「学校?」
しばらく家を空けていた男が、帰ってきたとたん言った言葉は、「ただいま」でも「疲れた」でもなく「学校へ行け」だった。
そういえば、男のところに転がり込んでから、学校へは行っていない。
男は特に何も言わなかったし、私も聞かなかった。
気にならなかったといえば嘘になるけれど、いろいろなことがありすぎて、外に出る気にならなかったのも事実。
それに、現在の保護者であるはずの彼は、そういう世間一般常識とかはどうでもいいらしく、親や親戚に言われていたようなことは一切口にしない。こんな生活感のない家に子供を住まわせているというのもどうかしているし。やっぱり、普通じゃない職業のせいだろうか。
だからこそ、こんな当たり前のことを言うなんて不思議。
何か裏があるんだろうかと勘ぐってしまう。
「どうして急にそんなこと言い出すの」
「暇なんだろう」
それはそうなんだけれど。
昼間のテレビは面白くないし、男が持っている本は難しくて読めないものばかりだ。
勝手に好きなものを好きなように買っていいとは言われているけれど、それだって限度がある。平日の昼間に子供1人で歩いていると怪しまれるしね。
「暇なら学校へ行ってみればいい」
男が投げるように床の上に紙袋を落とした。持ち上げてみると、それほど重くはない。
「開けてみろ」と言うから中を覗き込むと、服が入っていた。
白いブラウスに紺のブレザー、オレンジ色を基調にしたチェック柄のプリーツスカートだ。
私の記憶違いでなければ、この制服は有名な私立の小学校のものに見えるんだけど。
「これって、制服?」
念のため訪ねると、肯定の返事とともに、想像した通りの学校名が返ってきた。
「ここって、普通に転校できたりするもの?」
通っているのはお金持ちの子供ばかりだと聞いている。
幼稚園から高校まで一貫して通う子ばかりで途中で転入する人間はいないってイメージがあるんだけれど。
私は金持ちの子供じゃないし、前に通っていたのは公立の小学校だった。成績も普通で特に秀でたものがあったわけでもない。
そんな私がこんな学校に転校なんて無理があるような気がする。
「ツテがある」
「ツテ? そんなもので入れる学校なの?」
「普通は無理だろうな。だが、いろいろ訳ありのところだからな。突けば色々出てくるのさ。それに、行けば面白いものが見れるぞ」
訳ありの学校っていうのも怪しいし、この男の言う面白いものなんて、録でもないものばかりだと短い同居生活の中でわかっている。
「面白いものって何?」
胡散臭いとわかっていながら、好奇心を抑えることが出来なかったのは、私もこの男と同類ということだろうか。
あまり考えたくないけれど。
「ああ。お前みたいな子供が好物だって化け物がいる」
化け物という言葉に、男の意図が見えたような気がした。
そうだよね。普通に考えて、この男が善意で小学校に通わせてくれるはずがない。
だとすると。
「ひょっとして、化け物をおびき出す囮にでもなれって言うの?」
「ひょっとしなくても囮だな」
平然と言ってのけるから、怒るよりも呆れてしまった。
「退屈だったんだろう? ちょうどいいじゃないか」
人の気持ちを見透かすように笑う。
「で、どうする? 行くのか? それとも行かないのか?」
答えは決まっている。
男といるのは嫌ではないけれど、1人でいるのは退屈で仕方がない。そろそろ家にいることに飽きてきたところだ。
「もちろん『はい』だよ」
「だろうな」
そういって、男はまた笑う。
「心配するな。お前が喰われる前には片付ける」
……人を食うような化け物なんだろうか。
早まったかな。
不安そうに男を見上げると、彼の手が伸びてきて私の頭を撫でた。
「普通に学校へ通うだけだ。何も難しいことはない」
それだけで済まないだろうから心配なんじゃないの。
そう言いたかったけれど、男の不敵な笑顔を見ていたら、なんだかどうでもよくなってしまった。男は私が「やっぱりやめた」といっても怒らないだろうが、退屈を紛らわすきっかけを失うことになる。
「私は何もしないからね」
男の仕事には一切手を出さないと宣言する。
「かまわない」
好きにしていい、と言われて、私はとりあえず、学校に必要なものを揃えていいかと尋ねた。
だって、男が持ってきた制服以外は、何もないんだもの。靴だって欲しいし、鞄は学校指定のものがあるのかどうかもわからない。筆記用具もないし、教科書とかはどうすればいいのだろう。
いろいろと考え始めたら、退屈な気持ちが少し薄らいだような気がした。
「ちょっと楽しみかな」
そう呟くと、「それはよかった」という男の声が聞こえた。