365のお題

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  072 本日は晴天ナリ  

 今日は晴れた。
 気持ちが良いくらいに、雲一つない晴天だ。
 昨日までの雨が嘘のような状況は、雨期が終わった証拠。
 朝起きてそれを確認した私は、急いで着替えはじめる。
「もう、起きるのか」
 ベッドの上でまだ眠そうな顔をしている男―シオンに、呆れたように言われた。
「何言っているの。もう朝よ」
「だが、昨日はもう少し遅くまで寝ていただろう」
「雨期が明けたのよ。急がないと」
 昨日までは、雨が降っていたんだもの。朝早くから外に出てすることはないし、どんよりと曇った空と水に濡れて重たい木々のせいで、辺りも薄暗い。
 早く起きたって仕方ないからゆっくりしていただけであって、別にだらだらしていたわけじゃない。説明しながらも、私は出かけるための準備を整えていく。
 そんな私の様子に、シオンはようやくベッドの上から半身を起こした。
「晴れれば、何かあるのか」
「雨期が明けた時期にしか生えない茸があるの。それを採って保存するのよ。茸っていうのは、こんな感じのもの」
 私は手近にあった瓶詰めを指差した。その中には、前に乾燥させて保存しておいた茸が入っている。
「干からびているようだが」
「保存用だからね」
 この山に生える茸は魔力をたっぷりと含んでいる。
 保存食にするもよし、街で売るのもよし、危ない薬の材料にするのも、もちろんありだ。
「前に言ったよね。この山では魔力は無効になるって」
 それが何故なのか、わからない。山の奥に古の祭儀場があるだとか、そんな噂もあるけれど、何年もここへ住む私はそんなものは見たことはない。
 ただ、山の麓、ある一定の場所を越えると、魔力に関わるものが一切無効になってしまうのは、事実だ。
 魔力を動力にしたものや、魔力を込められた護符。
 そういうものが全部発動しなくなる。
「ただね、魔力そのものがなくなるわけではなく、無効化された魔力は外に放出されず、内に籠もったまま、蓄積されていくの」
「ああ、そういうことか。ここでは魔法が無効化されるというのに、どうして俺に刻まれた魔法印に魔力が残っていたのか、不思議に思っていた。魔力そのものが消えるわけではない、ということか」
「そういうこと」
 というわけで、私は出かけるから、というと、のっそりとシオンが立ち上がった。
「俺も行く」
 何のためらいもなくそう言ったものだから、私は目を見開いて、遠慮も何もなく男を凝視してしまった。
「え、大丈夫なの」
 雨期の間、彼はほとんど外に出なかった。
 出たとしても、家が見える範囲だけ。軽い運動などもしていたけど、それだって家の中限定。
 雨が嫌いなのか、面倒なのか、他に理由があるのかわからない。追われているということが、実は一番の事情かなとは思ってはいるんだけどね。
「いい加減、身体を動かさないとな。家の中だとあまり動けないし」
「でも、山の中は雨のあとで滑りやすいし、獣だって動き始めているし、無理はしない方がいいと思うよ」
 一応、彼は病み上がりだ。
 今はどう見てもそう思えなくても、ここに来るまでのこともある。
 危ないことがいっぱいのこの山を歩かせるのは、まだ私の方に戸惑いがあった。
 私が動ける範囲に、それほど危険はないとは思うんだけど、絶対なんてことはないからね。
「心配しなくても、足手まといになるようなことはしない」
 その言葉に、じっとシオンを見る。
 身体の方は、毎日見ているから、大丈夫だとは思う。熱だって、もう続けて出ることもないし、依然つけられていた隷属印がなくなったことの影響も、今のところはない。
「わかった。確かにいつまでも家の中ってわけにもいかないしね。ただ、無理はしないで」
 何かあったらその時考えよう。
 どちらにしても、男がしばらくここにいるつもりならば、山の中のことはある程度知っておいてもらった方がいい。
 私は、以前父親が置いていった山歩き用の靴やら上着やらを取り出すと、男に渡した。
「父のものだけど、今回はこれを使って。今度、ちゃんとしたものを作るから」
 靴も服も、ちょうど体型にあっていたから着てもらっているけれど、いつまでもそれでいいとは思ってはいない。
 雨期も終わったことだし、そのうちなんとかしなければいけないんだろうなあ。
 とはいっても、彼が山の外に出るのは、まだ危ない気がするけれど。
「おい」
 準備も済んだことだし、そろそろ出かけようかと思っていたら、男に呼び止められた。
「まさか、お前はその格好で外に出るつもりなのか」
「そうだけど」
 いつもこの格好だし。
「手袋だってしているし、靴底の厚い靴を履いているし」
「俺が言っているのは、そこじゃない」
 ため息をつく男は、額に手を当てて目を瞑る。
 大袈裟だ。
「そんなひらひらした服で本気で山の中を歩くつもりかって、俺は聞いているんだが」
「もちろん、こんなひらひらした服で、山を歩くつもりだけど」
 それが何か、という態度で答えると、男はさらに深くため息をついた。
「お前がそれでいいかのなら、止めないが……つくづく変わった奴だな」
 それは否定しない。
 言われ慣れているから。
 だいたい、こんな山の中に一人だけなんだから、自分の好きな服で、好きなことをして過ごしても、いいと思うんだ。
 私はひらひらふわふわした服が好きで、自分でも、これが一番似合っていると思っているし。
「まあ、いい。それより、急がなくていいのか」
 本当だ。
 朝でなければ獲れない茸もあるのだ。
 私は、大きな篭に、必要な細々した道具を突っ込むと、シオンとともに、外へ出た。


