。
くだらないこと。
好きもの。
楽しかったこと。
話すことはつきなくて、私たちはお互い心の底から笑いあっていた。
それが、私と彼女の出会い。
偶然の、でも一生忘れられないだろう瞬間。
きっと、桜が咲くたびに思い出すだろう。
次の電車がやってくるまで、1時間もあったことは、誤算だっだけど。
学校に遅刻してしまった私たちが、遅刻の原因を答えられなくて、二人仲良く怒られてしまったことは、みんなには内緒である。