「王都へ行こうと思うんだ。聖騎士になる資格を得ようと思って」
ある日突然、同僚がそんなことを口にした。
掃除中だったし、つい最近同じ下働きの年配の女性がやめたばかりで人手が足りず、忙しかったので、『ああ、そう』とだけ言って無視していたら、不機嫌そうに『それだけ?』と言われてしまう。
それだけも何も、同僚が王都に行こうが、超難関と言われる聖騎士の試験を受けようが、私には関係ない。
「がんばれとも言ってくれないのかよ」
ふてくされたように文句を行ってくるが、同僚の人生だ。
悔いのないようにすればいいと思う。
でも、考えてみたら、長年同じ場所で働いていた相手から、そんな冷たい態度を取られたら、私だってちょっと嫌かもしれない。
だから、箒を動かす手をとめて、同僚を見た。
神殿で働く『騎士』という役職を持つ彼は、私よりほんの少し年上の青年だ。
私がここに勤めだした頃にはもういたけれど、あまりにも地味な顔だったために、初対面の記憶はない。
本人曰く、買い出しに出る時の護衛兼荷物運びで町までついていったと言い張っているが、本当に覚えていない。そもそも私はおとなしいと思われているので、道中一緒でもほとんど会話がなかったはずのだ。
「まあ、せっかく騎士なんだから、華やかで給料もいい聖騎士に憧れるのもわかるけどね」
建物だけは豪華で大きいが、所詮ここは田舎の神殿。
王都の中にある大きな神殿の騎士とは違い、神殿を守るよりも雑用が多いというぱっとしない状態だ。
若い女性も少ないから、『神殿騎士』ってだけで、もてもてにもなれないし。
一番近い町だって、最近老人の数の方が増えてきているというし。
魔物も出てくるが、つい最近『巫女』様が現れたことで、その襲撃も減っているから、強さを自慢することもできない。
その点、聖騎士は違う。
扱いがそもそも違うし、雑用なんて一切しなくていいし、仕えるのも中央にある神殿の巫女様や大神官様だ。運が良ければ、有力貴族や商人の令嬢と知り合い、結婚なんてこともありえる。
ただ、聖騎士に血筋や身分は重要視されないが、実力重視な故に、知識も剣の腕も立ち居振る舞いも中途半端は許されない。
定期的に行われる聖騎士への資格試験だって、合格者無しなんてよくあることだ。
目指したからといって、そうそう簡単になれるものではないのだ。
普段からぼーっとしている同僚がそれを目指すというのならば、快く送り出してあげるのが正しいことなのだろう。
見知った人間がいなくなるのは寂しいことだけどね。
「で、さ。その。聖騎士になれたら、その……してほしいんだ」
「はい?」
一部聞き取れなくて、私は問い返す。
自分の考えに浸りきっていたから、よく聞いていなかったというのもあった。
「だからさ、結婚を前提に付き合って欲しいんだよ」
どこかもじもじしながら、一気に言い切った同僚を前に私は固まった。
しかも、予想外の、けっこん、という言葉に、頭が真っ白になる。
ああ、なんでそんなこと、いまさら言うんだろう。
つかず離れず、一定の距離を保っていたはずだし、こちらから親しくなろうとするそぶりなんて見せた記憶はないのに。
同僚は優しくて、無愛想な私にも気を遣ってくれて、側にいるのは居心地がよかったから、友人以上の感情は見せなかったのに。
「……ごめん。付き合うことはできないよ」
今の私は、断るしかない。
ずっと前に、誰のことも好きにならないと、誓っている。
申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、同僚は思ったよりも落ち込んではいなかった。
「あー、やっぱりそうか。駄目なんじゃないかって思ってたんだ。誰にもなびかないのは、好きな人がいるって、噂だったし」
いや、好きな人なんていないけど。
でも、誤解されたままの方が助かるので、反論はしない。
何度告白されたって、私の答えは一生変わらないわけだし。
大丈夫。
都には綺麗な娘さんだってたくさんいる。
聖騎士にでもなれば、ほうっておいてもよってくるだろう。なれなくても、王都で働くことにでもなれば、忙しさにまぎれて、私のことはすぐに思い出になる。
「あなたのことは嫌いじゃないけれど、結婚相手としては考えられない」
そもそも、私と、あなたは違う。
誰にも言っていないけれど、私はこの世界の人間じゃないのだ。
見た目だけではない何かが彼らと決定的に違う可能性がある。子供だって出来るかどうかわからない。だから、私はひっそりとここで――神殿で生きていくと誓ったのに。
それを揺らぐようなことを言われたら、悲しくなる。
嬉しくて流されそうになる自分が、本当に嫌になるよ。
「あー、でも、すっきりした。これで心置きなく都に行ける」
私とは正反対に、晴れやかな顔の同僚に、曖昧に笑ってみせた。
何も言ってくれなければ、大好きな同僚のままでいられたのに。
……私の中にくすぶるこの思いを見ないふりでいられたのに。
勝手だとわかっていても、相手のせいにしてしまいたくなる。
いつまでこうやって偽り続けて生きていくのだろう。
それでも、私はそうするしかない。
平凡で目立たず、この国の大多数と同じであることだけが、私の望みなのだから。
「心の底から遠慮なく、大好きって言えたらよかったのに」
そんな私の呟きは、青い空に溶けて消えていった。