「靴が壊れた」
ベッドに浅く腰かけて装備を解いていたレイクは、溜息とともにそう告げた。
「壊れた? 履き潰したわけじゃなくて?」
靴は消耗品だ。当然長く使っていれば靴底がすり切れたり、紐を通す穴の部分が傷んだりする。これまでだって、どこかの調子が悪くなれば、自分で直したり、それが無理ならば店で修理を頼んでいた。
けれど、お手上げだとでも言うように靴を手にしたレイクは苦笑している。
これは、自分では直せないということなのかしら。
「どうしちまったかなー。脱ごうとひっぱったとたん、靴底が抜けて紐が切れた」
「不吉ね」
「……縁起でもないことは口にしないでくれ」
あんたが言ったら本当になりそうだ、と失礼なことを口にする。
残念ながら、私には言霊の魔法は使えない。どんなことを言ったって何も起こったりはしないわ。
そんなことよりも問題なのは、不吉かどうかではなく、予備の靴がないことじゃないかしら。レイクは、装備に関しては慣れたもの以外は使いたがらない。剣にしても、靴にしても、身につけるものは、何度も修理を繰り返していて、余程の事情がなければ新しいものを手にすることはなかった。
慣れないものを使って余計な神経を使うのが嫌なのだそう。
変なところでこだわっているとは思うけれど、それが彼のやり方ならば、別に私が文句を言う必要もない。
「どうするの? しばらくはこの街で、お宝がありそうだとかいう洞窟に潜るつもりなんでしょう」
「まあな」
私も時々手伝っているけれど、思いのほか洞窟は深い。
まだまだ調べていない場所はたくさんあったはずよ。
新しいものを買うにしても慣れるまで時間もかかるんじゃないかしら。
「この街には前に何度か来てるんでしょう。よいお店はないの?」
「んー、ないことはないんだが」
「何か問題が?」
レイクは靴をぶらぶらさせながら、考えこんでいる。
時々、口の中でぶつぶつ言っているけれど内容が聞き取れないだけに気持ち悪い。
「レイク?」
呼びかけると、レイクは顔を上げた。
照れ臭そうに頭を掻きながら悪いと謝ってくる。私の問いかけに答えなかったことに気が付いたらしい。
「腕のいい靴屋に心当たりがあることはあるんだよ。ただなー、頑固だし、前に会った時はもう結構年だったし、まだ店をやっているかどうかわからない」
「だったら、とりあえず行ってみればいいでしょう。だめならまた考えればいいことなのに。何故、悩んでいるの?」
尋ねたとたん、レイクが肩を落とした。
「もしかして、修理代が高いの?」
はっきり言ってしまえば、私達はお金持ちってわけじゃない。以前手にいれた宝があるけれど、レイクも私も、いつも運よくお宝なんて手に入らないことくらい知っている。だから、無駄遣いをしないように気をつけているし、節約だって当たり前のことだ。別に派手な暮らしがしたいわけでもないし、着飾りたいわけでもないから、困ることもないし。
でも、靴にかけるお金はケチらない方がいいと思うわ。旅したり、洞窟に潜るのに、安い粗悪品を買ったり、適当な修理だけした靴を使うなんて、無謀もいいところよ。
それに今までだって、そういうところをケチったりする人じゃなかった。
「高いわけじゃねぇ。良心的な値段だな」
「だったら、どうして? 行ってもないのに渋るなんて、おかしいわ」
「そうだなあ」
顔をしかめてため息をついた。いったい何があるっていうのかしら。
「ちょっと苦手なんだよ」
「苦手?」
返ってきた言葉は予想外のものだったわ。お金の問題じゃないってこと?
