誰かに見られている。
そんな気配を、朝からずっと感じていた。
鈍感な方ではないけれど、一般人にしか過ぎない私でも気がつくほどにあからさまな気配だった。
放課後になって、校門を出ても、その気配は続いていた。
最近、妙なことに遭遇したから、これもその関係なんだろうか。
何か害があるわけでもなかったが、とにかく気持ち悪い。
ノアに聞けば何かわかるだろうかと、いつもいるはずの彼女を探したけれど、見あたらなかった。
なんで肝心な時にはいないのよー!と、一応護衛を名乗る彼女に文句を言ってみたが、いないんだから仕方がない。
自分で対処するか、知らん顔して家まで帰ってしまうか。
気分的にはどっちだっていいんだけど、やっぱり気持ち悪いし。
どうしたものか。
思いながら、ひたすらテクテクと歩く。
後ろの気配もスタスタとついてくる。
結構、不気味だ。
私は立ち止まる。
後ろに感じていた気配の動きも止まった。
ちょっと歩く。
すると、気配も動き出した。
……想像だけれど、この気配の持ち主は、気付かれてもいいとか思っているんじゃないだろうか。
尾行なら、もっとうまくやるはずだ。
真意はわからないけれど、このまま、家まで付いてこられても困るし、どうしたものか。
「何故ついてくるんですか?」
足を止めて、振り返らずに、思い切って声をかけてみた。
「………」
返事はない。
こっちを窺っている気配はわかるんだけど。
「気持ち悪いんですが」
「………」
答えないつもりなんだろうか。
「えーと、用があるんなら、何か言ってもらえるとありがたいんですが」
「あんた、キャットとどういう関係だ?」
いきなり真後ろから声がした。
驚きのあまり、自分でもびっくりの素早さで振り向き、数歩後ずさる。
確かにさっきまで気配は遠かったのに、いつのまにこんなに近くに来ていたんだ!
「すげぇ驚き方だな」
普通驚く。
足音もしなかったし、気配もしなかった。
やはり、あのあからさまな視線は、わざとだったんだな、こいつは。
「あー、今は何もしないから落ち着けよ」
面倒くさそうに目の前に立つ男は言ったが、信じられない。
というか、風貌そのものが胡散臭い。
歳は20代前半というところだろうか。
私も女性にしては背が高い方だけれど、この男は、そんな私よりも大きい。見上げないといけないのが、悔しい感じだ。
がっしりした体型のせいで、威圧感もある。整っている方だと思うけれど、顔も怖い。目付きも悪いし、危ない職業の人みたいだ。
「で、あんたとキャットの関係はどうなんだ? あいつらに取り込まれちまったのか?」
「はあ、何よそれ」
取り込まれただなんて失礼な。
そもそも、ノアは勝手についてきただけだし、私は彼女の組織のことなんて、これっぽっちも知らない。聞いたこともないし。
……男に教えてやるつもりはないけどね。
「そんなことより、あんたは何なのよ。ノア――キャットの関係者? それとも……」
言いかけて、ふとあることに思い当たる。
もうひとつだけ、考えられることがあった。
あいつらだ。
そもそものやっかい事の始まりだった妙なヒーロー集団!
考えてみれば、その可能性が一番高い。
「あんた、何色なの?」
「は?」
口を大きく開けたまま、彼は固まった。
聞き方が悪かったんだろうか。
「だから、赤、青、緑、黄、ピンク。どれがあんたの正体かってこと」
なんで睨み付けるのよ。
姿形なんて覚えていないんだから、仕方ない。
「ピンクだったら、さすがに気持ち悪いから、私の予想では、緑か青じゃないかと思ってるんだけど」
見た目が怖いし、アウトローっぽいイメージがあるから、色的にそれっぽいのはその2色だろう。
「……赤だ」
ふーん、赤なんだ。
赤……なんか、イメージ的に予想外…。
って、赤だって!?
