365のお題

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  032 楽しかったよ!!! (その他の物語)  

 おっさんが一人、公園で黄昏れていた。
 よれよれでかなり傷んだ革ジャン。すり切れたジーパンは、ファッションというよりもくたびれたせいであちこち破れているという感じだ。
 少しだけ傾いたベンチに座って、ぼーっと夕焼けを眺めている。
 それだけならば、ちょっと世間に疲れたおっさん、というだけなんだろうけれど、何故かその人は左手に大きな虫取り網を持っていた。
 その網の部分を時々右手で弾いては、大きな溜息をついている。
 怪しい。
 どう見ても怪しい。
 それに、純粋に何しているんだろう、と不思議に思った。
 確か、このエリアには虫はいなかった気がする。どちらかといえば木々が多いこの公園は、子供たちが遊ぶための専用のものではなくて、人工的に作られた、お年寄りとかが散歩するための場所だ。
 だから、地球の季節に会わせた虫っぽいものはいるけれど、あくまで観賞用。捕まえて帰るのも禁止のはず。
 もし虫取りだったとしても、あそこまで大きな網はありえないと思うし。
 何しているのか、気になったとしても、仕方ないよね。
 そろそろと私は近づいた。
 男の顔を見てみようと思ったのだ。後から思えば、ものすごく馬鹿なことしてたってわかるけど。だって、その人が本当に“人”かどうかもわからないし。
 ところが。
「何見てんだよ」
 少し掠れた、でも甘い声がおっさんから聞こえた。
 容姿に似合わない美声だ。
 体をひねって、こちらを見る。
 顔は悪くない。髪はぼさぼさだし、髭も生えているけれど、整った顔だった。ちょっと濃いけれど。
「それに、お前、未成年だな。もうすぐ“夜”だぞ。さっさと家に帰れ」
 大概の大人たちが口にすることを、男は言う。その言葉使いといい、近くで見た雰囲気といい、どこからどう見ても、“人”だ。おかしなところはあまり見あたらない。
 だから、私はそこら辺によくいる女子高生らしく、振る舞ってみることにした。実際、よくいる女子高生の一人なわけだし。
「えー、まだ6時だし、全然遅くないと思うしー。私これから塾だしー」
 じろりと睨まれた。
「塾へ行く、という格好でもないくせに、何言っているんだ。この辺りは、“夜”になると、物騒だ。怪我する前に帰れ」
 確かに、“夜”は、いろんな意味で危険な時間だ。
 そんなこと、わかっている。でも、不審者を通報するのも“市民”の義務だよね。……たぶん。
「ねーねー、何探してるの?」
「知らん」
「その虫取り網、何に使うの?」
「うるさい」
「この辺りの虫もどきは、条例で取るのは禁止でしょー?」
 おっさんの眉がぴくりと動いた。
「警察に連絡しちゃおうかなー」
 私が携帯電話を取り出すと、おっさんの顔が鬼のようになった。
 あ、しまった。やりすぎちゃっただろうか。
「虫は取らない、俺が取るのは……」
「取るのは?」
「お前ら、市民には関係ないことだ。大体俺は仕事中なんだ。邪魔だからさっさと帰れ。警察に連絡されて困るのはお前だろうが」
 おっさんはジーンズのポケットから無造作に淡いグリーンのカードを取り出した。
 名刺ほどのサイズの身分証。
 そこに書かれた文字が読めるように、おっさんは私の目の前にそれを突き出した。
 私はなんとなくそれを声に出して読んでしまう。
「曙市役所市民局安全課、山上省吾?」
 え、だったら、おっさんって公務員? こんなに胡散臭いのに?