 シオンと二人、山の中を歩きながら、私は簡単に何がどこにあって、どう繋がっているかを説明していく。
 もちろん、1回で覚えてもらおうとは思っていない。
 とりあえずは、危険なところさえ把握しておいてもらえれば、それで十分だ。
 そうしながらも、地面や倒木、草の影に生えている茸を手にしていく。食べるのだけが目的じゃないから、割と手当たり次第だ。
 触れば魔力の量もわかるから、なるべくいいものは選んでいるけれどね。
「素手で触ったら危険なものもあるから、見つけたら教えて」
 私に真似て、あちこちを物珍しげに見ているシオンに向かって言うと、すぐに『あれは?』という返事が返ってきた。
「あれは、普通の茸。魔力は溜めないけど、焼いて食べると美味しいかな。あ、素手で触っても大丈夫だから」
 そう言うと、シオンは手を伸ばして、それを採った。
「俺の世界にもこれに似たものはあったが、ほとんどは食べられないものだった」
「そういえば、シオンは私の料理を文句ひとつ言わずに口にするけれど、好きな味付けとかはあるの? それとも、この世界には、似たような味のものはない?」
 シオンは、食事を残すことはないけれど、味の感想はほとんど口にしないのだ。
「それほど、味覚に差はないようだな。食べられないものはないし、特に味付けで困ったこともない」
「それも、召喚の影響なのかな」
 シオンは異なる世界から召喚された人だ。
 召喚されると、体が作り替えられ、この世界に適応したものになり、ついでに加護も与えられるという。とはいっても、こちらへやってきた存在のほとんどが生きた状態ではないから、それを研究している人たちはともかく、一般に人たちには、召喚された相手は未知の存在だ。
 中には、お伽噺のようなものだと思っている人もいる。
 私だって、シオンが初めて見る異世界人だ。
 髪と瞳の色以外は、私たちと変わらない見た目だけど、実際中身がどうなのかはわからない。
 言葉も通じるし、話をしていてもあまり違和感がないから、ついつい異世界人だってことも忘れてしまうくらいだ。
 今だって、興味深そうに茸を覗き込んでいる姿は、こちらにいる人たちとなんら変わりない。
 そういえば、シオンの加護ってなんなんだろう。
 本人が話したくないようだから、聞かないけれど、ちょっとだけ気にはなっている。いつか話してくれる日が来るだろうかと考えながら、私は別のことを口にした。
 そっちも実は気になっていたから。
「召喚の影響といえば、体調の方はどう? とりあえず、これだけ歩いても苦しくなさそうだから、大丈夫には見えるんだけど」
 山の中には、ちゃんとした道があるわけじゃない。
 歩きにくいし、昨日までは雨期だったから、地面は湿っていて滑りやすい。そんな中、これだけ歩いて平気そうなんだから、体の方はここへ来た時よりも、大分よくなっているということなんだろう。……無理をしているんじゃなければね。
「そうだな。自分が思っていたよりも、動けるようだ。隷属印がなくなったせいか、気分もいいしな」
「それならいいんだけど」
 ならば、雨期も開けたことだし、彼はいつまでもここにいるべきではないのかもしれない。
 そもそもシオンがここへ来るように仕向けた相手も、まだ彼がここにいるとは思ってはいないだろうし。行く当てがないっていうなら、どこか安全そうなところを紹介してあげるべきなんだろうし。
 ああ、でも、この綺麗な赤を見られなくなるのは、寂しいかも。本当に、取り出して飾っておければいいんだけどなあ、この目。
「何か、今ろくでもないことを考えていないか」
「そんなこと、何一つ考えていないって。……あ、その茸、食べたいんなら、今晩料理してあげるよ。ほらほら、そのあたりに、他にもたくさん生えているから」
 私もシオンが手にしていたのと同じ茸を採るために屈み込んだ。
 魔力は溜めないけれど、雨期が終わると同時に一斉に生えてきて、とっても美味しい。ただし、本当に一時しか生えないもので日持ちがしないから、貴重なものでもあるんだよね。ここは人がやってこないから、取り合いになることもないし。実は、私のこの茸は好きだ。
「……俺は、出て行くつもりはないぞ、ノエミ」
 シオンの手が、茸に向かって伸ばされていた私の手を掴んだ。
 あ、あれ? シオンの声がちょっと不機嫌だ。
 それに、口にも態度にも出していないつもりなのに、私が考えていたこと、わかったんだろうか。
「出て行けなんて、言ってないけれど、いきなりどうしたの」
 地面を見つめながら、私はそう返す。
「雨期がもうすぐ終わるって言い出した頃から、俺にいろいろなことを教えはじめただろう? それはいつかここを出て行けってことじゃないのか」
 それに近いことを思っていたから、反論はできないけど。
 だって、シオンの人生はシオンのものだ。私がここに縛り付けている理由なんてないし、出て行きたいならば、それもありだと思う。
 一人に戻るのは寂しいけれど、その寂しさも、いつかは薄れていくだろう。……ここで、一人切りで生活を始めた時のように。
「いろいろ教えたのは、きっとこれから必要だからよ。出て行けなんて、私から言うわけがない」
「追い出したいわけじゃないのか」
「どうして?」
 私は、振り返って、シオンの顔を見上げた。
 そこにはまっすぐに私を見下ろす赤くて綺麗な、宝石の様な瞳があった。
 いつになく真剣な眼差しは、怒っているようにも見える。
「元々強引にここへ居着いたのは、俺の方だ。追われているし、ここへ来るまであちこちをうろついて、俺はこの世界のことについて何も知らないということもわかった。だから、最初は、ここなら時間を稼げるし、ある程度の常識は学べると利用していたのも事実だ」
「それだと、今は違うみたいだけど?」
 シオンの真意が、わからない。
 利用していたといわれて、それほど落ち込まなかったのは、おそらくそうであろうと疑っていたからかもしれない。
「俺は人の好き嫌いははっきりしている方だと思うが、お前と一緒にいるのは苦痛ではなかった。居心地がいい、と思ったのは、おそらくここへ来て初めてのことだな」
 あの女のところでは散々だった、と笑ってみせる彼は、ちょっと怖い。今でも時々夜うなされていることを思い出してしまうと、やはりいまだに彼の心の傷は治っていないのだと思い知らされる。
 そんなシオンの、今の言葉はどういう意味なのだろう。
 私のことを好き、というのとは違う気がするけれど、嫌ってはいないってことだろうか。
 私が、もう少しここにいてと言えば、それに答えてくれるつもりがあるってこと?
「お前はどうなんだ? やはり、俺が出て行くのを望むのか?」
 望むか望まないかって聞かれたら、答えは決まっている。
「私、綺麗なものは好きだもの。せっかくそれが側にあるのに、手放すなんてもったいない……とは思っている。それにね」
 やっぱり一人は寂しいよ。
 そう口にすると、シオンは楽しそうに笑った。いや、そこ、笑うところ?
「ようやく本音を口にしたな」
 むっとする。
 ええ、そうですよ。そのとおり。一人が嫌いなわけじゃないけれど、ずっとそれは辛い。何か楽しい事があったとき、面白いことがあったとき、誰ともそれを共有できないのだから。
 当然、悲しいことがあった時も。
「そう拗ねるな。俺も同じだ」
「同じ?」
 問い返すと、寂しいってことだよと、耳元で囁かれ、私は思わず手に持っていた茸を落としてしまった。
 だって、シオンがそんなことを言うなんて、思ってもみなかったんだもの。


