365のお題

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  033 私の名前 (その他の物語・32の続き)  

「山上さん、お客様ですよ」
 自分の席でだれていた俺は、この部署で一番若い村田千晶の声に、重い頭を上げた。
「客?」
 問い返す声が掠れているのは、夕べの酒が残っているせいだ。
 送別会で飲み過ぎてしまったのが原因だ。最初は普通に話していたはずだったのに、気が付けば仕事の愚痴になり、次々と酒の瓶を空け、お開きになるころには、全員が悪酔いしていた。酒に強くない課長補佐は、今日は休んでいる。おそらくひどい二日酔に悩まされているんだろう。
「俺に客? なにかの間違いだろう」
 この部署に名指しで外から客が訪ねてくることはない。せいぜい内部のどこかの課が苦情を言ってくる程度だ。仕事が特殊なせいもあるが、揃っている人間が、皆癖のある奴だからかもしれない。
「本当ですよ。えーと、女子高生?」
 かわいらしく首を傾げた村田の、目元も口元も笑っている。俺と女子高生の繋がりが気になって仕方ないという表情だ。
「まさか、隠し子じゃないですよね?」
「そんなわけないだろう」
 いくら何でも、俺の年で女子高生の隠し子はないだろう。いや、絶対にありえないと言い切れないが、それだったら、もっと大騒ぎになっていそうな気がする。
 そもそも俺を訪ねてくるような女性なんていやしない。
 いや、待てよ。
 嫌なことを思い出した。
 ほんの少し前に出会ったうるさい女子高生のことだ。
 仕事中に出会った少女。
 結果的には助けられる形になったが、ああいう人間とは二度と関わりたくない。
「出掛けているって伝えてくれ」
「あー、ごめんなさい。もういるって言っちゃいました」
 あっさりと言った村田が視線を移した先には、机を間に挟んで扉が見えた。
 そこに立っていた少女とばっちり目が合う。
「おっさんってば、本当に公務員だったんだ」
 少女は素っ頓狂な声を上げた。
 やや着崩した制服に、少し茶がかった髪、生意気そうな顔は、間違いなくあの時の女子高生だ。
 何しにきたんだ、こいつは。
 仕方なく立ち上がり、追い返すつもりで近づいた俺に、そいつは顔を顰める。 
「おっさん酒臭い」
 人を『おっさん』呼ばわりするとはいい度胸だ。
 一回り以上年上の相手に対する口の聞き方を、こいつはならっていないのかよ。よく見れば、こいつの制服は、曙市の西にある私立の学校のものだ。あそこは、成績はともかく、規律には厳しかったはずで、普段道を歩いている生徒にも、こいつのように短いスカート丈の奴はいない。
 その格好といい、言葉遣いといい、この間の間抜けな様子といい、いろいろと問題のありそうな学生だ。
「とりあえず、タメ口はやめろ。話はそれからだ」
「むー、わかりマシタ。私、今日はお礼を言いにきたんです。ほら、助けてもらったでしょ」
 嘘くさい。
 だいたいあれから1週間以上たっている。礼なら、もっと早くくるはずだ。
 大方、公務員といった俺のことが信じられずに暇潰しに見に来たというところじゃないのか。
「ここは、ガキの来るところじゃない。帰れ」
「えー、せっかく訪ねてきたのに」
「呼んでいない」
 睨み合う俺たちの間に割ってはいったのは、村田だった。
「まあまあ、いいじゃないですか。助けた市民に感謝されるなんて、滅多にないことですよ」
 だったら、笑っているのは何故だ。
「そうだよ。おっさんのいる部署探すの大変だったんだから。まさかこんな役所の隅っこにひっそりあるなんて思わなかったよ……じゃなくて、思わなかったデス」
 別に助けたわけじゃない。
 たまたま、だ。
 偶然、人が仕事しているところに沸いて出ただけだ、こいつは。
「村田、ガキにかまう暇があったら、仕事しろ、仕事」
 八つ当たりだとわかっていたが、不機嫌な俺は村田を追い払った。
「おっさん、感じ悪い」
 じろりと睨むと、『と思いマス』と取ってつけたように訂正する。
「それに、私はガキじゃないよ。タカナカセイ」
「は?」
「だから、名前。私、高中静っていうの……じゃなくて、いいマス。遅くなったけれど、お礼に来たっていうのは、本当ですから」
 そう言って、彼女は鞄の中から綺麗に折りたたまれたハンカチを取りだした。
「これ、ありがとうございました」
 深々と頭を下げて、ガキ――じゃなくてタカナカセイが言った。
 ハンカチは綺麗に洗われ、きちんとアイロンがかけてあった。
「ん? ああ、あの時のハンカチか」
「そうだよ。それに、あれから私もちょっとは勉強したんデス。河童が何かぐらいはわかったし、おっさんの仕事が、本から実体化したモノを駆除することだって、市役所のサイト見て理解したし」
 嬉しそうに笑っているが、そんなに得意になるほどのことか?
 まあ、本人が喜んでいるなら、別に構わないが。知らないでいるよりも、きちんと知っていた方がいいからな。
「学生の本分は勉強だ。もっとしっかりやらないと、将来困るぞ」
 説教めいたことを言うと、彼女の顔が曇った。曇ったというより、学校で先生に何か言われた時のような顔と言うべきか。
「だいたい、今の時間は、まだ学校が終わって……」
「あ、もうこんな時間だ」
 これ以上説教されるのが嫌なのか、タカナカセイは左手に嵌めた腕時計を見ると、わざとらしくそう言った。
「遅くなったらいけないから、もう帰りマス。それじゃあ、またね、おっさん」
 また来るつもりなのか、と言い返そうとした俺の手に、ハンカチが押しつけられた。
 そのまま、再度頭を下げると、軽やかな足取りで、少女は扉の向こうへ消えていく。
「なんだったんだ、まったく」
 呟いた俺の後ろで、村田の含み笑いが聞こえる。
 振り返って文句を言ってやろうかと思ったが、やめておいた。どうせ、何を言ってもからかわれるだけだ。
 こんなことなら、あの時強引にでも帰しておくべきだった。
 今更後悔しても遅いが。
 まさか、後になってわざわざ律儀に礼を言いにくるとは思わなかったのだ。
「ハンカチなんて、別に捨ててもよかったのに」
 そう言って眺めたハンカチは、少女の言動に似合わない甘いストロベリーの香りがした。

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