《これは、どう見ても幻覚なんじゃないかしら》
俺の肩に乗っていたネズミが愛くるしい瞳をこちらに向けながら、そう言った。
といっても、ネズミが直接しゃべったわけじゃない。
ネズミにはリラの意識が入り込んでいるのだ。
小動物に意識を飛ばす魔法は、リラの得意とするもので、最近では洞窟や森に出掛ける時は、こうやって俺についてくるようになった。どういう理屈かはわからないが、言葉は触れあっていれば、俺の頭に直接響いてくるから、不便はない。
で、今日もリラと一緒に、街外れにある宝が眠っていそうな洞窟にやってきたわけだが。
結構奥まで進んできたところで、俺たちは、宝の代わりに奇妙奇天烈なものを見つけたわけだ。
《おいしそうだけど、中途半端だわ》
そうなのだ。
目の前にある幻覚。
それは、湯気を立てた今まで見たことがないようなご馳走だったんだよ。
良い焼き加減の肉とか、色鮮やかな果物が載せられた焼き菓子とか、温かそうなスープとか。料理名がさっぱりわからないような代物もある。
それが、薄暗い洞窟の地面に、所狭しと並べられているのだ。
テーブルなんてものは、いっさいなしだ。ついでに言えば、ごちそうが載せられている食器はいかにも安物で、中には欠けているものもある。
だから、リラの「中途半端」という意見には俺も賛成だ。
それに、気になることもあった。
「俺にも見えるくらいだから、結構強力な魔法なんじゃないか」
自慢じゃないが、俺は魔法に耐久力がある。何故という理由はさっぱりわからず、養い親などは「体質なんじゃないか」で済ませていたが、冒険をするには便利なもので、今までも、大抵の魔法や呪いは退けてきたのだ。
弱いものなら、幻覚そのものが見えないからひっかかることはない。
だからこそ、俺にも見えるこの幻覚は、相当力のある魔法使いがかけたものだと思うわけなんだが。
リラもその辺は分かっているんだろう。首を傾げて考え込んでいる。
《かなり強い魔法だと思う。でも、ご馳走を見せて、何がしたいのかしら》
「さあ?」
俺にもさっぱりだ。
見たところ、こっちを攻撃してきたりする様子もない。ただ見えるだけの幻覚になんの意味があるんだ?
《確かに見ているだけでお腹は空くけれど、それだけでしょう》
「だよな。触ると何か起こるって可能性もありそうだが」
言いながら俺は、手を伸ばした。
どうせ魔法は効かない体質だ。もし、これが先へ進ませないための結界だとしても、俺が触れれば簡単に解けるはずだった。
だが。
《レイク!?》
めずらしく驚いたようなリラの声が聞こえたのは、俺がそれに触れた時だった。
幻覚が薄まるどころが一層きらびやかに美味しそうに変化したのだ。
「な、なんだコレ」
《すごいけれど、どうして? それに、匂いも感じるようになったわ》
肩に乗っていたリラは、器用に俺の腕をつたい地面に降りた。
幻覚の近くまで近寄り、鼻を動かし、何度か動いて様子を窺っている。
一応魔法の専門家だし、任せておいた方がいいだろうと俺は彼女が調べるのを見守ることにした。
《おかしいわ。術者の気配がしない》
戻ってきて、再び肩に乗ったリラが報告する。
《普通は、かけた人間の気配が残っているものだけれど》
「もう死んでいるんじゃないか」
《死んでも気配は残るのよ》
そういうものなんだろうか。魔法に関しては素人の俺にはさっぱりわからねえ。
ただ、人間がかけたんじゃないとすると、俺でも思いつくことは1つだ。
「術者は人間じゃなくて魔物ってことか?」
《そうね。魔物の中には、人と同じような魔法を使うものもいるから》
確かにそうだ。
あちこち旅しているうちに、強力な魔法を使う魔物にも会った。
魔物の魔力は人とは根本的に違うもので、発動条件も異なっている。だが、人と似た容姿を持つ魔物の中には、同じような方法で魔法を使うものがいるのだ。
《“人間"の気配がしない以上、十中八九魔物の仕業だと思うわ》
「理屈はわかるんだかな。問題は、何故ごちそうなのかってことだろ?」
ごちそうは俺たちが進むべく方向にある。
天井は高く幅は人が二人通れるくらいの広さだが、それを塞ぐ形で幻覚は存在しているのだ。
《そうね》
ネズミが目を細めて髭を振るわせる。
何か考えているようだ。
こういうとき力仕事が専門の俺は、まったく役には立たない。
リラの思考の邪魔をしないよう、じっとしていたら、やがて、リラがしっぽで俺の頬を叩いた。
《ねえ、レイク。ちょっと幻覚から離れてもらえるかしら》
リラが何か思いついたのかもしれない。
俺は、彼女の言うとおりに、少しばかり後ろに下がってみた。
「なんだ?」
幻覚が急に色あせちまった。
美味しそうではあるが、輪郭がぼやけているような気がする。
《やっぱりね。これは、人が近づくと見えるようになっている魔法なんだと思う》
「それって、つまり人をおびき寄せる為のモノってことか?」
