365のお題

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  035 欠片 (童話風な物語)  

 きらきらと輝く欠片は、元は鏡であったはずなのに、何も映すことはなかった。
 手の平に乗るほどの大きさだけれど、見た目に反して重い。
 指先を切ってしまわないように、机の上で鏡を転がしていると、レイクが不思議そうに私を見つめた。
「何やってんだ、リラ。怪我するぞ」
 レイクの視線は、私の手元に向けられている。
 わずかに顔を顰めているのは、私がしつこくしつこく鏡に触れているから。
 割れた鏡の縁は鋭くて、見ている方が不安になるのかもしれない。
「おかしな依頼だと思って」
 答えになっているような、少し違うような返事を返すと、レイクも頷いた。
「夢の世界に閉じこもった人間をたたき起こせってことだったな」
「そこがおかしいと思っているわけじゃないの」
 妙なのはそこじゃない。
「なぜ、私たちなのかしら」
 依頼を持ってきた男は、名指しで私たちを指名した。
 中途半端な魔法使いと、流れ者の宝探し屋。
 それほど名前が売れているわけでもなく、いつも同じ場所にいるわけじゃない。今回は、たまたま長くこの街に留まっていたけれど、わざわざ探しあてて依頼することなの?
 それに、置いていった鏡の欠片も気になる。まだはっきり返事もしていないというのに、強引に預けていった真意もわからない。
「不安なら、断るか? 返事は後日ってことだったしさ」
 レイクはそういうけれども、本当に断れるのかしら。
 断っても、何か違う方法で、言うとおりにさせられるかもしれない。
 質素な服に身を包み、穏やかな口調だったけど、態度も声音も命令しなれている印象を与える男だったわ。この部屋までは入ってこなかったけれど、護衛なのかやたら厳つい男が一緒だったしね。
 おそらく、人の上に立つ人。
 まだ、魔法使いの見習いだった頃、師匠に連れられて何度か訪れた貴族の屋敷で、ああいう人間を幾人も見た。そういう人間が、仲介も通さずに直接頼みにくるなんて、何かあるに決まっている。
「元は、精霊が宿っていた鏡だと言っていたな」
 もてあそんでいた鏡をレイクが私の手から奪い取った。
 これ以上触るなとでもいうふうに、さっさと布きれの中にくるみこんでしまう。
「見ていても、普通の壊れた鏡にしか見えないんだがなあ」
 呟きながら、さらに私から遠ざけるように、鏡を持ったままベッドまで下がり、その上に座り込む。
「手を切ったりなんて、しないわ」
「え、あ? ああ、そうだよな、そうなんだけどなあ」
 危なっかしくて、こっちが見てられねえ、とレイクは不服そうだ。
「過保護ね」
「お前がはらはらさせてるんじゃねえか。とにかく、むやみに鏡に触るのは禁止だ」
 諦め半分、おかしさ半分で私は苦笑する。私は子供じゃないわと一応釘を刺しておいてから、本題に戻ることにした。
「レイクは実際のところ、どう思っているの?」
 不思議な鏡。
 奇妙な依頼人。急ぎはしないが、時間がかかりすぎるのも困るという。
「胡散臭い。その一言だな」
「同感だわ」
 依頼はこうだ。
 この鏡の持ち主である女性は、先の戦で敵から逃げる途中、焼け落ちる館を目の当たりにした。家族も屋敷にいたものも全て死んだと思い込み、迫り来る追っ手からも逃げられないと、彼女は絶望のあまり自らに呪いをかけ、鏡の中に閉じ込もってしまったのだという。
 鏡には元々精霊の力が宿っており、持ち主である女性は、その精霊と話をすることも出来た。だから、おそらくその力を借りたのだろうと男は言う。
 屋敷が敵兵に襲われたとき、鏡そのものは割れてしまったが、その一部を彼女は持って逃げていたらしい。
「鏡の持ち主っていうのは、魔法使いだったのか?」
 そんなレイクの疑問を男は否定した。
 魔力の強い血筋だと聞いたことはあるが、彼女自身は普通の人で、魔法など一切使えない。
 男の言葉が本当だとすれば、追い詰められた状況で、無意識に自身の力を解放してしまったのかもしれない。
 稀にあるのよ。
 潜在的に魔力を持っている人間が、何かのきっかけでその力を暴走させてしまったり、無意識で使ったりしてしまうことが。
「国は、なんとか敵兵を退けた。被害は多かったが、国として滅びることはなかった。私も生き延びることが出来たのだが、彼女は戻らない」
 皺の刻まれた顔が苦しそうに歪んだのは、彼女のことを思ってのことなのか、それとも別の思いがあるのか。
 前者だと思いたい。
「私は、彼女を助けたい。やり直したかったことが、彼女との間にはたくさんあるのだ。だが、どうやっても彼女は鏡の世界から出てこない。強い結界が、彼女と我々の世界を隔てているのだよ。高名な魔法使いや学者もお手上げだ。そんなとき、先見の一人が告げたのだ、そなたたちの名前を」
 100年の呪いを受けた魔法使いと、世界を彷徨う宝探し屋。
 この二人が、鏡に逃げ込んだ人間を外へと連れ出すだろうと。
「おかしいだろう、私はそれを信じてみたくなったのだ」
 どうか、よく考えてほしい。
 そう言って去った男の姿は、あまりにも寂しげだった。


