昼食の時間を外れ尚且つ夏休みということもあり、放課後の学食内は、窓際の席が幾つか埋まっているだけで、普段よりも静かだった。
テーブルについている生徒たちも、思い思いの格好で寛ぎ、あるものは友人同士で談笑し、あるいは教科書を広げて勉強をしている。
カウンター越しに見える調理場の中にも、のんびりとした雰囲気が漂っていた。
そんなゆったりとした空気の中。
静けさを破る声が、辺りに響く。
「うー、もうだめー」
低い唸り声だった。
食堂内にいた全員が沈黙し、声のした方向――一番奥のテーブルに座っていた女子生徒に注目する。
彼女の前には、分厚い教科書と、やや乱雑に並べられたカード、それから空になったグラスが置かれていた。
制服のリボンが臙脂色であることから、学年は1年生だとわかる。
やや赤みがかった茶色の髪をふたつに分け、左右の耳の下で結んでいるせいと、幼い顔立ちのため、制服を着ていなければ中学生と言っても通りそうだった。
向かい側には、ネクタイをしていないため学年はわからないが、男子生徒がだらしなく足を投げ出した状態で座っている。
食堂内の視線がこちらに向いても男子生徒は知らん顔のままで、まったく気にしていない。反対に、少女の方は自分が不用意に発した言葉のせいで注目されているということに気がついたらしい。
「あ、ご、ごめんなさい。なんでもないです」
制服姿の少女が慌てて立ち上がり、頭を下げる。
気まずそうに笑い、皆がこちらから視線をはずしたのを確かめると、椅子に腰掛けた。
それから、背筋をしゃんと伸ばし、テーブルの上にあるカードを集めると、ぎごちない手つきで再度テーブルの上に並べはじめる。
半分ほどカードを並べおえたところで、口の中でぶつぶつと何かを呟いた。
一呼吸置いてから、ゆっくりと伏せられたカードを開く。
「えー。えーと。これが『樹木』の『緑』で。こっちが『炎』の『紅蓮』で」
テーブルの上のカードを右手で開きながら、描かれた鮮やかな模様を読み取る。
「一番右が『過去』、真ん中が『今』、左が『未来』……かな?」
「おいおい、違うだろ」
それまで無言だった少年が口を開いた。
「右は『未来』で、左が『過去』」
「え、嘘」
「嘘言ってどうする。ちゃんと教科書にも書いてあるだろ」
冷たく言われて、少女は、そのまま机の上につっぷした。
並べられたカードが、ばらばらになる。
「もういやー。もういい。やめたー」
「こらこら、人に勉強を教えてくれと頼んでおいて、その態度は何だ?」
少年が、頭をぽかりと叩く。
そもそも、クラブの先輩である自分に頼ってきたのは彼女の方だ。貴重な夏休みを潰すのは気が進まなかったが、『宝田や』のクレープをおごるからという言葉につられて、暑い学校にやってきたのだ。
「いたーい! 恭平先輩もう少し優しく教えてよ」
「ここまで親切丁寧な指導でどうして解らないのか、そっちの方が不思議だよ」
「相性悪いんですよぅ」
涙目で訴える少女に向かって、恭平と呼ばれた少年は大きな溜息をついてみせた。
彼女の言うことは一理あった。
他の教科の成績は悪くないのに、目の前にいる少女――司は、未来予想学だけが苦手なのである。
いや―苦手というのは違うかもしれない。
まさに彼女の言う通り『相性が悪い』。
「カードを使って数分後の未来を見るっつうのは、未来予想学の基本中の基本だろ。そんなで、これから先やってくる、気象予報とかどうすんだよ」
そう。
未来予想学とは、人の運命を占うというのが本来の目的ではない。
主に重視されるのは、気象予報や災害予知だ。
自身の魔力を使い、ありとあらゆる情報を取り込み、より高い確率で予知をする。
だが、予知というのは魔法の中でも特殊であり、集中力や高い魔力を必要とするため、それを補助するために、道具を使う場合が多い。
例えば、カード。あるいは、水晶や鏡。自然界に存在するものを利用する場合もある。
一般的なのはカードだ。
