365のお題

Novel | 目次(番号順) | 目次(シリーズ別)

  076 花  

「君は、まるで花のようだ」
 そう言うのが、この世界で異性を口説く時の決まり文句なのだそうだ。
 そして、続く言葉で、自分なりにアレンジした言葉を紡いだりする。そこに口説く人のセンスも現れるというわけだ。
 初めて聞いた時は、その歯の浮くような言葉に面食らった気がする。それが自分に向けられた言葉でなかっただけましだけれど、もしそうだったら、きっと笑ってしまったと思う。
 だって、似合わないと思うんだ。
 大抵は、色を本人に例えることが多い。
 この世界には、様々な色合いの髪を持った人がいて、それこそまるで花のようだ。
 赤い色、黄色い色が多いけれど、中には青だったり薄桃色だったり、それこそ花の色の数だけ存在する。だからなのか、自分と同じ色合いを持つ花を好む人も多い。
 無いのは茶色と黒くらい。
 灰色はあった気がするから、たぶんその二つで間違いないと思う。
 もちろん、そういう色の髪の人もいるわけで、ならばその場合どうなるかというと、その人の雰囲気や性格とかに例えるらしい。
 明るい性格の人だったらこれ、優しい感じの人だったらこれ、住んでいる辺りに良く咲いている花だったらそれ、みたいな感じで。
 とにかく、そうやって好みの相手に向かって花を持ちだして口説くのは当たり前のことで、恋多き人などは、まるで流れるように口説き文句を口にしている。
 受ける人も、相手を花に例えることで、承諾の返事とする場合も多いらしい。
 私には無理だけれど。
 でも、それ以外は、ごく普通の穏やかな世界で、紛れ込んだ最初の頃は戸惑って泣きわめいてばかりだった私も、納得は出来ないけれど、なんとか生活できている。
 そう、ここは私が生まれ生きてきた世界じゃない。
 ある日、気が付いたら、この世界の街中で座りこんでいたのだ。
 何が起こったかわからずパニックになった私は保護され、事情を説明され、衣食住の保証の代わりに、見返りを要求された。
 それは難しいことではなかったけれど、断っていれば、どこかでのたれ死にしてしまったかもしれないのだから、わけもわからず頷いたとはいえ、よかったとは思っている。
 気持ちは納得できてはいないけど。
 この世界に慣れ、言葉を覚え、こちらに私のように紛れ込んでくる人間は他にもいる、とわかった今でも、心の中の何か大事なものが抜け落ちてしまったまま、という感じなのだ。
 どこまでも広がる藍色の空も、太陽が沈む時現れる朱茶色の夕焼けも、空に浮かぶ歪な形の月のようなものも、私が見てきたものとは全然違う。
 ただ、似たような生態系のせいなのか、『人間』というくくりでいえば、見た目が同じ姿形の人が築いた世界だからなのか。懐かしいような建物が並び、どこかで見た事があるような食べ物があって、でもだからこそ些細な違いが目についてしまって、それがとても辛いのだ。
 帰りたいと、思っている。
 だからといって、帰る方法はわからない。
 あちこちに散らばっている、私と同じように流れてきた人たちに会ったけれど、誰も帰れるとは言わなかった。
 みんな、諦めたように笑って、外国にでも移住したと思うことにする、と口にした。
 それが、やっぱり私を辛くする。
 本心じゃないとわかってしまうから、余計に。
 それでも、どうにか心折れずにいられるのは、皆が優しいからだ。
 気遣ってくれるし、心配してくれる。
 それは、私達のある特性のせいなのだけれど。でも、その特性のせいで、衣食住は保証され、打算があったとしても頼られているということが、拠り所にもなっている気はする。
 ただし、自由は制限されている。
 一人で街の中は歩けないし、条件付きじゃないと街の外には出られない。
 最初は苦痛だったけれど、いつのまにか慣れてしまった。
 ある意味、それも怖いことだったけれど。
 護られ優しくされるばかりが当たり前っていう状況は、自分を駄目にしてしまいそうだから。


