365のお題

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  056 刹那  

 すれ違った瞬間、見えたのは赤い髪。
 そう思った時、俺は手を伸ばしてその人物を捕まえていた。


 この街に立ち寄ったのは偶然だった。
 砂漠を移動するために、食料や水を補給するのが目的だ。長居をするつもりはなかった。必要なものを揃えれば、すぐ出立するつもりで、大通りを歩いていたのだ。
 砂漠の街ということで、旅人も多く、人種も様々だ。
 こういう場所では自分の銀の瞳も黒い髪も、大勢に埋もれてしまって目立たない。
 もっと色彩豊かな容姿のものが大勢いるし、不都合なことがあるのか顔を隠しているものも幾人か見かける。
 それなのに。
 視界の端に、見覚えのある赤が映った。
 血のように美しい赤。
 そのことを認識したとたん、考えるよりも先に体が動いてしまったのだ。


 捕まえたのは、ふくよかな体形のやや白髪混じりの女性だった。
 困惑したように、俺の顔を見上げている。
 女性は瞳も黒で、俺が見た赤はどこにもない。
 だが、何故だろう。
 俺は、その女性を知っていると思った。わかるのだ。
「……魔女、か?」
 掠れた声で訪ねると、女性の目が楽しげに揺れた。
 そのまま、容姿とは不釣り合いなほど無邪気に笑い、ペロリと舌を出した。
「どうして、わかっちゃったの」
「見えたんだ。赤い髪が」
 あら、と言って女は笑った。
「私、変装の術には自信があるのに」
「そうだな。今、ここにいるのは、見たこともない姿の女だ」
 どこから見ても、あの時森で別れた魔女には見えない。砂漠の民特有の容姿をした、中年の女だ。
「面白いな。今まで、魔女以外で、私を見つけたのは、あなたが初めて」
 女がゆっくり目を閉じる。
 やがて開いた目は、あの時見た瞳の色―――緑だった。
「どう? これも一種の魔術なのよ」
 正直、驚いた。この魔女は、こんなふうに自由自在に姿を変えられるのか。
 ならば、俺が見たあの姿も偽りなのか。
 俺の困惑に気が付いたのか、女が目を細める。
「森で見せた私の姿は、本物。正真正銘、生まれた時から持っている姿よ」
 その言葉に、安堵する。
 別に、女がどんな姿でも構わないが、あの赤い髪は気に入っていた。ニセモノだと言われたら、残念に思っただろう。
 そんなことよりも、聞きたいことがあった。
「どうして、ここにいる?」
 女が住む森は、こことは別の国だ。距離もかなり離れている。魔女はあまり人のいる場所に現れないと思っていたが、違うのだろうか。
「私の表の職業は薬師なのよ。この街へは仕事で来た」
 女が俺に飲ませた薬の効果を思い出し、なるほどと思う。あれほどの腕があれば、自らを薬師と名乗っても違和感を感じない。
「あなたこそ、ここで何を? やるべきことがあるって言っていたけれど」
「その途中だな。それより……」
 女に呼びかけようとして、俺は気が付いた。
 そういえば、俺は女の名前を知らない。
 短くはない時間一緒にいたのに、互いに名乗り合わなかった。
「シャイリィ」
 女は微笑む。森で見た時と似ている笑みだ。容姿はまったく違うのに、何故か美しいとさえ思う。
「薬師の私はシャイリィと呼ばれている。次に会ったときは、そう呼べばいい」
「次?」
「そう。そうね、もし、たくさんの人の中から、また私を見つけられたら、本当の名前を教えてあげてもいい」
 それは、どんな名前だ?
 魔女は、真の名前を持つという。魔女同士でしか、教え合わない名前。
 それを、俺に教えると?
「俺は人間なのに?」
 問い返すと、女は顔を顰めた。
「人間だけど、あなたの感情は魔女に似ている」
 シャイリィはそう言うと、胸元に手を滑らせ、銀の鎖を引き出した。
 その先に輝くのは懐かしい光。俺の『感情』だ。
「こんなに人間らしい感情なのに、どうしてかしらね。魔女の匂いがするのよ」
 女は知らないのだ。
 それが、誰に向けられた『感情』なのかを。あの思いは、自分でも驚くほどに激しいものだった。
 一目見た時から、欲しくてたまらなくなった。何を捨てても、女に忘れられたくなかった。
 どこか歪んだ愛だ。
 そういう部分が、魔女に似ているのだろうか。それとも、俺自身がどこかおかしいのだろうか。
 それでも、構わない。魔女に近いというのならば、もっと魔女を知ることが出来るかもしれないのだから。
「俺の名前は、ゲイルだ」
 女が名乗ったから、俺も自身の名を口にする。
 それが礼儀だと思ったからで、それほど深い意味などない。
 だが。
「げいる?」
 女が俺の名前を呼んだ。
 その響きがひどく愛しげに聞こえて、俺は自分が彼女に愛されているのではないかとさえ思った。
「では、ゲイル。またどこかで会いましょう」
 シャイリィはそう言うと、俺の手をすり抜けて離れる。
 不思議と、追いかけようとは思わなかった。
 きっと、また会える。
 いや、どこにいても、必ず見つけてみせる。
 そんな確信めいた思いを胸の中に抱きながら、女の姿が消えた先を俺はいつまでも見つめ続けていた。


 再会したのは一瞬。
 だが、俺にはそれだけで十分だった。

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