予知のための道具など、自分と相性が合えばなんでもいいわけだが、カードを利用する者が殆どなのは、使いやすいのと誰にでも扱えるという手軽さのせいである。
水晶などは、使用する人間と合う合わないで、予知の確立さえ変わってくるため、人気がない。
道具が何にしろ、元々、予知や占いに関しては需要が多いので、殆どの魔法使いを目指すものは、初期の段階で習う。的中率は低くとも、基本の手順は知っていて当たり前とされているのだ。
ところが。
目の前のこの少女は、とことん予知と相性が悪い。
曰く『予知に嫌われている』という状態だ。
きちんと手順を踏もうとしても、うまくいかない。
覚えているはずのことが、すっぽりと抜けてしまう。突然風が吹き、カードが散らばる。手順通りにやったつもりでも、毎回どこかが間違っている。
それだけなら、単に記憶力が悪いで済むはずだが、彼女の専攻は魔法言語学で、複雑で難解な古代魔法語を覚えるほどなのだ。こんな簡単な小学生でも出来る基本中の基本を理解できないはずもなかった。
カードがだめなのではと水晶を使ってみれば、置いてあった台座が壊れてテーブルから転がっていき、鏡を使えば誰かがつまずき破損、それ以外にも彼女が予知魔法を発動すると何かしらトラブルがあるということが続き、先生たちの間でもちょっとした有名人になりつつある。
だからといって、相性が悪いのでテストが受けられませんという言い訳は、いくら三流の魔法学校でも通るはずもない。
1学期の後期試験で赤点を取ってしまった司は現在補講中で、再試験は明日だ。
「2年生になれなかったら、どうしよう」
情けない顔―いや、どちらかというと泣きそうな顔だ―で、身を乗り出す。
すでに両手はお願いポーズだ。
「俺が変わってやるわけにもいかないしなあ」
「あーうー」
「だから、これを未来予想学として覚えるな」
恭平が言った言葉に、司が目を丸くする。
「意味解りません先輩」
「未来を予想しようと思うから、うまくいかないんだ」
恭平は、カードを掬いあげると、ひとつにまとめて司に差し出す。
「カードゲームだと思え。これは遊びだ。司がやろうとしているのは、一人遊びだ!」
そんな無茶な。
きっぱり言い切る恭平に恨みがましい視線を投げつけながら、司はもう一度テーブルにつっぷした。
無茶苦茶な論理だ。
そんな単純なことで、この『相性の悪い』予知が成功するはずがない。
が。
不思議なことに。
肩の力を抜き、恭平と一緒に遊び感覚でカードを並べ、笑いながら絵柄を読んでいくうちに。
いつのまにか、すべての手順が終っていた。
「あ、あれ?」
自分でも驚いてしまい、思わず声を上げる。
「ええ、なんで出来てるの!」
「おお、やったじゃん。未来を読み取れないほど、めちゃくちゃなカードの出方だけどな」
関連性のない絵柄がずらーっと並んではいるが、手順としては何もかも完璧だ。
例え、的中率は低くても―いや、どちらかといえば、的外れなものだが、出来たということは間違いない。
「うわー、実践で成功したの初めて!」
「うんうん、これで明日がうまくいけば、『宝田や』のクレープは俺のもの」
ご機嫌な司と、にやけた顔の恭平は、食堂内でも異様なほど目立っていたが、本人たちはまったく気にしていなかった。
だが、そんなにうまくいくのか。
先生の前では、今のようにふざけた様子で試験を受けるわけにはいかないはずだ。
もちろん、恭平だってそれはわかっている。
でも、この場合、『出来た』ということが重要なのだ。
司はあれで意外にしぶとい。自信がつけば、気合でなんとかするくらいの根性はある。
「頑張れよ」
先輩らしくそういうと、司は元気のよい笑顔を満面に浮かべた。
それを見ていると、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。
その後、無事追試をクリアできたのかどうかは、また別の話である。