「ガキ扱いされちまうし」
「それは、おもしろそう」
ふて腐れた顔で、ものすごく嫌そうに口にするから、反射的にそう言ってしまったわ。
「なんでだよ!」
レイクは自分では自覚していないようだけど、子供扱いされた時の彼は、見ていて楽しい。ムキになってガキじゃねぇと言っているあたりが子供みたいだから余計にからかわれるのだということにも気が付いていないのよ。
「私、その人に会ってみたいわ」
からかわれるレイクが見たいからなのだけれど、それは言わないでおいた。
「いやいや! それも困る」
レイクはといえば、靴を振り落とすほどの勢いで両手を動かし、大声を出す。
もしかして私の考えていることがわかってしまったのかしら。
「女連れなんかで行ったら、何を言われるかわかんねーだろ」
今度は女連れを気にするの? 今までどこへ行ってもそんなこと、一度だって言ったことなかったのに。
「好きに言わせておけばいいんじゃないの?」
「それも俺が困るんだよ」
「恋人か何かに間違えられるのが嫌なの? それなら」
「そうじゃない。そうじゃなくて」
壊れた靴を放り投げたレイクは手を頭にやり、髪の毛をかき回し始めた。
傍から見ていると、ものすごく挙動不審なのだけれど。
「結婚もしていない男女が一緒に旅しているなんて知られたら、半殺しの目にあっちまう!」
「その言い方、何かちょっと変な気がするわ」
レイクの知り合いは、年寄りだって言っていたし、考え方が古いのかしら。
それとも、私と恋人同士だと間違われるのがそんなに嫌なの?
私は彼に近づいて、その瞳を覗き込んだ。
「私はあなたが嫌いじゃないから、一緒にいるのよ。あなたは違うの?」
意地悪だとはわかっていたけれど、そう尋ねる。だって、悔しいじゃない。私だけがレイクといて嬉しいなんて。
「ち、違わねぇよ! 俺は、その。つまりだな、あんたの方こそ、嫌なんじゃないかと」
しどろもどろの彼を見ていると、不思議な気持ちになる。
普段は自信満々で、魔物を前にしても決して怯むことなどないのに、私のこととなると、ひどく臆病になっているわ。
確かに出会った頃はいろいろあったけれど、今は違う。
あの頃よりはお互いは近くなったはずだし、夜だってあなたを拒むようなことがあったかしら。
私は確かに世間一般の恋人同士がどういうものなのかわかっていないのかもしれないけれど、今の関係がそれに近いものだとは思ってるわ。
「私、別にあなたの恋人と言われてもかまわないわ。嫌じゃないもの」
「そう、なのか?」
これだけ言っても、まだ不安そうな彼の目を、しっかり見つめる。
「言葉が必要? でもいいの? 私は魔法使いだわ。魔力はなくても、私たちが口にする真実を込めた言葉は怖いのよ」
「逃げられなくなる?」
その通り。
私達は、言葉を重要視している。
思いを込めた言葉を相手に紡ぐことは、契約するのと同じことだ。相手を縛る鎖にだってなりかねない
もちろん私にはたいした魔力はないから、実際には効力なんてないけれど、でも約束を違えれば恨んでしまうと思うし。そういう魔法使いが持つ負の感情は、相手に影響を与えないとは決して言えないのよ。
「かまわねぇ。あんたの言葉が欲しいんだ。そうじゃないと、あんたがどこかに消えていってしまいそうな気がする」
レイクの手が私の頬に触れた。普段は見せない真摯な眼差しに、ほんの少し頬が緩む。
私は彼の言葉がうれしいのかもしれない。
「いなくならないって言うなら、その証をくれよ」
「あなたって、本当に変わり者ね」
私みたいな人間が好きだという。言葉が欲しいと言う。いなくならないでなんて、今まで誰一人言ったことなんてなかった。
「本当に変わってるわ」
正直、心の底からそう思っている。
魔法使いを好きだなんて言うこと自体普通じゃない。
でも。
レイクの言葉は、素直に嬉しかった。
だからなのかもしれない。レイクが望むのならば、私の真実の言葉を上げようと思ったのは。
私は彼の耳元に唇を寄せて、ささやいた。
なんて言ったかは、二人だけの秘密よ。
次の日の朝、少し遅めの朝食を終わらせた私達は、レイクの知り合いだという男の所へ向かっていた。
「結局ついてくるのかよ」
「ついて来るなとは言わなかったわ」
宿で借りた靴が歩きづらいから歩みが遅いのかと思っていたけれど、実は違うんじゃないかしら。行きたくないから、のろのろしているってのはありそう。
「んー、リラだから驚かないとは思うんだがな。ちょっと変わってるんだ」
「そうなの?」
