365のお題

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  069 流れる  

 流れてきたのは、桃だった。
 ぷらぷら、ゆらゆら、それほど流れの速くない小さな川を、赤みがかったどこか毒々しい色の桃が流れていく様は、はっきりいって不気味だった。
 大きさも、桃とは思えないものだ。
 人の頭よりも大きい桃は、もはや桃ではない。
 これ、斧か何かで二つに割ったら、恐ろしいことになるんじゃないの。
 確かにこの村には、そんな話が伝わっている。
 桃から神の使いが生まれたとか、生まれなかったとか。その神の使いは、この村を豊かにし、襲ってくる魔物を退治して回ったという。近くの山にはそれを祭った祠もある。
 毎年、桃が流れてきたという時期には、村で祭もあった。
 でも、それがあったのは一度きり、本物の桃がこの川を流れてくることは二度となかった。
 流れてきても、もちろん困るけど。
 その時桃を拾ったのは、村の長老夫婦で、既に孫までいるような人たちだった。
 得体の知れない神の使いの一人や二人、余裕で育てられる環境だったのだ。
 だが、私は違う。
 万が一、中から神の使いが現れたとしても、育てられないし、何より食べさせてなんかやれない。伝説では、神の使いは、大人10人分もの食事を朝昼晩と食べたらしいのだから。
 ただの桃だと信じているが、万が一ということもある。
 この世の中、人には解明できない謎な出来事もあふれているのだ。
 可も無く不可も無く、平凡に生きてきた私には、奇妙な出来事、不思議な現象は荷が重すぎる。
 ……見なかったことにしよう。
 ただの変な桃という可能性の方が大きいだろうしね。
 そう思って目をそらした時、声がした。
「ひろってー」
 ………。
 聞こえなかった。
 うん、私には何も聞こえなかった。
 微妙に反らした視線の片隅で、桃が遠く流されていくのが見える。
 すっかり視界から毒々しい色が消えてから、私は空を見上げた。
 川には魚を捕りに来ただけだ。さきほど罠を確認したところ、中身は空だった。今晩の夕食は質素になるが、野菜や干物の蓄えはそれなりにある。
 普段ならば、畑仕事をこなした後、また罠を確かめにくるのだが。
「今日はもうやめよう」
 そう呟いた私は、川を後にする。
 その日、私は結局川へと戻らなかった。


 翌日、私は昨日のことをすっかり忘れ、朝早く川へと向かった。
 それがいけなかった。
 罠を確かめ、今日も収穫なしだったことにがっくりし、そういえば最近捕れる魚の量が減ったなどと、考えていた。
 村にいる自称『自警団』の人たちが、この頃魔物も増えたななんてことを口にしていたから、そのせいかもしれない。
 魔物――とくにこの辺りをうろうろしているのは、主に獣系の魔物。
 彼らの食料は、魚とか小動物などで、私たち人間と被る。
 だから、魔物が増えると、魚も減るということも、よくあることだった。
 とはいっても、そこまで深刻な状況に陥ることは稀だ。人は魚や小動物だけ食べているわけでもないしね。
 もちろん、困ることには間違いないから、あまりにも被害がひどくなると、魔物を退治する討伐隊なるものが組まれることになる。
 滅多にないことだけど。
 どちらにしても、今ここで自分が作った罠をいくら眺めたところで、魚は沸いてでない。
 私は夕方に期待を込めることにして、その場を立ち去ろうとした。
 その時である。
 ぽちゃん、ぽちゃんと、何かが跳ねるような音が、川上から聞こえてきた。
 なんだろうと、そちらに顔を向け――後悔した。同時に、昨日の朝のことが甦る。
「桃!」
 もはやそれは叫び声に近かったと思う。
 桃が、川を跳ねていたのだ。
 跳ねながら、川を流れてくる。
 そして、聞こえてくる、昨日と同じ声。
「ひろってー」
 同時に私は『ぎゃーっ!』と叫んでいた。
 これはもう。
 逃げるしかない!
 私は、後ろを振り返ることなく、その場を後にする。人生で一番、死にものぐるいで走った瞬間かもしれない。


