「様をつけるのは、やっぱりおかしいと思うんです」
狭い部屋の小さなテーブル。
お互い向かい合ってお茶を飲んでいたとき、ナホは勇気を出していってみた。
どう考えても、年上のえらい騎士さまに『ナホ様』と呼ばれるのは気持ち悪い。
「必要性が感じられません」
やっとの思いで言った言葉を、目の前の無表情な騎士はあっさりと否定した。
「ナホ様は、陛下の血を引く方であり、禁書の主でもあります。一介の騎士が呼び捨てになどできるはずもないでしょう」
「……カズイさん、今のすごく棒読みです」
心がこもっていなかった。それどころか、どこか投げやりにさえ感じられた。
「そうですか? 騎士としては当然の言葉です」
騎士でないのなら、言ったりしない。そう取ってもいいということだろうか。
おそらくそうだろう。
「それに、俺のことは、呼び捨てにしてもらってもかまわないのですよ」
まったく表情を変えないまま、そんな恐ろしいことを口にする。
出来るわけがない。いや、むしろしてはいけない気がする。
最初から、怖い人だった。
口調は丁寧だし、決してナホのことを見下すような態度はとらない。けれども、言葉の端々に、得体の知れない怖さを感じる。
例えば、嫌だと思っている感情を必死で隠しているような。
どこか苛立っているような。
それに、聞かれたことは答えてくれるが、それ以外は相手にもされない。
もしかすると、とナホは思う。
「カズイさんて、私のこと嫌いでしょう」
ヤケクソで言ってみた。鈍いナホでも、なんとなくその程度は察することは出来るのだ。
案の定、これには返事がなかった。
ほんの少し唇の端をあげて、笑っただけだ。
ああ、やっぱり。
口には出せないから、心の中でそう呟く。
でも、それも当たり前かもしれない。最初に会ったとき、彼は自分は禁書を守るために来たといっていた。騎士の中でも、禁書に関わることが出来る人間は、かなりの実力の持ち主だ。階級も上位だろう。王都にいれば、将来は約束されたようなもの。
それが、こんな辺境の町に住む、殆ど一般人の元にいなければならないというのは、まるで左遷のようではないか。
騎士はプライドも高いという。
今の状況を苦々しく思っているに違いないのだ。おまけに、この任務に期間があるのかどうかもわからない。
下手をすると、一生なんてこともありえる。
禁書を扱える騎士の数は少ないから、簡単に誰かと交代などもできないだろう。
「ねえ、カズイさん。本当に、禁書と私を切り離す方法はないんですか?」
もう幾度か尋ねた言葉をもう一度繰り返す。
だが、カズイの返事はいつもと同じだ。
「そういう方法があれば、試しています」
「そうですよね」
「ああ、でも」
ふと思い出したように、カズイが口に運びかけていたカップに視線を落とす。
「あなたが突然の事故にでもあって亡くなれば、禁書とあなたは切り離される可能性はありますね」
「え、そうなんですか?」
それは初耳だ。
「あくまで禁書は、あなたに害をなすものを廃するのです。不慮の事故に殺意はありませんから、おそらくは」
「え、じゃあ、事故に見せかけて殺されるとかあったり?」
「それはないでしょう。事故に見せかける時点で、そこに殺意が存在しますから。残念なことに」
残念なのか、そうなのか?
突っ込みたい気持ちを必死で押さえる。
「私、まだ死にたくないです」
「そうですね、私もです」
会話がすれ違っている。それともわざとなんだろうか。
どちらともとれず、ナホは曖昧に笑ってみせた。
「とにかく、人がいるところでは、絶対『様』はつけないでください。人間関係に支障を来します」
話がどんどんずれてしまっていることに気が付いたナホは、きっぱりとした口調でそう告げる。
「ナホ様はそう思われるんですか?」
そうなんです!
と叫びそうになるのを我慢する。
だんだん、カズイがナホを様付けで呼ぶのは嫌がらせなんじゃないかと思えてきた。
「一応、カズイさんは最近見つかった母親の親戚ってことになっているんです。それなのに、そんな呼び方されたら、思い切り怪しいじゃないですか」
「ああ、そういうことですか」
そういうことなんです。
涙目になりながら、ナホは頷いた。
「わかりました。二人きりではない場所ではそういたしましょう。ナホ様」
家の中では改めてはくれないらしい。
胃が、痛くなる。
思わずお腹を押さえたナホは、本当に二人でやっていけるのだろうかと、もう何度目かになる質問を自分に投げかけたのだった。