若い独身の男女が一緒に旅するのを嫌がるくらいは、変わってうちには入らないと思うのよ。それ以外に、まだ何かあるのかしら。
「ま、どんな奴なのかは、説明するより会ってみるのが一番だろうな」
それは楽しみ。
レイクのことを子供扱いする人だというし、期待してしまっても仕方ないと思うのよ。
「ところで、もう街から出てしまいそうなんだけど、どこまで歩けばいいのかしら」
宿を出てから、結構長く歩いているわ。
「わけありで、街の外に住んでるんだよ」
「そう、いろいろ大変なのね」
何げなく言った言葉なんだけど、レイクはおかしそうに顔を歪めた。
「何故かは聞かないんだな」
あんたはそういうのに興味なさそうだし、と一人で納得している。
「別に変だとは思わないもの。私の師匠も町外れに住んでいたわ。魔法使いで、変わり者だったから」
「あー、そっか。あんたもそうだよな」
どうやらレイクの中では、私も同類らしい。
確かに自分でも人と感覚がずれているんじゃないかと思うこともあるけれど、改めて言われると複雑だわ。
相手がレイクならば、なおさらよ。
「でも、あんたがそんなふうで、よかったかもな。そうじゃなきゃ、俺みたいな人間に興味をもってくれなかっただろ」
「そうかしら」
「そうなんだって。宝探ししてる人間なんて、ろくでもない奴ばっかりだ。だから、普通の女性は敬遠する」
私は他にそういう職業の人間を知らない。
レイクしか見たことないのだから、評価しようもないし、敬遠する理由も思いつかない。
それに。
「あなたも似たようなものよ。魔法使いの女も敬遠されてる。普通は嫌がるし、付き合おうなんて思わないわ」
女性の魔法使いには独身が多い。職業上、人の秘密を知ったり、怪しげな薬を調合したりするから、誤解されることもよくあるのよ。実際は、ちょっと変わったところはあっても、そこまでの悪い人というのは稀だけれど、それを知っている人は殆どいない。
宝探し屋にしても、レイクはああいうけれど、世間の人間が思うほど悪い人間はいないんじゃないかしら。
「確かにあなたが宝探しをしている人間だったから興味を持ったけれど、それはきっかけよ。今はそうじゃない」
「言われてみれば、そうだよな。俺もあんたが魔法使いだったから興味を持ったんだよな。それに……」
「それに?」
「初めて会った時に見た、あの不機嫌な顔が…。あー、いや、その」
「顔?」
急にあわて出したレイクに続きを即すけれど、目を逸らされてしまったわ。
「いや、その。なんだな。あ、ついたぞ」
はぐらかされるし。
顔がなんだっていうのかしら。
まさかとは思うけれど、そんな私の顔が好きだとか言い出すんじゃないでしょうね。
そうだったら、やっぱりレイクは間違いなく私の師匠だった人よりも変わり者よ。
「レイク、理由を…」
詳しく聞き出そうとしたのに、それを途中で遮られた。
「ここが、例の店なんだよ」
レイクは、話を逸らしたいらしい。
追求したいことは山のようにあったけれど、今はここで時間をつぶしてしまうわけにもいかない。
だから、私は、レイクが指した『店』とやらに視線を動かした。
「これはまた、随分年代物の家ね」
そこにあったのは、廃屋としかいいようのないモノだった。
隣に生えている木があるから、かろうじて倒れていないって感じだわ。傾いてるし。屋根の上には草も生えているし。
人が住んでいるなんて言われても、冗談としか思えない。
「本当にここが、そのお店なの?」
「外見はこんなだけどな。中はまだマシだ」
本当かしら。入ったとたんに崩れそうに見えるんだけれど。
「心配なら、ここで待っててもいいぜ」
「それは嫌」
「じゃ、行くか」
レイクが斜めに歪んだ扉の取手に手をかける。予想に違わず、取手は下の部分の螺子が外れていた。
それを気にする事なくレイクは器用に引っ張って、耳障りな音を立てる扉を開けた。
レイク越しに見える家の中は薄暗く、少し黴臭い匂いがする。
誰もいないのかしら。
「おーい、いるか、おっさん」
レイクが奥に向かって呼びかけると、たったそれだけの空気の動きで壁が揺れた。
ほんとうに大丈夫なの、ここ。
「いるんだろ。出てきてくれよ」
再度の呼びかけにも返事はなかったのだけれど
部屋の片隅で、空気が揺らいだような気がした。
「レイク? 今何か……」
動いたわ、と言おうとした。最後まで言えなかったのは、何かが、勢いよく飛び出してきたからよ。
小さくてもじゃもじゃしていたわ。
よく見ると手のようなものも見える。
なんなのかしら?
