「こんなところで会えるなんて、私は運がいいな」
いきなり目の前に現れてそう言ったのは、グレイのスーツにサングラス、すらりと背が高い、けれどもどこか中世的で綺麗な人だった。
「ああ、私のことが誰だかわからない?」
低く甘い声で囁かれても、記憶にはない人だ。
というか、この人、女性なのか男性なのか、そのあたりからして、ちょっとわからないんですけど。
「私はね、最初に会った時から、ずっと君のことが気になっていたんだよ」
その人は、サングラスを取って、にっこり笑った。
驚いたことに、その瞳は深いブルーだった。
とても綺麗で神秘的な感じがする。
だけど。
やっぱり見覚えのない人だ。
いや、ほんと、あなた誰ですか?
たまには報告に帰らないと怒られますぅ、と悪の組織の一員らしいことを言って、ノアが出かけたのは今朝早くのことだった。
おかげで、久しぶりの祭日を、誰にも干渉されず、のんびりと過ごすことが出来た。
思えば、あの得体の知れないヒーロー騒動に巻き込まれてから、常にどこへ行くにもノアが一緒だったのだ。
彼女がいることが嫌なわけではないけれど、四六時中行動を共にするというのは、やはり時々辛くなったりもする。
外見は小学生にしか見えないノアでは、連れていけないような場所もあるしね。
というわけで、しばらく覗いていなかったお店に行ったり、映画を見たり、久しぶりの自由を満喫していた。
そんな時だったのだ。
その、不思議な人に声をかけられたのは。
「えーと。本当に誰かわからないんですけれど。人違いじゃないですか?」
「つれないんだなあ」
彼(あるいは彼女)は、ぐいっと顔を近づけると、唇の端だけを吊り上げて笑う。
つれないっていわれても、覚えがないのは事実だ。
それとも、私は絡まれてるんだろうか。
顔が近づいてきて気がついたことだけど、この人、酔っ払っている。
綺麗で整った顔はほんのりと赤く染まり、潤んだ瞳がどことなく色っぽい。
わずかに漂うアルコールと煙草の匂い。
酔っ払いとまではいかないようだけど、この人がアルコールを飲酒したばかりというのは間違いない。
「あ、えーと、私、急いでいるので」
「それは、嘘だろ?」
図星なので、言葉に詰まる。
こんなことでは、酔っ払いから逃げることなんで出来ないよ。
ひょっとして、かなりピンチって奴?
「あんまり苛めるのはいけないかな。種明かしをしてあげるよ」
そういって、さらに近づいてくるのは、どういうことなのー!
「キャットといた時だよ、私たちが君と会ったのは」
キャットといた時。
私たち。
考えたくない事実が頭に浮かびあがり、眩暈がした。
「あ、あの」
それでも怖いもの見たさ、じゃなくて聞きたさで思わず言ってしまう。
「もしかして、ヒーローもどき集団の方だったり……」
「ヒーローもどき?」
その人は、私の言葉に、一瞬ぽかんとした顔をした。
だが、すぐに、声をたてて笑いはじめる。
「なるほどね、確かにそうだ。当たってるから、おかしいよ」
自分のことなのに。
そんなこと言われて気分悪くないんだろうか。
「そうそう。私は、あのヒーローもどき集団の中の一人」
あ、あはは。
あっさり認められても、困ってしまうんですが。
じゃなくて、まだピンチって続いているんじゃ……。
ほら、あの時、赤い人にひどいことされそうになったし。下手したら怪我どころじゃない、死んでたかもしれない。
「ああ、大丈夫だよ。別に君をどうこうしようってわけじゃない。言っただろ? ずっと君のことが気になっていたんだって」
どういう意味なんだろう。
直接声を聞いたのは、赤い人だけだ。
他の人は黙ったままだったし、どちらかといえば、キャットの方を気にしていたのかと思っていたんだけれど。
「あの時は、驚いただろう?」
それは、そうだ。
街中に、異様な格好をした集団が現れ、変なポーズをとっていれば、おかしいと感じるのが普通だろう。
「私も、本当はちっとも楽しくないんだけど。事情ってものがあってね」
細めた目が、一瞬どこか遠くを見ているかのように彷徨う。
悲しそうで、辛そうに見えたのは、私の気のせいだろうか。
彼(あるいは彼女)は、そのまま視線を動かして空を仰いだ。
こうやって見ていると、やっぱり綺麗な人だ。
顎のラインとか、唇とか、憂いを含んだ眼差しとか。
……いやいやいや、ここは見惚れるところじゃないでしょ。
それより、この隙に、逃げ出した方がいいかも。。
彼(彼女?)の意識は今私にないようだし。
ごめんなさい。
心の中でだけ謝って、そっと、気づかれないように、体を動かそうとする。
ん?
今一瞬、この人の姿が揺らめいたような。
気のせい?
それとも、私の目の錯覚?
だけど、なんだか、そのまま彼(彼女)が消えてしまいそうな気がして、私は、思わずその腕を掴んでいた。
視線が、こちらに戻ってくる。
青い瞳が、まっすぐに私を見ていた。
「やはり、君が私の『鍵』なのか?」
「鍵?」
「……いや。今の言葉は忘れてくれ」
よくわからない人だ。
言っていることは、意味不明だし。
なのに、どうして私ってば素直にこの人の話を聞いているんだろう。
変なの。
「私の名前は、間宮倫。君の名前も聞きたいところだけど、それはまた今度会った時に」
こ、今度って。
私はもう会いたくないんですが!
「大丈夫、君に会ったことはみんなにはないしょにしといてあげるよ」
間宮さんの声が、耳元で響く。
せ、接近しすぎなのでは。
慌てて体を引き剥がそうとしたら、背中に腕を回され引き寄せられる。
柔らかい唇が耳たぶに軽く触れた。は?と思った時には、そのまま耳を軽くかまれてしまい――不覚にも私はどきどきしてしまった。
な、なんなんですかーこの人!
いやそれより、そんなことでときめいている自分って!
「可愛いなあ、やっぱり」
今度は額にキスされた。
うう、抵抗くらいしなくちゃと思うのに。
逆らえないのは何故なのか。
なんだか、最近流されっぱなしな感じだ。
「今日はここまでかな。あんまり困らせても嫌われるからね」
あーたーまーがぐるぐるする……。
間宮さんの態度と、近くで感じるアルコールの匂いのせいだけじゃなく、体もふわふわして、なんだか酔ってるみたいだ。
この先、あたし、無事に過ごしていけるのだろうか。
すごく不安だ。もう、前みたいに平穏にはすごせないのではないかと思った。
それにしても。
間宮さんって、本当は男性なのか女性なのか。
もしかしたら、今回一番気になったのは、そのことかもしれない。