「なんだ、その顔は」
「だって。変な格好してるし」
 仕事中の公務員は、こんな格好はしていないと思う。スーツとか、作業着とか。胡散臭い格好しているっていうのに、仕事中なんて、絶対変。
「これは仕事をしやすくするためだ。とにかく早く帰れ。でないと、学校かしかるべき機関に連絡する」
 おっさんは、公園の入り口を指差すと、怖い顔をした。
 同時に、私がしたみたいに携帯電話を取り出す。
 おっさんが何をしているのかわからないけれど、公務員の仕事(なんだかやばそうだけど)を邪魔すると“ペナルティ”がつく。学校はそういうことにうるさいから、連絡なんかがいっちゃうと、下手したら反省文だけではすまなくなる。
「邪魔してごめんなさい」
 一応、殊勝に謝りながら、私はおっさんに頭を下げた。
 気になることはたくさんあるけれど、これ以上しつこくつきまとって、“問題ある生徒”なんてことになったら大変だ。
「おう、とっとと帰れ」
 イヌかネコでも追い払うように男は手を動かした。
 ああ、せっかく退屈が紛らわせると思ったのに、つまらない。
 背を向けて歩き出した後、ちらりと後ろを振り返ったけれど、もうこっちには感心がないのか、おっさんは最初見たときのように立ったまま黄昏れていた。
 私のことなんて、もう忘れてしまったみたいだ。
 本当につまらない。
 今日は塾もないし、寮の門限はまだ少し先だし、遊んで帰っちゃおうかな。今ならまだ、学校帰りの友達も捕まるだろう。
 そう考えると気持ちが楽しくなってきて、私は携帯電話を取りだそうとした。
 ちょうど後少しで、公園の外、というところだった。
『きしゃー!』
 私の耳元で突然耳慣れない声が聞こえた。
 驚いて立ち止まった私の体を強い衝撃が襲った。
 何かがぶつかってきたのだ。
 それが何なのか確かめる間もなく、私の体は吹っ飛ばされた。
 みっともなく地面に叩きつけられた私は、痛みに耐えながら、顔をあげた。自分を突き飛ばした相手が気になったのだ。
「う、うわ!」
 目の前に、緑色の、ヘンテコな生き物がいた。
 街の外でだって、こんな生き物見たことない。
 尖った嘴、長い手の先には水かきがあり、全身は緑色のウロコで覆われている。映画でよく見る陳腐な怪物よりもずっとリアルで、変な匂いまでしているってことは、これは現実に存在するものなのだ。
『オレト……タタカエ』
 嘴が開いて、“それ”は言葉を発した。不明瞭だけれど、なんとか意味はわかる。
 でも、戦えって、どういうこと?
『マケタラ、シリコダマ、モラウ』
 し、しりこだま? 何そのいかにも怪しげな響きの言葉は。
 私は何かを言おうとして、でも何も言えなかった。そのヘンテコな生き物が怖かったからだ。体も竦んで転がったままの私は動くことができない。
「なにやってんだ!」
 怒鳴り声とともに、誰かの手が、私の体を掴んでその場から引き摺るように動かした。
 おっさんだ。
「ちっ、この河童は節操がねえな。子供なら、誰でもいいってことか」
「かっぱ?」
「まったく、モタモタしてるから、巻き込まれるんだよ。これだから、大人の言うことを聞かない最近の若い奴は……」
 いやいや、おっさん! 説教は後だよ。
 なんだかよくわからないけれど、これって大ピンチってことなんだよね。
 というか、『かっぱ』って何?
