海の彼方番外編

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とあるロクデナシの回想

 物心ついた時から、ジルドは自分の容姿が好きではなかった。
 黒い髪、青い瞳、ひょろりとした細い体。
 おまけに、彼と同じ容姿の人間は、村の人間どころか、家族の中にさえいない。
 母親によれば、この村では、たまにそういう子供が生まれるらしいが、理由などわからないといい、その言葉そのものがどうしても胡散臭く思えてしまう。
 ジルドの髪と瞳は、神殿のえらい巫女様と同じで、とてもありがたいことだし、遠い昔にも、この村から巫女様が選ばれたことがあるのだと、母親に何度聞かされても、それがいいことなのだとはとても感じられなかった。
 実際に、彼の兄や姉、小さな弟たちは、皆赤みがかった金色の髪に茶色の目だ。
 幼い頃は、他とは違う色に、自分だけがもらわれて来た子供なのではないかと、真剣に疑ったほどである。村の子供達にも、髪と瞳のことででよくからかわれた。
 もちろん、大きくなるにつれ、そんな馬鹿な考えはなくなってしまう。
 他人の子供を育てる余裕など、この村のどの家にもないのだ。反対に、子供が多いと、家を継ぐもの以外は、外に出されることも多い。
 一緒に遊んでいた仲間が、いつのまにかいなくなってしまうということも、めずらしくはなかった。そして、出て行ったきり帰ってこない子供も多い。
 大人たちが、あの家の子供は奉公先で死んでしまったとか、娼館に売られたきり行方不明になってまった子供がいるらしいとか、そんな会話をしているのを盗み聞きしたこともある。
 だから、売られることもなく、幼すぎる年齢で奉公に出されることもなく、なんとか家族全員で暮らしていける自分はめぐまれているし、ちゃんと両親の子供なのだと、納得するしかなかった。
 それに、彼にだってわかっていたのだ。
 髪と目以外、自分は兄弟たちとそっくりな顔立ちをしていることを。


 ある程度の年齢になると、彼も他の兄弟と同じように、町へと働きに出た。
 手先が器用だったことが幸いし、勤めはじめた家具工房ではなんとか仕事をこなすことが出来た。
 親方は機嫌が悪いとすぐに手が出るような男だったが、仕事さえしていれば、工房の人間が何をしようと口出しをしなかったし、衣食住の保証だけはしてくれた。
 悪い遊びを覚えたのもこの頃だ。
 工房の先輩たちから、賭け事や女遊びの手ほどきを受け、手痛い失敗も重ねた。
 親や村の人間の目がないことで、解放されたような気分になっていたのかもしれない。
 村から出てみて、自分がいかに狭い世界にいたのかがわかったのだ。
 町にも、自分と同じ容姿の人間は少なかったが、皆無ではなかった。どちらか一方の色を持つというものはそれなりにいたし、両方を持つものにも、稀に出会うことがある。
 村でのように、全ての人間が同じような色彩を持つわけではないので、そのことで何かを言う人間などいなかったのだ。
 そういう事情があってか、気がつけば、年始めに村で行われる祭の時期くらいしか、家に戻らないことが多くなっていった。仕送りさえ定期的に家に入れておけば、特に親は何も言わなかったし、戻ったところで、長男でもないジルドには居場所はない。
 いずれは家具職人として独り立ちし、結婚でもして、多くの村の若者のように、このまま町で暮らしていくのだろう。
 そう思っていた彼だったが16歳になった頃、一番上の兄に子供が生まれたことで、少しばかり事情が変わってきた。
 同じく町で働いている一つ上の兄に、母親からの伝言だと、簡単に子供のことを語られた時は、特に何も感じなかったように思う。
 確かに、兄弟に生まれた初めての子供ではあったが、家を出た身では、人ごとのような話だったのだ。
 そのうち、他の結婚している兄弟たちにも、子供は生まれるだろう。
 だから、彼は、簡単な祝いだけを送って、わざわざ顔を見せに戻らなかった。他の兄弟たちはすぐに帰ってきたのに、と愚痴めいた伝言を寄こしてきたが、その時も、それほど気に留めなかった。
 そのうち、誰かに代筆してもらったのか、手紙が届いた。
 わざわざ手紙など、金のかかることをして、と思ったが、よく読み返してみれば、手紙には、今年の不作のことや、男手が足りないということが、書いてあった。
 ここへ頻繁に顔を出す兄も、同じ事を言っていたが、それがいつものことなのと、村へ帰りたくないという気持ちが、ジルドの足を遠のかせていたのは事実だ。
 兄弟はたくさんいるし、自分一人が帰らないからといって、困ることもないだろうという気持ちもある。
 徐々に、母親からの伝言が家の愚痴めいたものになっていったのにも、うんざりしていた。
 大体、話の内容は同じだ。
 最初の子供を産んだばかりの義姉は、少し体調を崩していて、力仕事などが出来ない。頼みの綱の兄は出稼ぎに出て、しばらく帰ってこないし、家に残っていた他の兄弟たちも、その年の不作の影響で、他の場所へと働きに出ており、家に残る母親を含めた女性たちが、畑仕事や村の雑役などで、忙しくしていた。そのせいで、休みが取れるならば、帰ってきて欲しいと、懇願されはじめたのだ。
 面倒だとは思ったが、何度も尋ねてくる兄に、彼は観念した。
 なにより、他の兄弟達が、無理に時間を作っては、顔を出しているのに、それほど村から離れていない場所に住む自分が知らん顔をしていたという後ろめたさもある。
 去年の不作の時も、その前の流行病の時も、理由をつけて、村には近付かなかった。母には薄情だと何度も嘆かれていたし、工房の普段は彼を悪い遊びに誘う仲間も、もう少し頻繁に帰ったらどうか、と言ったくらいだった。
 今回のことも、事情を知った工房の女将が、仕事も落ち着いているし、一度休暇を取って帰れと言ったからだ。意外と女将はそういうことにはうるさい。
 乗り気でなかったが、こうなってしまっては仕方ない。
 重い腰を上げて、ジルドは久しぶりに村に戻ることにしたのだった。