赤といえば、あの時、遠慮無く謎のレーザー光線みたいなものを、私に向かって打ったやつじゃないの。
怒りがふつふつと蘇ってくる。
「あんた、よくもあの時は、人のこと殺そうとしてくれたわね!」
勢いのまま、彼に詰め寄る。
「仕方ないんだよ。俺たちは、あのスーツを着けると、自分で自分がわからなくなる」
「何よ、それ」
わけがわからない。
あの妙な格好は、自分の意思じゃないっていうんだろうか。
「事情があるんだよ、ふかーい事情がな」
同じようなことを言っていた人がいたけれど、その事情ってなんなんだろう。
気になる。基本的には知りたくないんだけれど、むずむずと気になってしまう。
「あんたも用心した方がいい。あんたはいろんなものに監視されている」
どういうこと?
「なんだ、気がついていないのか。まあ、今日の俺はあからさまにあんたをつけていたからわかったんだろうが、大抵の奴はうまく気配を消しているからな」
「どうして、私が監視されなくちゃいけないのよ」
「……意外に莫迦だな、お前は」
むかつく。
なんだか知らないけれど、腹が立ってきた。
「どうせ、気配も読めないお馬鹿さんですよ。ていうか、そもそも私は普通の人間だし」
「……」
いや、何故そこで沈黙?
まるで私が普通じゃないみたいじゃないの。
「ちょっと、何か言いなさいよ」
「おめでたい奴」
かちーんときた。
なんなんだ、この男は。人の神経逆なでするようなことばっかり言って、そんなに私を怒らせたいのか。
こうなったら、言いたいことも言いまくってやる!
鼻息も荒く私は文句を言うべく口を開いたのだけれど。
「ち、キャットが来たか」
忌々しそうに舌打ちとともに、男に言葉を遮られた。
見える範囲にノアの姿は見えなかったけれど、どこかにいるんだろうか。どこ行ってたんだろう。
「いいか。余計なお世話かもしれないが、誰も信じるな」
男は私に近づくと、耳に口を寄せ囁いた。
「何、それ」
「キャットだけじゃない。近づいてきたものは全部だ。もちろん、俺も含めてな」
間宮さんも。
あの人も信じてはいけない相手なんだろうか。いや、でも、これはこの男が勝手に言っていることかもしれないし。
「忠告はしたぞ。俺はもう知らんからな。どうせ、次に会った時は、敵同士だろうし。それに、俺はスーツを着けているときは、お前を見ると殺したくなるらしい」
今、さらっと恐ろしいことを口にしたような気がする。
なんで、よく知らない相手に殺されなくちゃいけないんだ。
「そんなこと思うんなら、なんで忠告なんかするのよ」
「可哀想だから」
はあ?
何なのよ、それ。
今度は同情ってこと?
「お前を見ていると可哀想になってくる。何も知らないまま周りにいる人間を信じていたら、俺のように深みにはまって抜け出せなくなるぞ」
「それって、どういう……」
「答えは自分で探せ」
男は最後まで私に言わせず、体をすっと離した。
「じゃあな、お嬢さん。せいぜい命は大切にしろよ」
言いたいことだけ言って、男は背を向けて歩き出した。
「ちょっと、待ってよ! というか、名前ぐらい名乗れー!」
もちろん返事はなかったし、奴の姿もあっという間に見えなくなった。
呆然と突っ立っていたら、目の前に、いつのまにか猫の姿をしたノアがいた。
「お姉さま。大丈夫ですか。何かあったのですか」
心配そうに私を見上げている。
私たちのやりとりは聞こえていなかったらしいが、頭の中には、さっきの男の言葉が残っていて、まともにノアを見ることが出来ない。
そもそも、しつこいくらいに側にいたがるノアが、急に姿が見えなくなってしまったことも不思議だ。
「なんでもないよ、ノア。何もなかったから」
自分でもなんだか嘘っぽいなと思ったけれど、ノアは何も言わなかった。
だけど、あいつが言っていた監視っていうのが気になる。
キャットに関わったから?
あの戦隊ヒーローもどきに遭遇したから?
それとも、他に何か違う理由があるのだろうか。
『鍵』という言葉がふいに頭に浮かんだ。
間宮さんが前に言っていたことだ。
あの時は深く考えなかったけれど、心の隅にずっと引っかかっていた。
すべてが偶然じゃなかったとしたら?
もし、なにもかも仕組まれたものだったとしたら?
ふいに、私は怖くなった。
今も、誰かが私を監視しているのだとしたら、いったいそれは誰なんだろう。
答えは自分で見つけるしかないのだろうか。
男が去っていた方向に目を向けたまま、私は考え続けていた。