 川を後にした私は、そのまま家には帰らず、村の巫女兼治癒師である、婆さまのところへと駆け込んだ。
「婆さま、私、呪われてるかもしれない!」
 叫んで、そのまま息が切れて、地面に突っ伏した。
 く、苦しい。
「……知花よ。人の家に来るときは、いきなり駆け込んできてはいけないと、あれほど言っておいたはずだが。客が来ていたらどうするつもりだ」
 部屋の中央に、置物のように鎮座する婆さまが、呆れたように言った。
「だって、婆さま。川で変なものを見たんです。しかも、二日続けて!」
 息切れしつつも、顔を上げた私は、婆さまに訴えた。
「それに、今日は誰も婆さまのところに来ていないのは、入り口を見たらわかります」
 婆さまの家に客が来ていたら、扉はきっちりしまっている。おまけに、中に誰も入らないよう、普段は婆さまの身の回りの世話をしている男性が、門番よろしく扉の前に立っていて、誰も中には入れないのだ。
「だからといって、おなごがそのようにはしたない様子でどうする。お前の死んだ母も、いつまでも落ちつかない様子に心を痛めているに違いない。そもそも……」
 やばい。
 このままだと、婆さまの説教が始まりそうだ。
「婆さま、説教なら、後でいくらでも聞きますから!」
 私は真剣な顔で婆さまに詰め寄った。
「それよりも、桃なんです!」
 私は叫んだ。いい加減、喉も痛くなってきているけど、それでもだ。
「桃が流れてきて、ひろってーで、跳ねているんです!」
「……わからぬ」
「だから、桃が川を……」
 はあ、と婆さまがため息をついた。
「慌てているのはわかるが、もう少し順序立てて話せ」
 あきれたように言われ、しかも『そうでないなら話は聞かぬ』とまで言われてしまう。
 ……確かに私は、焦りすぎていたと思う。
 頭の中を桃が占めすぎていて、事情説明をちゃんとしなかったのは事実だ。
 ふーはーはー、と大きく息を吸い込んだり吐いたりした。
 うん、大丈夫。頭の中がかなりすっきりしてきた。
「実はですね、婆さま」
 私は、なるべく詳しく昨日からの一連の出来事を話した。
「それは、まことか」
 うーむ、と唸った婆さまの顔は、普段見たことがないくらい厳しいものだったのだ。


「知花、よく聞くがよい。その桃は神からの、授かりもの」
 半目になり、何事か考えこんでいた婆さまが、おもむろにそう言った。
 なんでも、そのむかしこの地に神の使いも、流れてきた桃から現れたのだという。
「ならば、婆さま。早く拾いにいってください」
「何を言う、知花。お前は神に選ばれたのだ。お前が拾いなさい」
「えー」
 不服そうに声をあげた私を、婆さまが睨んだ。
「桃がどうのと言ってきたのは、お前のみ。あの川には、他にも罠をしかけているものはたくさんおるというのに、だ」
「それは単に気がつかなかっただけでは?」
 婆さまは、なんだか可哀想な子を見るような目をした。
 ……わかってます、婆さま。確かに、あの時間帯にあそこに行くのは私だけではない。
 私よりもずっと信仰厚い村人なら、すぐに桃を拾うか、婆さまに報告するだろう。
「とにかく、桃が流れてくるとは、伝説と同じ。それを最初に見つけたお前が責任を持って桃を回収するのだ」
「そ、そんな」
 それ以上言うことはないという顔で、婆さまは入り口を指さした。
 顔に、とっとと行ってこいと書いてあるような気がする。
「いいか、お前は神の使いに選ばれたのだ。そのことを忘れるでないぞ」
 重々しい言葉に追い立てられるように婆さまの家を出た私は、あまりのことに泣きたくなった。


 川に戻ってみると、そこには人が何人かいて、罠の確認をしたり、川で野菜を洗ったりしていた。
 声をかけてみても、誰も桃どころか、他のものが流れてきたということもなかったという。あまりしつこく聞いた者だから、ちょっと不審な顔までされてしまった。
 でも、これでわかった。
 確かに婆さまの言うとおり、私以外が桃を見たという人はいない。
 私が川に行く時間はだいたい同じだし、昨日も今日もあの時見える範囲には人はいなかった。でも、川は長いのだ。上流にも下流にも、まったく人がいないということはないと思うのだ。
 同じ時間に罠の様子を確かめにいく人は結構いるし、それが一斉に来ないなんてことも考えられない。
 だからやっぱり、あの桃を見たのは私だけなのだ。
 憂鬱なことだけど。
 でも、結局、その日桃はもう流れてこなかった。
 婆さまに報告したら、桃を見た同じ時間に川に行けと言われたけれど、正直もうやめたい。
 でも。
 もし、明日桃が流れてこなかったら。
 明日だけじゃなく、明後日も、その次の日も、桃を見ることがなければ、偶然だったと言い張れるのではないか。
 私はそんな淡い希望を持って、結局渋々ながらも、翌日の朝、川へ向かうことにしたのだった。


