抱きしめたら、潰してしまいそうだ。
それが、私がアイ殿を見た第一印象だった。
彼女はとにかく、小さかった。
ふわふわと波打つ銀の髪と、おおきな菫色の瞳。表情は豊かで、私が話しかけると、本当に嬉しそうに笑ってくださる。
正直に言おう。
私は可愛いものが好きだ。
女性も、小柄で可愛い方がいい。
私の腕の中にすっぽりと収まって、ちょうど見下ろしたら頭のてっぺんが見えるくらいが好きなのだ。
それでいえば、初めて会ったときから、アイ殿は私の理想そのものだった。
初対面の私に彼女が笑いかけた時、思わずそのまま交際を申し込みそうになってしまったくらいである。
けれども、彼女は巫女。
私が仕えるべき相手で、これから、遠い神殿まで、彼女を無事送り届けるのが仕事なのだ。
冷静にならねば。
そう思いながらも、どうしても彼女の顔ばかり見てしまう。
こんなことでは、騎士失格だ。
自分の気持ちを引き締めるように気合を入れ直すと、私は邪な心を押さえ込むべく、訓練用の剣を振るった。
皆が和やかな雰囲気で休んでいるのを眺めながら、私はその中にアイ殿がいないことに気が付いた。
神殿までの道のりは遠く、その途中に町や村が常にあるわけではない。
時にはこうやって野宿をすることもあるが、その場合はなるべくひとかたまりになるようにしていたのだが。
近くのものにアイ殿の居場所を聞くと、馬車の中だという。
最近、アイ殿は元気がなかった。あまりよく眠れないからだと本人は言っていたが、信じにくい。一度、本人に確かめても見たのだが、こちらに気を使っているのか、曖昧に否定しただけだった。
まだ、私たちに心を許してくれていないのかもしれない。
小さな村で穏やかに暮らしていた彼女は、騎士とは無縁の生活を送っていたはずだ。巫女として神に仕えなければならないことは家族や村に訪れる司祭から聞いていただろうが、恐らく村を離れるのも初めてのはずだ。
不安になっても不思議はないのである。
それに、聞き分けが良すぎるのも気になった。
途中で合流したもう一人の巫女に手が掛かりすぎるため、なんでも自分でこなしてしまうアイ殿のことは、どうしても後回しになってしまうのだ。
これではいけないと、皆もわかっている。
なんでも出来るからといっても、彼女は巫女で、か弱い女性だ。
旅さえしたことのないアイ殿が辛くないはずはないのだ。
この旅の責任者である私がしっかりしなければ。気持ちを新たに、私は馬車へと向かった。
前回はうまくはぐらかされてしまったが、今度こそは思うところを聞きだそう。
だが、そう思って覗いた馬車に、アイ殿はいなかった。
きちんと畳まれた毛布にも、馬車に置かれた荷物にも乱れた様子はなかった。
見たところ、何かがあったわけではないようだ。おそらく、アイ殿は自分の意思でここを出ていったのだろう。
だが、誰にも声を掛けなかったのはどういうわけだ？
馬車の近くにいた別の騎士に声をかけるが、知らないという。ただ、彼がここへ来たときには、もう馬車には人の気配はなかったらしい。
私は、不審そうにこちらを見る同僚になんでもないというと、巫女殿を探すためにその場所を後にした。
もしやと思い覗いた、もう一人の巫女の馬車にもアイ殿はいなかった。
ぐるりとあたりを一周してみたが、やはり姿が見えない。
今いるこの場所は比較的安全な場所とはいえ、街道からはずれているから、何が起こるかわからない。そう遠くに一人で行くなど無謀なことをするとは思えないが、探さなければならない。
そう思って、馬車を止めている場所から、少し歩いた時だった。
はらりと、上から何かが降ってきた。
何か――緑色のまだ堅い木の実。しかも一ひとつではない。
なんだと思って見上げてみると、すぐ側の大きな木の上に人影が見えた。