 家に戻ると、くたびれたような顔をした義姉が、彼を出迎えた。
 帰ることは自前に知らせてあったから、義姉は戸惑うこともなくジルドを家の中に迎え入れてくれる。
「悪いね、男手がなくて、本当に困っていたんだ」
 妙にがらんとした部屋は、前に帰ってきたときよりも、傷みがひどくなっている。彼や他の兄妹が稼いだお金は、生活費の足しにはなっても、古びた家を直すほどの金額ではないのだろう。
 それに加えて、今年の農作物の不作は例年にないひどさだった。
 義姉も無理をしたのかもしれない。
「父さん達も、いないのか?」
 去年、腰を悪くした父親は、最近あまり力仕事が出来ないという話だったから、家の中にいるのかと思ったが、見た感じでは不在のようである。
「ああ、村の皆と、領主様のところにいっているよ。南の方の土手を直すのを手伝うってことで、給金も出るしね。腰のことがあるから、あんまり無理はしてほしくはないんだけど」
 不作の年には、領民の救済阻止として、たまにそういう事業が行われる。
 とはいっても、出る給金は仕事量のわりには少ない。ないよりはましだという程度だが、少なくともそれは生活の足しにはなる。
「短いけれど、工房から休みをもらったんだ。何か手伝えることがあったら、言ってくれ。それから、これ、たいしたもんじゃないけど」
 ジルドが義姉に見せたのは、保存のきく食糧だ。なるべく日持ちがするもので、肉や魚を干した物を中心にしたのは、工房の女将の助言だが、義姉の顔が明るくなったことから、重いのを我慢してもってきたかいはあったらしい。
「悪いね。仕送りだってしてもらっているのに」
「それだけしかしていない、不義理な弟だけどね」
 わざと戯けてみせると、義姉はようやく笑ってみせた。
 その時、部屋に赤ん坊の泣き声が響く。
 それまで静かだったのが嘘のように、大きな声だ。
 ジルドがいる位置からは見えなかったが、部屋の隅に、揺りかごが置いてあったらしい。年代物のそれは、かつて彼や兄弟たちが使っていたものだ。色は塗り替えられているが、少し歪んだところも懐かしい。
 元気よく泣き続ける赤ん坊に、近付いた義姉が手を伸ばし抱き上げる。
「さっきお乳をやったばかりだというのに、どうしたのかねえ」
「俺が来たから驚いたのかな」
 ジルドが赤ん坊と顔を合わせるのは初めてのことだ。知らない人の気配がわかるかどうかは知らないが、そうだとすれば悪い事をしたかもしれない。
「そんなことはないと思うけどね」
 義姉は申し訳なさそうに項垂れるジルドを見て笑った。
「ほら、この人があんたのおじさんだよ」
 義姉が赤ん坊に向かって言うが、もちろん聞いているはずがない。
「小さいな」
 義姉の腕の中で、ぎゃあぎゃあと元気よく無く赤子は、とても小さかった。
 くしゃくしゃの顔は、お世辞にも可愛いとはいえない。
 小さな手を精一杯のばして何かを掴もうとしているのもおかしくて、彼はそっとその手の先に自分の指を指しだしてみた。
 ぎゅっと握られ、顔をしかめる。
 あったかくて、やはり小さい。そして、思いがけないほど、強い力だった。
「なんだい、初めて赤ん坊を見るんじゃないだろう?」
 義姉は、彼を見て呆れたように笑った。
 小さな村だ。義姉と兄は幼馴染みで、ジルドのこともそれこそ、彼が小さい頃から知っている。そのせいか、義姉は遠慮がない。
「でも、小さいから」
 彼の弟たちは、生まれた時、もう少し大きかった。
「ああ、そういえば、あんたも小さかったんだよ。生まれてすぐ死んじまうんじゃないかってくらいにね。黒い髪の子は、みんなそうだ。赤ん坊のうちに死ぬ子も多い」
 そう言われて、初めて彼は、赤ん坊の頭に生えている髪が、真っ黒いことに気がついた。
「この子も、黒髪?」
 他の赤ん坊は、生まれた時、もっと淡い色合いだった記憶があるから、彼の見間違いなどではないだろう。
「そうだね、あんたも知っているだろう? この村では、たまにこんな子が生まれるんだ。しかも、目も青かったよ。大抵、どちらかしか持って生まれてこないんだけどね」
「……名前は?」
 そういえば、彼は赤ん坊の名前など聞いてはいない。
 義姉が口にしたのは、ありきたりなものだった。確か聖人の名前が元だった気がするが、長生きしたことで有名なせいか、丈夫に育つようにと願って付けられることも多い。
 義姉の言うとおり、黒髪の子が子供のうちに死ぬことが多いというのなら、納得できる名前だった。
 ジルドが、小さな声で、赤ん坊に向かって名前を呼び掛けると、泣き声が小さくなった。
 抱いてみるかいと言われ、素直に頷いたのは、やはり親しみを覚えたせいなのか。
 末の弟を抱いた時のことを思い出しながら、そっと抱き上げると、開いた瞳が自分をじっと見つめているのに気がつく。
 その瞳の色は、確かに自分と同じだった。いや、鏡で見た自分の瞳よりも、もっと深く青い。
「変な感じだ」
 たまにしか生まれてこないというのに、これほどまで同じだと、偶然と言ってしまうのも不思議な気がする。
「これからよろしくな」
 呼び掛けると、赤ん坊が笑ったような気がした。
 そのことがあってから、ジルドは、幼い彼女が自分と同じような目に合わないかと心配で、村へ顔を出すことが多くなった。まだ赤子だから、今はまだいい。もう少し大きくなって、自分の髪と目が誰とも違うということに気がついたとき、ジルドという存在がいれば、少しは安心するのではないかとも思ったのだ。
 仕事も、前よりも一層頑張った。
 仕送りを増やし、少しでも生活の足しになればいいと、素直に思った。
 きっと、このまま行けば、彼は真面目な家具職人としてそれなりの人生を送っていただろう。
 だが、荒れるばかりの天候のせいで不作が続き、町にも活気がなくなってきたことが、彼の運命を少しばかり狂わせることになった。