「ようこそ、奇麗なお嬢さん」
その塊は、近づきながらそう言った。年取った男性の声だ。
近くにきて初めてわかったけれど、もじゃもじゃしているように見えたのは、頭の上でくるくるとまるまった白髪混じりの癖毛と髭、それに来ている服が毛皮のせいだった。
それに、人の形をしているけれど、私の膝ほどしか背丈がないわ。
もしかすると、彼は、人ではないのかしら。
ドワーフ。
会ったことはないけれど、そういう生き物がいると聞いたことはある。以前いた城にも、ドワーフが作った武器や家具は使い勝手がいいからと、幾つかあった気がするわ。
彼がそうなのだとしたら、レイクが嫌がりながらもここを利用するのも当然かもしれない。
「はじめまして。あなたが靴屋さんなの?」
「おお、よくご存知で。そのとおりじゃ。靴屋に何かご用かの?」
小さな体を曲げ、彼は優雅にお辞儀をしてくれる。
「ちょっと待て、ガルテ。俺は無視かよ」
そうよ。用があるのは、私ではなくレイクだし、知り合いじゃなかったのかしら。
「むさ苦しい男は見たくないのでのう」
レイクの方には振り向きもせずに、彼は私を見上げてにこにこと笑っている。
「客は俺の方だ」
ぐいっと、男の服を掴むと、レイクが自分の方へ強引に向けてしまう。
「なんじゃ、せっかく久しぶりに女性と話しが出来ると思ったのに。邪魔するでないぞ」
「この色ぼけジジイ」
「ケツの青いガキに言われたくはないのう」
そう言いながら、私の方に向き直ろうとした彼―おそらくガルテという名前なんだろう―
を引っ張った。
レイクは力があるから、そんなに力を込めると、危ないんじゃないかしら。
抗議の声も上げているし。
「乱暴するんじゃない、レイク。だいたい、わしに内緒で、いつの間に嫁さんをもらったんじゃ」
「よ、よ、嫁さん!?」
レイクが赤くなったり青くなったりしている。
何を動揺しているのかしら。
「違うのか? わしのところに女性を連れてくるなんて珍しいからのう。てっきりそうだと思ったんじゃが。ふーむ、そうすると、いずれ夫婦になるわけか?」
「それも、違う!」
あら、その言葉って、少し心外よ。
「違うの?」
私の言葉に、レイクの顔は真っ青になった。動揺の末の失言に気が付いたらしい。
「なんと! 夫婦になるつもりがないのに、一緒におるのか? どういう関係なんじゃ! わしは、そういうのはいかんと前から言っておるだろう」
さらにたたみかけるように続いたガルテの言葉に、レイクは慌てたように首を振った。
青い顔が、ますます青くなっている。ちょっと可哀想になってきたかしら。
「靴屋さん、私の名前はリラよ。夫婦じゃないけれど、これでも一応レイクとは恋人同士?みたいなものなの」
今現在の二人の関係を説明する。事実だけれど、これでわかってもらえるかどうかは微妙だわ。
「そうか? 少しばかり微妙な言い回しじゃが、お嬢さんがそこまで言うならば、そういうことにしておくかのう」
「安心して。遊びで一緒にいるわけじゃないから」
「おい、リラ、なんてこと言うんだよ」
私は本気で言っているのに、レイクには不満だったみたいだ。ガルテも、まだ何か言いたそうな顔している。
「ところで、靴屋さん。今日来たのは、靴を修理して欲しいからなのよ」
このままだといつまでたっても本題に入れそうにない気がしたから、私は、レイクとガルテが互いに何か言う前に、急いでそう口にした。
「お嬢さんの靴か?」
「いいえ、レイクのモノなの」
レイクが抱えていた袋を示す。
「これなんだが」
レイクが袋の中から靴を取り出した。
ガルテは小さな手で、壊れた靴をひょいと持ち上げる。
意外に力持ちのようね。
「おうおう、見事に壊れたのう」
「そうなんだよ!」
憤慨したようにレイクが言う。
「もう、ぱっくりざっくりって感じだろ」
「ふーむ。お前さん、どこかで、ちょいと何か踏んじまったんじゃないかのう」