「いいからお前は隠れてろ! 絶対動くなよ」
 ものすごい勢いで、私は茂みの中に押し込まれた。
 これは痛い。
 むき出しの手や足に、小さな枝がささって痛いよ。
「何する……むごご」
 口を塞がれた。一瞬こっちを見たおっさんの顔は、怖いなんてものじゃなかった。
 本気で怒っている。
「うるさい、静かにしてろ。……死にたくなかったらな」
 その真剣な目に、思わず頷いてしまう。
 さすがに私だって、死にたくない。普段ならば、そんなことを真顔で言われたら、冗談か相手がおかしいかと疑ってかかるところだけれど、目の前でこっちを威嚇している変な生き物を前にしては、そんなことは思えない。
「絶対に動くなよ」
 おっさんは、私に念を押すと、持っていた網を構えた。
 夕日にきらりと、網が光る。
 モノはあれだけれど、なんだか妙に様になっている。持ち慣れているんだろうかって感じ。
 私は茂みの中で体を縮めながら、おっさんの動向を見守った。
 この場から動くのが怖かったせいもあるし、おっさんが網でどうやってヘンテコな生き物をやっつけるのか興味があったからね。
 先に動いたのは、へんてこな生き物だった。
 一声吠えると、跳躍し、素早い動きで両手を突き出してきた。
 動きが速い。
 攻撃を避けたおっさんが舌打ちするのが聞こえた。
 おっさんが鈍いってわけじゃないんだろう。むしろ、年の割には、機敏だな動きだ。だけど、ヘンテコな生き物の方がそれを上回っている。
 おっさんが振り回す網を器用に避けながら、長い手を突き出して踏み込ませないようにしていた。
 うーん。なんていうか。
 どう見ても、おっさんの方が押されているように思う。防御するばっかりだし。
 大丈夫なんだろうか。
 人事ながら、心配になってきた。そもそも虫取り網ひとつで立ち向かおうとするのが間違っているような気がする。
 心配なことは他にもあった。
 もしおっさんが負けたりしたら、私はどうなるんだろう。
 素直に考えれば、次に狙うのは、私じゃないか。
 公園の入り口はヘンテコな生き物の向こう。森の中に逃げ込むにしても、あの早さだ。私程度の足では、すぐに追いつかれるだろう。
 さっき『シリコダマ』がどうとか、『戦う』とか言っていたし、かなりやばいよ。
 かといって、おっさんに加勢するなんて出来ないし。
 持っているのは鞄と携帯くらい。
 どこかに通報するっていうこともありだけど、どこに連絡していいかわからない。警察? でも、間に合わないよ。
 後は、どうにかヘンテコな生き物の動くを止めるか、気を返らせるかなんだけど。そうしたら、おっさんがなんとかしてくれるかもしれない。
 どうやって?
 力を込めた私の手に、地面に転がった石が当たった。
 石?
 そうだ、石をぶつけてみるって言うのはどうだろう。
 これでも、コントロールには自信がある。当たればラッキーだし、当たらなくても、隙が出来るかもしれない。
 私は、手近な石を掴んだ。
 問題はどこへ当てるかということだ。
 足? 手? でも動きが素早いから、なかなか狙いにくい。背中は硬い甲羅のようなもので覆われているし、体も頑丈そうだ。
 それ以外で、当たりやすそうなところというと。
 ………頭か顔?
 そういえば、あの得体の知れない生き物は、何故か頭部がつるんとしている。まるで何かをかぶっているかのように、そこだけ白く異質だった。
 他は全て硬そうなのに、何かあるのかもしれない。
 そう思うと、狙うとすれば、そこしかないような気がしてきた。
 覚悟を決めると、私は意識を集中させる。
 落ち着け、と自分に言い聞かせながら、勢いよく石を投げた。


 ぱりん、と確かに大きな音がした。まるで陶器が割れたような感じだ。
 頭に当たったはずなのに、おかしい。どうしてそんな音がするんだろう。
「え、今の何? 何が起こったの?」
 わけがわからず喚く私に、振り返ったおっさんが、なんとも奇妙な顔をした。
「皿が割れた」
「はい?」
「だから、皿が割れたんだ。それで力を無くした」
 意味がわからない。
 なんで、皿が割れると力が無くなるの? そもそも皿って何?
