365のお題

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  10 生まれる前 (童話風な物語)  

 俺が生まれる前のことだ。
 ここはまだ村と呼ばれていて、寂しい場所だったという。
 さしたる産業もなく、土地も痩せており、村人は贅沢など知らず、慎ましやかに暮らしていたのだそうだ。
 100年もたてば土地は変わるというが、かつて『村』だったこの場所がこんなにも賑やかで大きな『街』になってしまったのは、街道が近くに出来たせいらしい。
 人の出入りが増え、宿が出来、今では、旅をするものにとっては、重要な場所となっている。
 俺も、賑やかなこの街しか知らない。
 だが、連れであるリラの感想は違っていた。
「驚いたわ」
 めずらしいお宝があるらしいという情報を得て、通りかかったこの場所で、彼女が最初に口にしたのは、そんな言葉だった。
 そこで初めて、俺はここが彼女の生まれた場所だと知った。
「道が石畳になってる」
 リラは、つま先で地面を蹴りながら呟いた。
「前はどんなだったんだ?」
 好奇心に駆られて聞いてみた。
 普段、滅多なことでは自分のことを話さない彼女の過去が知りたいと思ったせいもある。
「道なんてなかったわ。適当な空き地に、適当に家が建っているという感じだったもの。別の街みたいね」
 肩を竦めて答えるリラに、俺はなんと言っていいのか迷ってしまった。
 この場合、なぐさめるべきなのか、黙って話を聞くべきなのか。
「あー。……とりあえず、腹も減ったし、何か食うか?」
 結構間抜けな言葉だと思ったが、リラは笑っただけで、何も言わなかった。
 

 目に付いた屋台から漂っていた匂いにつられるようにして、俺はその黄金色をした焼き菓子を手にした。
 売り子の女性は、ここの名物だと告げたが、リラ曰く、昔はこんなものはなかったという。
 100年前のこの村ではお菓子自体が、祭りでもなければ口にすることがない高級品だったそうだから、当然かもしれない。
 それにしても見るからに甘そうな食べ物だと思っていたら、中身もそのままだった。
 適当に選んだのは失敗だったか。
「甘すぎるな」
「そういうお菓子だから」
 思わず呟いたら、すぐにそんな言葉が返ってきて、俺はがっくりした。
 いや、そうなんだが。
 そんなことはわかっているんだ。
 もう少し、優しく答えて欲しいと思うのは俺の我侭だろうか。
 文句を言おうとした俺は、手にしたお菓子を口にせずに、ぼんやりと考え込んでいるリラの姿を見て言葉を失う。
「こんなお店が出来て、ごく普通にお菓子が食べれるほどに、ここは変わってしまったのね」
 それは感傷に浸っているというより、何かを確認しているという感じだ。
 そこで、俺はまた『100年』という時間を考えさせられる。
 なんでもないような顔をしているが、やはり何か思うこともあるんだろうな。
 たぶん、だが。
「あら」
 リラがふいに視線を動かした。
 何かを見つけたのか、いつもは変化の少ない顔に驚きの表情が浮かんでいる。
「何もかも昔と違っていると思っていたけれど。変わらないものもあるのね」
 しゃがみこんだ彼女の視線の先には、小さくて白い花が咲いていた。
 初めて見る草だ。
「これ、この地方独特の花なの。茎は齧ると甘いんだけど、あとでお腹を下してしまうのよ。……食べるものがないとき、よく口にして怒られたわ」
 懐かしむように、瞳を細める。
 確かに彼女にも幼い時があったのだ。
 とはいっても、俺にはリラの子供時代というのが想像できない。
 ましてや、彼女が誰かに怒られている姿も思い描けない。
 いったいどんな子供だったのだろう。
 今のような、どこかずれた感覚を元から持っていたのか、それとも、ごく普通の少女だったのか。
「そうね。よく考えてみたら、ここの思い出ってそんなものばかり」
 いつもより柔らかい口調で言った『思い出』という言葉は、俺の中に重く響いた。
「故郷があるっていうのは、いいもんだな」
 俺には故郷はない。
 生まれた場所も、両親も知らない。
 赤ん坊の時、荒野で泣いていたところを移動中のキャラバンに拾われ、育てられた。
 その時から今まで、ずっと旅を続けていて、一つの場所に留まったことなど、一度もない。
 仲間はいたし、旅の途中でいろいろな体験をしたが、ひとつの土地を思い出し、そこを懐かしく思うことも、『帰ってきた』と感じる場所もなかったのだ。
 どんな気持ちだろうと思う。
 それは心地よいのだろうか。
 物悲しくて、愛おしいのか。
「いつか作ればいいわ。……ここが自分の故郷だと思える場所」
 そうだな。
 そうなのかもしれない。
 だが、とても難しいことだ。
 俺のように、旅を続けて生きていく限りは。
「大丈夫よ」
 真っ直ぐに俺の目を見て、リラは言う。
 根拠がない言葉であるはずなのに、本当に大丈夫な気がしてくる。
 相手が彼女だからだろうか。
「そうか。そうだといい」
 もし可能ならば、いつかきっと、帰る場所を作ろう。
 その時、側に彼女はいるのだろうか。
 それとも、別の誰かと共に歩んでいるのだろうか。
 今のところ、想像することもできないが。
「さて、行きましょうか」
 いつのまにか焼き菓子を食べ終わっていたリラが俺を見上げて笑って見せた。
「行くべき場所はまだ先でしょう? そろそろ出発しないと」
 確かに日が暮れる前には、目的地についておきたい。
「今度の情報は、はずれじゃないといいわね」
 いいんだ。
 一つの宝を見つけるためには、100のはずれを体験するんだよ。
 ……負け惜しみだけどな。
「はずれも楽しいものよ」
 それも思い出になるのだし、とリラが言う。
 彼女の言葉は、いつも簡潔で当たり前のことだ。
 だから、安心できるし、納得できるのかもしれなかった。


 街はずれまで来たところで、リラが立ち止まった。
 振り返って、大通りを眺める。
 名残を惜しんでいるのだろうか。
 それとも、変わってしまった故郷を悲しいんでいるのか。
 俺も、彼女の横に並んだ立つと、同じ視線で街を見つめた。
 街の規模は変わっても、住む人間が違っても、ここがリラの故郷であることに変わりはないのだろう。
 思い出も消えることはないはずだ。
 けれど、記憶にある懐かしい景色が何もないというのは、悲しいことなのかもしれない。
 ここには、彼女を知っている人間はいないし、生まれた家さえ残っていないのだ。
 が、同時に俺は思う。
「ここにこれて、俺はよかったと思うぜ。リラの故郷だしな、いいところじゃないか。リラの子供の頃の話も聞けたな」
「……ありがとう。あなたがいてくれてよかったわ。一人だと、きっと辛かったと思う」
「え?」
 俺は固まった。
 今、ありえない言葉を聞いたような気がする。
「り、リラ? えーと、それはどういう……」
「さあ?」
 いつもの無表情な彼女に戻ると、さっさと俺を置いて歩き出す。
 慌てて追いかけるが、彼女は立ち止まってはくれない。
 これは、喜んでいいことなんだよな?
 きっと、そうなんだよな。
 自分自身に確かめながら、俺はそう思うことにした。

 
 遠ざかっていくこの街で彼女は生まれ、育ち、そして魔法使いになった。
 俺が生まれる、随分前のことだ。

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