《普通なら、そう考えるんだけれど、他の害のある魔法は感じられないのよ》
「誰かが潜んでいるような気配もないしな」
何かを誘き寄せるつもりなら、罠の1つでもありそうなものだが、それは見あたらない。
これ以上入るなという警告のつもりならば、もっと恐ろしいものを見せた方が効果があるだろうし、なんなのだろうか。
《危険かもしれないけれど、もう一度近づいてもらえる? そうね。できれば、ごちそうの中に足を踏み入れて欲しいのだけれど》
「かまわねえよ」
危険なんていつものことだ。どちらにしても、この幻覚を越えなければ奥へは進めないんだし。
覚悟を決めて、少し用心深く幻覚の中に足を踏み入れる。
一瞬、周りで火花が散ったような気がした。何かやばいことが起こるかと身構えるが、辺りは静かだ。
《槍も降ってこないし、化け物も出てこないし、何もないわね》
どこか残念そうに聞こえたんだが、気のせいにした方がいいんだろうな。
《ねえ。何か書いてある》
リラが前足を上げて、俺の足元を指した。
料理の幻覚の中、何故か一箇所だけぽっかりと穴が空いたように何もない空間があった。
いや、何もないわけじゃない。
よく見ると、地面と同化するようなくすんだ色の石版が置かれている。
表面はなめらかで、顔を近づけると、表面にひっかき傷のような文字が掘ってあるのがわかった。
なんて書いてあるかはわからない。
俺にはその文字はまったく読めなかったからだ。そもそも、字というより絵と言ったほうがいいそれは、普段俺たちが使う文字とは異なっている。
さじを投げた俺の代わりに、リラが興味津々という感じで、石版を覗き込んでいた。
《これ、ドワーフが使っていた文字なんじゃないかしら。それもかなり昔に使われていたものだと思うわ》
ドワーフ?
「そういえば、ガルテが持っていた古い本がこんな文字で書かれてたな」
教えてやろうかと言われたとき、面倒くさくて断ったが、習っておけばよかったと少しだけ後悔する。いまさら遅いけどな。
リラには読めるのだろうか?
試しに、なんて書いてあるんだと尋ねると、しばらくリラは考え込んだ。
《我らが愛しき姫を慰めるため、捧げる、かしら》
どういうことだ?
なんで、姫を慰めるために、こんなところにご馳走なんか出現させないといけないんだ?
《さっぱりわからないわね》
俺の思いを代弁するような言葉に、大きく頷く。
「情報不足だよな」
消えないごちそうを眺めながら、俺は溜息をつく。
さわれそうで、さわれないごちそう。
こんなものを見ていたら、慰められるどころか、せつなくなって来るんじゃなかろうか。
それとも、姫っていうのは、何かの象徴か?
大体、この洞窟についての資料は乏しい。
故意に隠されたのか、それとも事情があって公開されていないのか、どこで調べても詳しいことはわからないのだ。
昔ここには鉱山があって、入口などは人口で掘られたものだが、中ではあちこちで天然の洞窟と交差している。閉山されてからは、人の出入りもなくなり、魔物が出るようになったせいで、中が今現在どういう具合なのか、などは一切わからなくなっているのだ。
閉山されたのも随分前のことだから、奥がどうなっているのか詳しいことを知っている人間も殆どいない。
だからこそ、ここにはお宝が隠されているんじゃないかとまことしやかに囁かれているわけなんだが。
それにしても、やはりおかしいと思う。
洞窟から無事に帰ってきた者に、この幻覚のことを聞いたことはなかった。かなり特殊なものだから、噂になっていても不思議はないはずなのに。
考えれば考えるほど、わからなくなってくる。
これ以上悩んでもどうしようもない気がしてきた。
目の前のごちそうは、相変わらず美味しそうだし。
「なんか腹が減ってきたぜ」
俺は背負っていた袋から、油紙に包まれた物を取りだした。途中で食おうかと思っていたもので、宿の親父の自慢の一品だ。
切ったパンに柔らかく煮込んだ肉と、新鮮な野菜を挟み、香辛料を振りかけたもので、これを食べたいがために、わざわざあの宿に泊まるものもいる。
実は俺も大好物だった。
《呑気すぎるわ。……でも、確かにお腹は空くわね》
呆れかえったように髭を揺らしたリラだが、すぐに私にも頂戴とばかりに尻尾を振った。
《この子には苦労を掛けているから、少し分けてあげて》
「ああ、そうだな」
俺はよく味がしみこんだ肉をネズミに差し出すと、これからどうするかを考える。
「この先、何があるんだと思う?」
本当にお宝はあるのだろうか。
それとも、まったく違う何かなのか。
数日前に洞窟内で呪いが掛けられていたのを確認しているから、何もないとはいえないんだが。
《最後まで行ってみたいんでしょう》
「まあな」
わけのわからないことだらけだから、余計に気になる。
《私も興味があるわ。だから、一緒に連れて行ってくれる?》
当たり前だろ、と言うと、返事の代わりにネズミがちゅうと鳴いた。