 それにしても、この世界は、本当に驚くくらいに花が溢れている。
 観賞用だけではなく、食用、薬になるもの。
 大きさも様々だ。
 小指の先ほどの小さなものから、化け物じみた巨大な大きさのものまで、自分の想像を超える花々に、驚いてばかり。
 いつかなんて、道を歩いていたら、目の前を巨大な赤い花が横切っていくのを見て、腰が抜けそうになった。
 花びらの毒々しい朱色も、花びらに囲まれた中央に牙の生えた口のようなものが見えたことも、太くて脈打つ根っこを引きずりながら歩いている様子も、パニック映画にでも出て来る怪物に見えたから。
 でも、周りの人は平然としていて、隣を歩いていた男は害はないよ、ただ歩いているだけといって、笑った。
 だからその、歩いているだけの様子が怖かったんだと言ったけれど、理解してもらえなかった。
 そういうものだと、普通に思っているかららしい。
 反対に、あんたの世界に歩く花はないのかって驚かれたくらいだ。食虫植物ならいるって言えば、そういうのはもっと森の奥にいかないといないと言われた。
 うん、そういうのもいるんだ。
 よほどのことがなければ、森の奥にはいかないことにしようと思った。
 ……行けと言われれば、行かないといけないんだろうけど。国そのものに養われている身では断れない。
 今、目の前に置かれている美味しそうな食事だって、私が仕事をしているからこそなのだし。
 いただきます、と小さく呟いて私は野菜を煮込んだスープに手を伸ばした。
 その時だ。ふいにテーブルに影が差した。
「おい、こら。生きてるか」
 頭から降ってくる声に顔を上げると、思い切り顔を顰められた。
「またそんな陰気臭い顔してる。今日から仕事なんだから、もっと明るい顔をしろ」
「……はあ」
 気の抜けた返事を返すと、大きなため息をつかれた。
「いいか。今日行くのは、ちょっとばかり考え方の偏った奴の領地だ。領主はあんたのことを敬うかもしれないが、それは表面だけだ。元々、落ち人は力を使って当たり前と思っている。隙を見せるな、出されたものは口にするな、相手のことは疑ってかかれ……って、そこで笑うか? それとも、俺の忠告は聞く気にならないってことか?」
 いらいらしたように言われて、さらに笑ってしまう。
「違います」
 嬉しいだけなのだけれど、それは言わないでおく。口にすれば、絶対不機嫌になるからだ。
 彼は私の監視役兼護衛だ。私が勝手なことをしないように―――あるいは誰かに利用されないように、外に出る時は常に側にいる。
 そして、誰もが優しくしてくれるこの世界で、この男だけが私に厳しい。
 嫌味もいうし、遠慮無くひどいことを言うし、困った時にすぐに助けてはくれない。
 でも、だからこそ、護衛は彼でいいのだ。
 私を甘やかさず、一定以上の好意を示さす、でも仕事はきちんとしてくれる。
 それだけで、私は私の立ち位置を確認できているのだから。
「まったく、本当に、お前は『ぽろろえんと・ろーろー・でいる』だ」
「……なんですか、それ」
 いきなり彼の口から出て来た言葉に、私は首を傾げた。
 言葉はそれなりに覚えたけれど、たまにこうやってわからないものも出て来る。主に物の名前が多いのだけれど、これもそうなのかな。
「知りたきゃ自分で調べろ」
 そっけなく言った後は、今日のスケジュールの確認だ。
 どうやら教えてくれる気はないらしい。
 仕方無く、その場は黙って彼から今日の予定を聞く。
 今日は午後から、仕事先である領地へ出発する。場所は遠いので、途中二泊して、ついたらそこでしばらく滞在。領地の植物が正常化すれば、その時点でお仕事終了。
 後細かいことをいろいろ言われたけれど、多すぎて覚えきれない。
 でも大丈夫。その分彼が覚えていてくれるだろう。
「ぼーっとしてるが、大丈夫か。この間みたいに、大勢の前で躓いて転んだ上に、上級貴族に頭突き、なんてするなよ。それから挨拶のやり方も間違えてばかりだし……」
「難しいんですよ、貴族式の挨拶。それに、あんなにふかふかの絨毯、転がるなというのは無理です」
「舐められるのはお前だ」
「そうですね、怒られるのも謝るのもあなたでした。……なるべく気をつけます」
「いや、そうじゃなくて」
 失敗しても基本怒られないから、男の指摘はありがたい。
 それに、わかってる。私が失敗しても謝ることになるのは私ではなくこの男だ。どんなことがあっても、私は悪くない、ということになってしまうらしい。
 どれだけ我が儘でも、生意気でも、人格がおかしくても、私達落ち人はその特殊性故に大事にされる。
 だいたい、自分でも笑っちゃうんだよね。
 そこに立っているだけで、過剰に成長したり魔力過多になった人や動植物を正常化することができるなんて。しかも、自分では何でそうなっているのか、さっぱりだし。
 でも、みんな言うんだ。
 おかしくなった人や動植物は、何もしなければ腐って死んでいくしかないのだと。放っておけば、それは伝染病のように広がっていくのだと。
 それを治す魔術も医術も存在せず、ただ落ち人だけが正常化できる、らしいと。
「まったく、いつもぼーっとしているのに、特に強い力を持っているなんて、まだ信じられない」
「ええ、本当に。私はただ突っ立っているだけなのにね」
 笑うと、男がなんともいえない顔をした。
 また、不機嫌になっている。
「いつも他人事なんだな」
 ある意味正しいけれど、私は答えなかった。
 だって、本当にそこには何の感情もなかったんだもの。


