「助けてください追われているんですお願いします!」
いっきにまくしたてられ、そのままタックルをかまされて盛大に後ろにこけた私は、目の前でうるうる涙目になっている『それ』に、頭が真っ白になっていた。
ありえないものがいる。
外見は、小学生くらいの女の子。
かわいらしい顔をしていて、そこらへんにいる子供とは違い、上品な雰囲気を持っている。お嬢様って感じ。
だけど。
耳。
そう、耳が変。
黒いさらさらした髪の間から見えているのは、どうみても、猫の耳。
それから。
気のせいかもしれないけれど。ふんわり広がった短めのスカートの後ろに見えているのは、尻尾?
まさかね。
あ、それとも。
「その耳って……コ、コスプレ?」
そうだよね。
そんな趣味を持っている人じゃないかな。
耳も、尻尾も、自分でつけているんだよ。
それで間違いない……と思う。
「違いますー! これは本物ですー」
はははー。
何言っているのかなーこの子は。
本物なんて、そんなことあるわけないし。なりきっているのかな。
「怖い人に追われているんです」
「ああ、そうなの? ほらあそこに交番あるからね」
「だ、だめなんですー! 交番には行けない事情があるから」
う、うわー!
泣き出しちゃったよ!
通りすがりの人の目が冷たい。イタイケナ少女を泣かせた、極悪高校生と思われているような視線を感じる。
気のせいでなく、絶対だ。
だからここで怒っちゃだめ。穏便に、穏便に。
「悪い人に追われているんでしょ? 私もついていってあげるから、一緒に交番に行こうね」
なるべく優しく言う。
正直に言えば小動物のようなこの目に、どうしても逆らえなかったのよ。
「だめなんですぅ」
なおも言い張る女の子に、私は途方にくれてしまった。
見捨てていってもいいけれど、それもなんだか心苦しいし。
かといって、無理矢理交番に連れて行くなんて、私の方が誘拐犯みたいだし。
どうするべきだろう。
やはり、さっさと立ち去るべきか。
そんなことを思った時だった。
ひゅるるるーと、一陣の風が吹いた(ような気がした)
じゃじゃじゃーん!と、ファンファーレのような、効果音のような、派手な音楽が聞こえた(ような気がした)
いやな感じがする。
背筋も寒くなる。
何かが起こりそうな、奇妙な感覚だ。
この場を離れた方が絶対いい。
これ以上ここにいると、想像もつかないような厄介ごとに巻き込まれそうな気がする。
私の直感は外れたことがないのだ。
が。
少し遅かった。
どうして、もっと素早く行動できなかったんだろう、自分。
「とうとう見つけたぞ!」
後ろで、テンション高い声が聞こえる。
また妙な人が現れたに違いない。絶対に間違いない。
無視した方がいい。
「むむ! キャット! 一般人を襲うとは、卑劣なやつ」
……いや、襲われていないんですけれど。
むしろ、泣きつかれているというべきで。
「私別に襲われているわけじゃ……」
振り返りながらそう言おうとした私は、最後の『ない』という言葉を飲み込んでしまった。
猫耳娘よりも、もっとありえないものが、目の前にいる。
「な、なんなんですか貴方たち!」
赤と、青と、緑と、ピンクと、黄色の物体がいた。
あ、違った。そんな色の服を着た5人の人間がいた。
ナンデスカコレハ、やはりコスプレですか。
頭にはフルフェイスのヘルメットのようなものをかぶり、体にはライダースーツみたいなものを着ている。首に巻かれたスカーフには、何か意味があるんだろうか。
5色に色分けされた5人は、妙なポーズをとっていた。
日曜の朝からやっている戦隊モノみたいだ。
そういえば、腕に変なブレスレットみたいなのをつけてるし。
とすると。
「あー、あの赤い人がリーダーって感じかな」
「すごいです! どうしてわかったんですか」
猫耳娘が感動している。
でも、これってふつーに定番だし。
あとは、青いのが赤いがライバルだったりするんだよ。桃色は赤が好きなんだなきっと。
黄色は、最近は男性じゃなくて女性だったりすることもあるけれど、あの凹凸の少ない体はどっちなんだろう。
いやそれより、どうでもいいことばかり思い浮かぶのは、現実逃避したいからかもしれない。
周りを歩いていた普通の人たちがいつのまにやら消えているのは、避難したからに違いないし。
「痴話げんかとか、内輪もめは、あっちでやってくれると嬉しいかな」
投げやりにいって、私はその場から離れようとした。
これ以上係わりにならないほうがいい人達だ。
猫耳娘には悪いけど、なんだか疲れた気がするし。
「ままま、まってくださ〜い!」
逃げられてなるものかとばかりに、がしっと腰を掴まれて、身動きがとれなくなる。
以外と力が強いのね、この子。
「ごめん、待てない」
「見捨てないで〜」
う……。
だから、その目はやめて今すぐやめて。
「このままだと、キャット、あの人たちに消されてしまいますぅ〜」
消されるって、えええ!