靴を子細に眺めていたガルテが、靴底を何度か突いている。
「靴に呪いがかかっておるぞ。お前さんだから、この程度ですんだが、そうでなければえらいことになっていただろう」
呪いとは、穏やかではないわね。鉱山と繋がっている以外は、ごく普通の洞窟だと思っていたけれど、呪いがかかるような代物が置いてあるなんて不思議だわ。
レイクが言うように、あそこには何かあるのかもしれない。
「これは、新しい物を作り直した方がいいかもしれん」
「時間はかかりそうか?」
ガルテは考えこんでいる。何か問題があるのかしら。
「そうじゃのう。お前さんがどこでこの呪いを受けたかは知らんが、もし無事でいたいのなら、割高になってもそれなりの物を作った方がいいかもしれん」
「わかった。ガルテに任せる」
レイクが修理ではなく新しいものを設えるというのも驚いたけれど、それはもしかすると、ガルテを信頼しているのかもしれない。
そこからは、さっきまでの二人の様子は形を潜め、値段のこととか、採寸のこととかを真剣に話し始めた。
私はといえば、言っていることもさっぱりわからないし、やることもないから、黙って二人のやりとりを眺めるしかなかったわ。
靴一足のことだけれど、どういう物を作るかで意見が食い違ったりして、二人の話は中々終わらなかった。
いい加減待ちくたびれて、外に遊ぶ鳥に意識を飛ばしたり、部屋の中に並べてある酒の瓶を数えたりしていた私は、いつの間にか辺りが静かになっているのに気が付いた。
話は終わったということなのかしら。
振り向くと、「難しいことを言うのう」と口をへの字に曲げたガルテと、疲れたのか溜息をついているレイクの姿が目にはいった。
「終わったの?」
長い間ほったらかしにされていたせいで、私の声は少し不機嫌に響いたのかもしれない。
「わりぃ。つい話に熱がはいっちまった」
慌てて謝ったレイクの顔は、本当に済まなさそうにしている。
「かまわないけれど。外はすっかり暗くなってしまったみたいよ」
「あー、まじかよ」
ここは治安はいいけれど、他の地域よりも魔物が多く出るという。
少し前にも、レイクは街の人達と魔物退治に出たばかりだ。それほど街から離れてはいないから大丈夫だとは思うけれど、絶対安全だとは言えない。
「今から帰ると、夜中近くになってしまうわね」
歩いて来た距離を思い浮かべながら、時間を計る。夜は昼間よりも視界は悪いし、レイクだけならまだしも、戦闘能力のまったくない私がいれば、行動も制限されるだろう。
「ほうほう。どうせなら、ここに泊まっていきなさい」
ガルテはそう言ってくれたけれど、私は迷う。
レイクが寝返りをうっただけで壊れそうな家なのに、二人も泊まって大丈夫なのかしら。
「夕食もご馳走するし、久しぶりにレイクと呑むのも楽しそうじゃ」
「レイクは、ここに泊まったことがあるの?」
「まあな。ガルテの手料理はおいしいぞ」
それで家が壊れなかったのなら、平気かしら。でも、この中で寝るほうが、夜道を帰るよりも危険な気もするのだけれど。
もし本当に崩れたら、レイクを盾にすればいいかしら。
「レイクがいいなら、私はかまわないわ」
夜道と危険な家とを計りにかけた結果、私は泊まることを選んだ。
手料理に興味があったというのもある。
「よし、決まりだな。世話になるぜ」
苦手だといいながら、嬉しそうなレイクの姿に、本当はガルテのことをそれほど嫌っていないのだと、気が付いた。
ガルテに夕食をご馳走になり、二人が次から次へと酒の瓶をあけるのを呆れて見ていたら、眠くなってきてしまったわ。
そろそろ寝ないと、明日起きることが出来ない気がする。
そんなことを思っていたら、いつの間にか側に来ていたガルテが、私の膝を軽く叩いた。
「お嬢さん、起きておるかの」
少し声をひそめているのは、床の上の敷布の上で、膝を抱えるようにして眠ってしまっているレイクを起こさないためかもしれない。