 一旦返事は保留したものの、男はまた来るといった。
 鏡を置いていった理由はわからないけれど、少なくとも私に対してはある意味効力があったといっていい。
 鏡の中に閉じこもった彼女は、自分が一人だということに気が付いているのだろうか。
 周りには誰もいない。
 たった一人きり。
 例え、目の前に誰かいたとしても、全ては作り出された幻影。
 そのことに気付いてしまったら、いったいどうなるのだろう。それとも、気が付かないように、ずっと心を閉ざし続けるのか。
 でも、永遠に気が付かないということはありえないわ。
 作り物の世界は、どこかで歪みが生まれてくるもの。
「人の作り出した世界は夢みたいなものよ。入り込んで戻ってこられなくなった者はたくさんいる」
 例え無事に帰ったとしても、その世界で何かあれば、正気で戻れるとは限らない。
 彼女の世界では、本人は絶対の存在だ。相手の思いが強ければ、それに飲み込まれてしまうことも多い。
 私はともかく、レイクにそんな思いはさせたくない。
「やめるか?」
「でも。一人ぼっちでいるのは辛いわ」
 私の呪いは、レイクが解いてくれた。
 間接的ではあるけれど、彼がいなければ、私はずっと呪われた城で来るかも知れない開放の日をずっと待ち続けていたはずよ。
 鏡の持ち主は、自らで閉じこもってしまったけれど、誰もいない世界はきっと怖い。それに、長くそこに留まれば、本当に戻って来れなくなる。
「助けてあげたいと、思うの。でも、それにレイクが付き合う必要はない」
「あのなー。約束、しただろ」
 レイクは、私の顔をじっと見つめ、どこかもどかしげに眉を潜める。
「自分で言ったんだぞ。消えていなくなったりしない。俺とずっと一緒にいる。違うか?」
「……違わない」
 そうだ。約束した。
「もし、囚われるのならば、一緒に。帰るのならば、共に。一人になったって、意味がねえ」
「本当に、そうだわ」
 私は馬鹿だ。一番大事なことを忘れている。
 私は誓ったのよ。真実の言葉をレイクに渡した。
 彼が嫌だといっても、忘れたいといっても、それは消えない。どんなことがあっても離れないって、決めたはずなのに。
「レイク。一緒に行ってくれる?」
「当たり前だろ」
 そう言ってレイクは、私を力いっぱい抱きしめた。
 ちょっと痛かったわ。


 翌日、男が尋ねてきたとき、私は言ったわ。
 依頼を受けるには、条件がありますってね。
「あなたが本当は誰なのか、教えてください」
 実は、あの後、レイクが有耶無耶なのは気持ち悪いといいだしたのよ。
 男が最初名乗った名前は偽名だってわかっていたし、私は全然気にしていなかったけど、命がかかっているんだから、あっちも本気になってもらわないとってレイクは言い張った。
“そこだけはゆずれねえ”んだそう。
 変なところを気にするのね。他は割と大ざっぱなのに。
「こちらは命がけなんだから、きちんと名乗るのが筋ってもんだろ」
 あくまで強気のレイクに、男は少し笑って頭を掻くと、自らの本名を名乗った。
 おかげで、私は久しぶりに驚きのあまり固まったわ。
「国王、陛下?」
 一応、といって男は笑う。名前だけでは疑問を持つだろうと、自身の指に嵌められていた指輪を私たちに見せた。
 予想外だったわ。せいぜい裕福な貴族を考えていたのに。
 まさか、そんな人が、国の中心部から離れた田舎街へやってくるなんて、普通は思わないもの。
 確かに、少し前に見た肖像画に似ているような気がしないでもない。これも偽名だったら、ある意味とんでもないことだけど。
 でも、この人が国王様っていうことは、助けたい女性っていうのは。
「私の妻だよ」
 あっさりと肯定するから、私はレイクと顔を見合わせた。
「どうか、あれを助けてくれ」
 深々と頭を下げた男――この場合、国王様って言うべきなのかしら――に向かって私たちは頷く。
 どこまでできるかわからないけれど、頑張ってみようと思うのよ。
 だって、ここには彼女を待っている人がいるのだから。


 森の中の少し開けた空間に、それはあった。
 崩れかけた館の跡。
 ここを人が放棄してから、それほど立っていないというのに、この荒れようは不気味だわ。
 あの人がいった、人を寄せ付けないと言う意味がわかった気がする。
「結界が張ってあるようね」
「見えないから、わかんねえ」
 レイクが脳天気に言うものだから、笑ってしまったわ。
 それはそうよ。結界が目に見えるものだったら、困るでしょう。
 でも、レイクのそんな態度は、緊張していた私の気持ちを緩めてくれた。
「レイク」
 名前を呼ぶと、心得たように彼がやってくる。
 結界を破るのはレイクならば簡単だ。
 こういうとき、レイクは便利。
「覚悟はいい?」
「もちろん」
 いつもの通り、変わらない笑みを浮かべたレイクがそこにいる。
 大丈夫。
 どんなことがあっても、レイクと一緒に現実の世界に帰る。一人では絶対に帰らないし、残らない。
「行くか」
 彼の言葉を合図に、私は、レイクの手をしっかりと握ったわ。
 夢の中でも、決して離れないように。
 握り返してくれたレイクの手の先から伝わる、彼の中の魔力を感じとると、私は強く念じた。
 鏡の中へ。
 “彼女”が作り出した夢の世界へと続く扉が開くようにと。

 そうして、私たちは、“彼女の物語”を終わらせるために、その不思議な世界へと足を踏み入れたのだった。

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