 地面にしゃがみこんだソレとおっさんを交互に見比べる。どうやら、頭の白いものが『皿』らしい。よく見ると、それにはヒビが数本入っていた。
 私の疑問には答えてくれないまま、おっさんは動かないヘンテコないきものに近づくと、網を振り上げてそれにかぶせる。
 すると、みるみるうちに河童の体がしぼんで、小さな石になった。
「わわ、何、この網」
「危険物捕獲用の網」
「うわー、面白い」
「面白がることか」
「うん。だって、こんなの学校では体験できないし」
 おっさんは、私を未知の異星人でも見るような目で見た。
 あー、ものすごく『これだから今時の女子高生は』って顔してる。
「……お前、ちゃんと学校へ行っているのかよ」
「え、なんで?」
「この星の特徴及び危険性は学校で繰り返し習うはずだ」
「あ、そっか。そうだよねー。うっかりしてた」
「うっかりで命を落としたらどうする気だ。古い書物に書かれたモノや化け物が特定の条件下で“実体”を持つことは、小学生以下でも知っているぞ。それに日本人なら、地球時代の書物くらい読め」
「古典嫌いなんだよねー」
「古典じゃないぞ、昔話とか民話とかの類だろ」
 似たようなものじゃないか、と呟くと、全然違うって反論された。
「ちなみに今のは『河童』。地球時代の日本では、知らないものがいないくらい有名な妖怪だ」
 ふーん、河童ね。そういえば、小さい頃聞いたことがあるような気もしてきた。
「とりあえず、おっさんの仕事は済んだんだよね。だったら、もう安全ってこと?」
「一応な」
「ふーん、だったらもう帰ろうかな」
 これ以上ここにいたら、間違いなく説教されそうだし。
 そう思っておっさんにさよならと言おうとしたのに。当のおっさんは私の顔を見て、ちょっと困ったような、何かを思案しているような表情を浮かべた。
「悪かったな」
 おっさんが突然謝った。
 邪魔していたのは私の方だから、謝られる理由がわからない。
「おまえも一応、一般市民で未成年だったよな。変なことに巻き込んだことは謝る。顔も手も擦り傷だらけだな。泥もついているし」
「ああ、別にいいよ。すぐ治るって。泥もこうやってはたけば……」
 手で汚れを擦り落とそうとしたら、おっさんが慌てたように私を止めた。
「お前な、顔だぞ顔! もしキズが残ったらどうするんだ」
 怒るところかなあ。確かに顔はひりひりするけれど、そんなに痛くはないし。大体、このキズって、おっさんが茂みに押し込んだから出来たものだと思うんだけど。
「その泥をなんとかしないと。確か、ハンカチを持っていたはずなんだが」
 ……おっさん。お約束みたいに、くしゃくしゃなハンカチをポケットから出すってどうなの。今時の男性は、もっときちんとしてるよ。女の子に嫌われちゃうからね。
 大体、こんなに薄汚れていたら、悪い菌が入りそうだよ。
 それでも、丁寧に土を拭ってくれるおっさんの手は、優しかった。
 口は悪いけれど、子供には優しいって感じなんだろうか。
「帰ったら、ちゃんと消毒して薬をつけろよ」
「はーい。あ、これ洗って返すよ」
 ポケットに仕舞おうとしたハンカチを私は強引に奪い取った。
「別に、そんなことしなくても……」
「いいからいいから」
「別に捨ててもかまわないぞ、安物だし」
 いくらなんでも、そういうわけにはいかない。
 私は、おっさんのハンカチを鞄にしまった。
 おっさんの所属も覚えたし、そこに返しに行けばいいだろう。おっさんがどんな顔して公務員しているかみてみたいし。
「おっさん、またね」
「もうこの時間にうろうろするな。それから、遊んでないで、すぐ帰れ」
 おっさんはかなりそっけない。
 でも、目は怒っていないから、大丈夫(のはず)。
 とはいっても、これ以上いると、本当に説教されそうなので、軽く頭を下げると、歩き出した。公園の入り口まできたところで振り返る。
 おっさんがまだこっちを見ていたので、大きく手を振ると、叫んだ。
「いろいろと楽しかったよ、おっさん」
 おっさんは、一瞬渋い顔をしたけれど、結局『仕方のない女子高生』というふうに溜息をつくと、返事の代わりに右手を挙げて、ひらひらと振った。

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