 そして、翌日、確かに私は桃を手にした。
 毒々しい色は変わらず。
 怖いので、まずは棒でつついて引き寄せた。
 そのまま籠にいれて、急いで婆さまのところに持って行った。もちろん、中を確かめるのは、一人でやりたくなかったからだ。
 婆さまは、ひとしきり桃を確認したあと、『中に何かいる』と重々しく告げた。
 で、当然のように、私に割れと。
「えー、うっかり下までざくっと切っちゃったら、どうするんですか?」
 私、不器用なんですよと、涙目で訴えてみたが無視された。
「大丈夫。お前の非力な腕では、そう簡単に桃は下まで割れぬよ。それに、これが伝説の桃ならば、少し切れ目を入れれば、大丈夫なはずだ」
 そう言いながら、婆さまは私に鉈を押しつけた。
 やらないという選択肢は、どうあっても選べないらしい。
 あれ、なんだか、自分、流されている気がするよ。川とは違う意味で。
 流れてきた桃のことなんて、婆さまに相談しなければよかった。
 そうすれば拾うこともなかったのに。もちろん、毎朝、桃と遭遇するはめになったかもしれないけど。
 私は、こわごわと地面に下ろした桃の先へと、鉈を当てた。
 ほんのちょっとだけ、切れ目がはいる。
 とたんに、勝手に真っ二つに割れた。
「ひぇー!」
 自分でも変な声が出た。
 そして、そのまま、恐怖のあまり、後ろへと下がった私の目の前で、二つに割れた桃から何かが飛び出してくる。
 白くて、もこもこしている、何か。
「わんわん!」
 犬?
 犬なのか?
「わんわん!」
 それは、親を見つけた雛鳥のように、飛び跳ねながら私に突っ込んできた。
「わんわん!」
 全身で、構ってーと言っているような気がする。
 それでも桃から出てきた犬というのがなんとも微妙な感じで、思わずその犬を直前でよけてしまった。
 とたんに犬は『がーん』という擬音が似合いそうな顔を浮かべた。
 犬なのに!
「わん?」
 一歩後ろに下がった私に向かって首を傾げると、何かを言いたげに首を傾げてみせる。
 なんで、桃から出てきたくせに、普通の犬っぽいの?
 神の使いらしく、言葉を話したり、神々しい光線を放ったりすれば、それらしいのに。
 しかし、真っ黒な目でこちらを見つめ、可愛らしく尻尾を振るそれに、私は勝てなかった。
 ちくしょー! かわいいじゃないか!
「ば、婆さま、犬なんですが」
「うむ。犬だな」
 婆さまは、動揺などしていない。
「犬でもなんでも、神の使いに変わりは無い。大事にするように」
 言い切っちゃいますか、婆さま。私、犬なんて飼ったことないし、それが神の使いならばどう扱っていいやら。それとも、普通に犬として飼えばいいの?
「もちろん、そなた一人では荷が重かろう。私も出来るだけのことはするし、村の者にも、よく言っておこう」
「それはありがたいですが……婆さまのところでお世話するというのはダメなんでしょうか」
「そなたがここで暮らすというのなら、構わないが」
 それは、ちょっと。
 思わずもごもごと口の中で呟いてしまった。それに、婆さま、基本的に動物は好きじゃないくせに。
「ならば、腹をくくって神の使いとともに暮らすのだな」
 にんまりと笑った婆さまに、結局、今日も私は逆らえなかった。


 誰にでも愛想を振りまき番犬にもならない犬とともに――というか、どこにいくにしてもついてくるからもう諦めた――今日も私は川にやってきた。
 桃――犬を拾ってから、魚は前よりも捕れるようになった。
 それが神の使いの恩恵かどうかはわからない。
 魚は大丈夫だけれど、魔物の方は相変わらずだし。
 魔物退治に行けといわれても、この犬が戦えるとは思えない。私だって戦えない。
 魚が捕れるようになっただけでもよしとするべきかもしれないと、婆さまもそう言っていたし、村のみんなも同じ意見だ。
 だから、私の生活は以前とあまり変わらない。まとわりつく犬を別として。
 そう思っていたのに。
 いつものように、仕掛けていた罠を確かめようとした私の視界に今度は青みがかった桃(のようなもの)が流れてくる。
 しかも、それは以前拾った桃よりも、さらに大きかった。
「ひろってー」
 いつかと同じ声がする。
「わんわんわんわん!」
 犬は、嬉しそうに吠えると、川に飛び込む全身で桃を受け止めた。そのまま、その愛らしい目で私を見つめる。
 ……拾えということか、そうなのか。
 私は、震えながら、その桃を手にした。
 そこから出てきたのは……。


 その後、私が魔物退治に出たかどうかは、また別の話だ。
 ただ、村は、昔と同じように豊かになった、とだけは伝えておこう。

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