 それでも、男が言った言葉の意味が気になって、出発前の少しの時間を利用して、最近ではあまり手にすることもなくなった辞書を開いた。
 言葉はすぐに見つかった。
 どうやら花の名前のようだ。
 まさか、口説かれた? 一瞬そう思ったけれど、男の態度から愛情のようなものは感じられない。同情はされてそうだけど。
 とりあえず花だとわかったので、今度は花の図鑑だ。
 綺麗な色刷りの図鑑は高価なものらしいけれど、実はあまり見たことはない。花にそれほど興味があるわけでもないし、たくさんありすぎて覚える気にもならなかったからだ。
 先程辞書で見た花の分類から、それはすぐに見つかった。
 毒々しい朱色の花びら。
 中央に牙の生えた口のようなもの。
 太い根っこは今にも脈打ちそうだ。
 説明書きには、昼はこの姿で歩き回り、夜は暗い場所で全身を丸めて眠りにつくという。どこにも根を張ることもなく、出会った同種同士で交配するが、種が出来る確率は低く、その数も少ない。種が出来ると、その命を終える。
 いつか聞いた説明と、花を見て驚いた記憶が甦る。
『ぽろろえんと・ろーろー・でいる』って、いつか見たあの毒々しい花の名前だったのか。
 いや、それに例えるってどういうことよ。
 これは、花にたとえられたとしても、絶対に口説き文句じゃないよね。
 ところで、意味はなんだろう。
 どんな花にも、意味がある。元いた世界での花言葉みたいなものだ。
『どこまでも自由で、気まぐれ、そして誰をも受け入れない』
 ああ、彼は意外に私のことを見ている。
 優しく甘い人なんかよりも、ずっと。
 何故だろう、そのことがとても哀しい。
 心許していないのは、男も同じだ。私にいろいろ助言しながら、でもどこかで一線引いている。
 意識して私の名前を呼ばないことも、その証拠だ。
 だから、私も男の名前を呼ばない。
 それでおあいこだ。


 ひとつ気付いたことがある。
 きっと私は彼を手放せない。
 好きでも嫌いでもなく、私がまだ私であるために、現実を見せてくれる男は必要だ。今のところ、この世界で唯一私の興味を惹くのは確かに男なのだから。
 でも、言われっぱなしはいやだ。
 妙な花に例えられたお返しに、男に似合う、でもとびきり嫌味な花を探してみよう。


 もちろん、そこに愛などないのだけれど。

Novel | 目次(番号順) | 目次(シリーズ別)
Copyright (c) 2017 Ayumi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-