そんな穏やかならぬことが、のんびりゆったり事件が少ないことで有名なこの町で起こるなんて。
ただの戦隊もの好きのごっこ遊びでしょ。
冗談だよね。
「君は、キャットに惑わされているんだ!」
まだ、赤いのが何か言っている。
確かに、小動物のような目に心動かされたけれど、惑わされているのとは違うと思うんだけどな。
「誤解されているようなので、一応訂正しますけど、私はただの通りすがりで、この子とは無関係です。あなたたちこそ、こんな小さい子を追い回すなんて、常識はずれですよ」
「今すぐ君を助けてあげるからな! 安心しなさい」
「もしもーし? 人の話を聞いてますか?」
聞いてないだろうとは思うけど。
一応確認してみる。
「かわいそうに、すっかりキャットに洗脳されているんだな」
だーかーらー!
違うって言っているのに!
「こうなっては仕方ない。運命と思って許してくれ」
は?
どういう意味?
何を許すっていうわけ?
なんだか不穏な空気を感じて、私は身構えた。
赤いのが、銃みたいなものを構えるのが見える。
おもちゃの銃っぽいけど……。
「危ないです!」
猫耳娘の声が聞こえた。
フラッシュを焚いたような光が炸裂すると同時に、すごい勢いで突き飛ばされる。
「うわ、ちょっと、勘弁して!」
ななな、なんですかー今のは。
地面が溶けている。
アスファルトの舗装が。
光線銃?
そんなSFみたいなことがあるわけがない。
大体、正義の味方のつもりなら、無関係の人間を巻き込むな!
「一般人に危害を加えるなんてサイテー!」
私の叫び声は届かなかったらしい。
再び、目を焼くような光とともに、地面がじゅっという音を立てた。
仕方ない。
ここは逃げるしかない。
私は、猫耳娘を引っつかむと、走り出した。
「ひ、ひどい目にあった……」
必死で走ってようやくたどり着いた路地裏で、私は乱れた呼吸を整えていた。
帰宅部の私には、全力疾走は疲れるよ。
「だ、大丈夫ですか?」
その言葉で、猫耳娘が一緒だったということを思い出す。
「助けてくださってありがとうございます。キャット、大感激です〜」
君に感激されても、ちっとも嬉しくない。
むしろ、虚しさを感じてしまうんですが。
「あー、気にしなくていいよ。こっちもさっき助けてもらったし」
猫耳娘が突き飛ばしてくれなかったら、こんがり焼かれていたか、溶けていたかもしれないと思うと、急に足が震えてきた。
「なんなのよー、あの連中」
「キャットの敵ですぅ」
「はあ、すると君は世界を征服しようとでもしているの組織の一員ですか」
「大当たりです〜。お姉さま、すごいです〜。さすがです〜」
い、胃が痛い。
じゃなくて。
お、お姉さま?
それは私のことなのか。
「キャット、今までこんなに人間に優しくしてもらったことないです。嬉しいです」
優しくした記憶はないんだけど。
「ま、まあ。とりあえずあいつらも追ってこないようだし、気をつけて帰りなさいね」
「だめです! お姉さま」
がっしりと手をとられ、私は前に進めなくなった。
今度は何。
「きっとあいつらはお姉さまがキャットの仲間だと思ってます」
勘弁して。
なんで、そうなる。
「だから、これからキャットがお姉さまをお守りします。ご安心くださいね」
「い、いや。それはいいから」
逃げ回ってばかりの猫耳娘に、私を守る力があるとはとても思えないんだけど。むしろ、私が守ってあげないといけないような気が……。
「だめです! お姉さまにもしものことがあったら、キャット、泣いてしまいます。お姉さまはキャットの大恩人なんですぅ」
いつのまに恩人に?
しかも何故『大』がついている。
「でも、困るし」
「お、お姉さまぁ」
猫耳娘の大きな目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。
こんなところで泣かれると、また周りの視線が痛くなりそう。
『あら、いやだ。小学生をいじめているのかしら』
『いやあねえ、最近の高校生は』
『目つきも悪いし態度も悪そうな女子高生ねえ』
くそー、聞こえてるよ、あんたら。
確かに私は、態度もでかくて、顔も怖くて、背も高い。
だけど、自分より弱いものは苛めないの!
「あー、もう。わかったから。護衛でも恩返しでも、好きにしなさい。だから泣かないの」
「本当ですか? キャット、お姉さまと一緒にいていいんですね」
「はいはい」
ぱああっと、猫耳娘の顔が笑顔に変わる。
「じゃあ、今日からキャットはお姉さまのところにお世話になります!」
「は?」
だから、何でそうなるの!
悪の組織の一員なら、仕事とかいろいろあるんじゃないのー!
そんな思いも虚しく、期待に満ちた目を向けられて、私は言葉を失った。
「大丈夫です。キャットは、普段は猫の姿になってますから」
それは安心……なわけないー!
いったい、これからどうなってしまうのか。
私に明日はあるのか。
日常は帰ってくるのか。
住み着く気満々な猫耳娘を前に、私は呆然と立ち尽くすしかなかった。