 これからもここにいるのだから、焦る必要はないと言ったくせに、シオンは山の中にある植物や木の実のことをやたらと聞きたがった。
 自分が知っているものとは違う世界に、とても興味があるらしい。
 私だって、全てを知っているわけではないから、聞かれてわかる範囲でしか答えられないけれど、シオンは楽しそうだ。
「あ!」
 そんな中、ふと見上げた崖の上に、鳥の羽根のように広がった薄茶色の茸を見つけて、思わず声を上げた。
「どうした? 何かあったのか?」
 シオンの言葉に私は崖の上を指す。
「あそこの崖……ちょうど草が密集しているあたりある茸、いい感じなんだけど、届かなくて」
 くやしいけど、私がどれだけ頑張っても、そんな高いところに生えている茸は採れない。
「ああ、あれか」
 シオンは、手を伸ばすと、簡単に茸を採ってしまった。
「あ、ありがとう」
 受け取った茸はずっしりと重く、滴るように魔力が溢れているのがわかる。
 さすがに手が届かない場所にずっとあっただけに、魔力の量が半端ない。
 しかもこれは毒茸でもあるから、ここらの獣達は口にしないものだ。そのおかげで、こんなふうになるまで残っていたわけだけど。
「いいなあ、背が高くて」
 私は自分の後ろにいるはずの、頭一つ分以上高い男を思い、ため息をついた。
「いいじゃないか。これからは、そういうのは俺が取ってやる」
 なんだかえらそうに言うのは、何故なのか。
 まだまだわからないことだらけのシオンを見上げながら、仕方ない、拾っちゃったんだしと諦めた。
 それに、こういうやりとりが楽しいと思っている自分がいることはちゃんとわかっている。
見上げると、空は雲一つないいい天気。
 風も気持ちいいし、茸もたくさん採れた。
 これまでは、それを喜ぶのは私一人だけだったけれど、今はシオンがいる。
 それはきっと幸せで楽しいことなのだ。
 ならば、この『楽しさ』がずっと続きますように――私は、雲一つない空にそう願った。

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