「起きてるわ。何か用かしら」
何度か目を瞬かせて、眠気を払うように頭を振ると、ガルテを見る。
ひどく真面目な顔をしているのが、気になった。
「お嬢さんに、少し聞きたいことがあってのう」
「聞きたいこと?」
いったい何かしら。
「お嬢さん、本当のところ、レイクのことをどう思っているのかのう?」
何をいきなり言い出すのかしら。
レイクの方を見る。
起きる気配はない。
今なら、何を言っても大丈夫だろう。ガルテは、私が話したことを、彼に告げるようなことはしない気がした。
「レイクは、調子がよくて、お宝が好きで、女に弱い人だわ」
「そうじゃな」
「おまけに、こんな中途半端な私が好きだなんていう、変わり者よ」
「そうか」
「……放っておけないわ。こんなお人よし」
「好きなんじゃな」
「違うわ」
「そうかそうか」
「違うわ…たぶん」
本心は見抜かれているような気がする。でも、どうしても想いを自分の口から言うのは嫌だった。恥ずかしいというのもあるし、簡単には口にしたくないのよ。
「レイクはあんな性格だからのう。女と遊びはするが、本気になったのは見たことがなかった」
確かに、レイクはもてそうな気がする。時々立ち寄る街で、親しげに話し掛けてくる女性を何度も見たし。
「だからかのう。お前さんを連れてきたレイクの顔を見て、ようやく本気の相手が出来たのかと嬉しかったんじゃ」
私から見れば、レイクの様子はいつもと変わらないように見えたけれど。
長年の付き合いのあるガルテから見たら、違っていたのかしら。
もし、ガルテの言う通りに、彼が嬉しそうだったのだとすれば。私も嬉しいかもしれない。
「レイクを頼んだよ、お嬢さん。これから先、たとえどんなことが起こっても、側にいていやってくれ」
親しい人間を気遣うような口調に、私はガルテがレイクのことをどう思っているかわかったような気がした。
それならば。
恥ずかしがったりせずに、本当のことはちゃんと伝えないといけないのかもしれない。
私は覚悟を決めた。
「……約束したわ。彼の側からは離れないと」
ガルテの目をまっすぐに見つめ私がそう言うと、そうか、と呟いて、彼はほっとしたように微笑んだ。
それから数日後。
ようやく出来上がった靴は、レイクの足にぴったりだった。
具合もいいのか、満足そうな顔をしている。
やはり、レイクが認めているくらいだから、腕はいいのだろう。
「さてさて、お嬢さん。しばらくここいらに滞在するんじゃろう。是非また遊びに来ておくれ」
ガルテが私の手を両手で握り締めた。骨張った手は皺だらけだったけれど、力強くて温かい。
「お嬢さんならば、いつでも大歓迎じゃよ」
「ええ、遊びに来るわ」
レイクは嫌がるかもしれないけれど、ガルテのことは好きになれそうだった。ドワーフの知識にも興味があるし、聞きたいこともたくさんある。
「おい、いつまで握っているんだよ。減ったらどうする」
レイクの手が伸びてきて、私とガルテを引き離した。
「おうおう、一人前に焼き餅かのう」
「うるさい」
普段のレイクからは想像できないほど不機嫌な拗ね方だ。
「もういくぞ、リラ」
強引とも思える力で、レイクが私を引き寄せる。
痛いと抗議しても離してくれない。
「まったく、本当に子供じゃのう」
背中越しに、ガルテの声が聞こえた。本当にそう。焼き餅なんて焼く必要はないのに。
私はあなたに真実の言葉を紡いだ。そんなことをしたのはあなた一人だし、気持ちに嘘はないわ。少しは信用して欲しいものだけれど。
「じゃあな、ガルテ」
ぶっきらぼうに別れの挨拶を口にすると、レイクは私をひっぱりながら歩き出した。
「また、遊びにおいで、二人とも」
笑い声とともに、ガルテの言葉が聞こえる。
ありがとう、と返事しようとして振り返ったけれど、もうそこには彼の姿はなく、壊れかけた扉だけがゆらゆらと揺れていた。