おにいちゃんなんか、嫌いだ。
ちょっと私よりも先に生まれて、ちょっと頭もよくって、ちょっと顔がいいくらいで、いばってるんだもの。
むかつくーって、脛を蹴ったら、淑女はそんなことしないって、げんこつで頭をこづかれた。
ひどい。
おにいちゃんは、大きくて頑丈で、足を蹴ったって痛くも痒くもなさそうだけど、私の頭は無防備なんだからね!
可愛い妹に痣でも出来たらどうするの! それより、可愛い妹が叩かれすぎてお馬鹿さんになったらどうするの!と詰め寄ったら、それ以上頭は悪くならないだろうって、言われた。
それって、どうなの。
お隣のミヨちゃんも、学校で一緒のユリちゃんも、自分のところのおにいちゃんは優しくって好きっていっていたけど、信じられない。
勉強だってわからないって言ったら教えてくれるし、ご飯を食べに連れて行ってくれたり、お土産を買ってきてくれたり。
何ソレ。
本当におにいちゃんて生き物なの。
それとも、世の中のおにいちゃんは、みんな妹には甘いの。うちのおにいちゃんが特殊なの。
いろいろ問い詰めたら、『よその妹はうちと違って可愛い』と言われた。
やっぱり、おにいちゃんなんか、嫌いだ。
ばかーっと叫んで、私はその場を駆けだした。
妹の癖に、ナマイキだ。
俺がそう言うと、あいつはほっぺたを膨らませた。
だって、そうだろ?
いちいち俺の服装に口を出すし、家の中で下着一枚で歩いていたら叩かれるし、髪の毛はちゃんと切れとか、ヒゲを剃れとか、うるさくて仕方がない。
いいじゃないか。
仕事の時は、いつもきっちりしなくちゃいけないんだから、家にいるときくらい好きな格好したってさ。
別に、家族以外の誰かが見てるわけじゃない。
家は、仕事場からも街中からも離れているし、庭だけはやたらと広いから、間違って誰かが来ることはないし、仮に覗かれたとしても、ただの男の裸だろ。誰が困るっていうんだよ。
姉さんも兄さんもじいさんも両親も、誰も何も言わないぞ。
文句を言うのはお前くらいだ。
それに、長髪も髭も最近の流行なんだぞ。
これでも、道を歩けば女の子がきゃーきゃー言うんだぞ。
なんだよ、そのあきれたような目は。
よそのおにいちゃんは、もっと優しい?
知らないよ、そんなこと。それに、俺だって十分優しいじゃないか。
この間だって、どうしても見たいっていう観劇につきあってやったし、親に内緒にしたい買い物のことだって黙っておいた。
それだけじゃ、足りないっていうのかよ。
だいたい、よそで聞く妹っていうのは、もっと可愛い。おまえみたいに、いちいち文句は口にしない。
いろいろ五月蠅いから、そう言ったら、ますます機嫌を損ねたようだ。
ばかーっと、耳が痛くなるほどの声をあげて、妹は廊下を走っていった。
なんなんだよ、いったい。
「あらあら、また喧嘩ですの?」
上品な仕種で扇を開くと、それで口元を多いながら、彼女は、ほほほ、と笑った。
「だって、ひどいんです」
子供っぽいってわかっていても、頬を膨らませずにはいられない。
「他の人には優しいのに、妹の私にだけは意地悪なんです」
まあ、と一応眉を潜めてくれるが、彼女の目は笑っている。
確かに自分の言い分は、大人げないかもしれない。淑女が言う言葉ではないかもしれない。
でも、やっぱり、おにいちゃんの態度に、納得できないんだもの。
「わたくしから見れば、貴女の兄上は、十分あなたに甘いと思いますわ」
「甘くなんてないです」
ふくれっ面のまま、目の前のグラスに手を伸ばすと、ずずっとジュースをすする。同じように目の前でジュースを飲む人は、とても優雅に見えるのに、何が違うんだろう。
私のように、音なんて立てない。
礼儀作法に厳しい父様にいつも注意されていたことを思い出し、憂鬱になる。
この人のようならば、きっと父様だって怒ったりしないだろう。母様は、父様が口うるさいのも、無表情なのも、昔からで、口で言うほどは怒っていないのよと言うけれど、やっぱり誉めてもらう方が嬉しい。おにいちゃんは、あれでいろいろ完璧だし、きっと父様の血をいっぱい引いているんだろう。楽天的なところは母様似だし、本当に私って、悪いところばっかり受けついているんじゃないの。
「もっと、素直になるべきですわ。甘えられる時期は、今だけですわよ。喧嘩できる日もね」
言われていることはもっともで、たぶん彼女の言うことは正しいんだろう。
でも、それと納得できるかどうかは違うと思う。
「お迎えですわよ」
扇がひらりと動き指し示した場所に、背の高い男が困ったような顔で立っていた。
おにいちゃんだ。
「申し訳ありません。妹が御迷惑をお掛けしているようで……」
深々と頭を下げる姿は、いっつも家でぐーたらしているおにいちゃんとは全然違う。
伸ばした髪を後ろでひとつに結び、髭もちゃんと整えてあって、着ている服だってびしっと糊がきいている。
「迷惑など、かけられていませんわ」
優雅に貴婦人らしく微笑んだ彼女に、おにいちゃんの頬が一瞬赤くなる。
む。
なんだか、気に入らない。
確かに、彼女は美人で、ばっきゅんぼん!ってやつだけど。
そんな目で見なくてもいいと思う。
「それよりも、羨ましいくらいですわ。わたくしには、姉妹しかおりませんもの」
彼女の言葉に、おにいちゃんの顔はますますデレデレになった。
「やっぱり、おにいちゃんなんか、きらいー!」
叫んでかけだした私だけど、本当はわかっている。
優しくないし、意地悪だけど。
あきれながらも、おにいちゃんは私を捜しにくるだろう。
そして、文句を言いながらも、私の好きなお菓子をおごってくれるのだ。
いつまで続くかわからないけれど、素直になるのは悔しいし、結局こうやって喧嘩している方が楽しいから―――当分は我が儘な妹でいさせて、というのも、やっぱり我が儘なのかもしれない。