小柄で、銀色の髪。
「あ、ハヤトさん」
そして、聞き慣れた少女の声。
月明かりを背にして、木の上から自分を見ているのは。
「アイ殿！？」
な、な、な、なぜ、アイ殿がこんなところに！！
どうして木の上に登っておられるのだ？
「気持ちいいですよー？」
そう無邪気に笑う姿は、まるで精霊のようだ。
可愛らしい。
思わずにやけそうになる顔を、慌てて引き締める。
「とにかく、すぐに下りるんだ」
「え、せっかく上ったのに」
珍しく不服そうな顔を見せたアイ殿だったが、私の顔と空をしばらく交互に眺めたあと、溜息とともに、頷いた。
「わかりました。すぐにおります」
その瞬間、彼女が空から降ってきた。
予想外の行動に、あわてて彼女を受け止める。いったい何を考えているんだと怒鳴りそうになった口は、思った以上に軽い体に発することが出来なかった。
ちゃんと食事は食べておられるのか。
もしかして、旅がつらくて、きちんと栄養を摂っていないのではないか。
心配になってしまう。
そうだ、もっと消化がよくて口当たりのいい栄養たっぷりなものを出すように言っておかねば。
「ふわふわ、ですね」
腕の中で、ふいにアイ殿が言った。
上目遣いに私を見た瞳が潤んでいる。
「思った通り、ハヤトさんの毛ってとても気持ちいいです」
そう言って、アイ殿が私にすり寄ってきた。
「あ、アイ殿！？」
胸が。
胸が思ったよりも大きい―――いやいやいや、何を言っているのだ私は！
だめだ、これ以上アイ殿に近づいたら、理性を押し退けて本能が暴走してしまう。
そんなことになったら、きっとアイ殿は傷ついてしまうだろうし、軽蔑するだろう。それに何よりも彼女は巫女だ。
守らなければならない神聖な存在なのだ。
決して、汚らわしい目で見てはいけないのだ！
それなのに。
腕の中のアイ殿は、まったく私に対して警戒心など持っていない。
それどころか、信頼しきった目差しで私を見ている。
そうだ、この期待を裏切ってはいけないのだ。
私は、騎士――巫女を守る騎士なのだから。
「アイ殿、戻ろう。ここは危険だ」
おそらく私が、と言いそうになってしまって慌てて口を閉じる。
「ハヤトさんの腕の中って、ものすごく安心します。……なんだか眠くなって……」
「アイ殿？」
呼びかけると返事がなかった。
どうやら眠ってしまったらしい。
最近のアイ殿は、確かに夜寝ることができないようだった。
皆に心配をかけまいと昼間は明るく振る舞っているが、やはり慣れない旅で疲れておられるのだ。
そうだ、そうに違いない。
そうでなければ、異性の腕の中で、こんなに簡単に眠ってしまうはずがない。もしかすると、まったく異性として見られていないのかもしれないが、あまりにも悲しすぎるので、そのことは考えないようにする。
だが、問題は、私の心情ではなく、この状況だ。
動けない。
固まったまま、私はその場を動くことさえ出来なくなっていたのだ。
起こせばいいとはわかっている。
起こせなかったとしても、このまま馬車まで運んでしまえばすむことだ。
こんなに無防備に異性に密着してはいけないと怒らなければならないのもわかっている。
だが、どれも出来なかった。
この時間が惜しいと思ってしまうのだ。
誰にも邪魔されず、二人きりでいたい。
もう少し、彼女に触れていたいのだと。
月明かりだけが照らす中、聞こえてくるのはアイ殿の寝息と、自分の早い鼓動だけ。
自分がアイ殿を探していたのは、皆が知っている。
あれから、それなりの時間もたった。
そのうち、いなくなった私やアイ殿を誰かが探しにくるだろう。
それまで私の理性が持つか、彼女が目覚めるのが先か。
だが、せめて、今この瞬間だけは、このまま私の腕の中にいてほしい。
思ってはいけない願いは、私の中から消えそうにはなかった。