 親方が酒の席での諍いで命を落とし、家具工房がその後のごたごたで存続できなくなったのは、長い冬が開け、あたりが暖かくなってきた頃だった。
 当然のごとく、そこで働いていた職人たちは失業した。
 しばらく続く景気の悪さが、人々から贅沢を遠ざけ、中流階級を主に顧客としていた家具工房は、注文が減っていた時期でもある。職を失った人間が、次の働き口を探すのも難しく、どこをあたっても、職人は余っていると言われ、なかなか雇ってはもらえない。
 仕方なく村へ戻り、ほそぼそとした仕事で食いつなぎ、なんとか過ごしていたが、それも限界だと思いかけていた頃。
 いい金を稼ぐ方法がある、と同じ工房に勤めていた元の同僚から声を掛けられた。
 職人として一緒に働いていたときから、あまり素行はよくなかった男だったから、内心胡散臭いと思いながらも、その話にジルドは乗ってしまった。
 他の兄弟たちの仕送りも、日々少なくなってきたし、大きい仕事をして、たくさんの金を手に入れれば、という思いもあったのだ。
 家族には、心配をかけないようにと、しばらく仕事で村を離れることを伝え、村を出る。
 合法とはいえない仕事は、得られる金だけはよかった。
 生命の危険を感じることもあったが、大した稼ぎもないのに実家で縮こまって生活するよりは気持ちが自由だった。
 しばらくそうやって働いて、彼が村に戻ったのは、そろそろ冬が訪れようかという時だ。
 冬支度には間に合うだろうか。
 そんなことを考えながら家に戻ったジルドは、見慣れたはずの家に違和感を覚える。
 何かが違う、と部屋の中に足を踏み入れた途端、思ってしまったのだ。
 明るい声で迎えてくれた母親に、兄と義姉。腰を悪くしたが、まだまだ元気な父。
 彼らは皆、どこをうろついていたのかわからなかった息子の無事を喜んでくれている。
 それに嘘などないと思うが、どこか様子がおかしい。
 そういえば、去年生まれたという甥はいるのに、見える範囲に姪がいない。
 あれから季節は一回りした。
 少し大きくなった姪に会えるのを楽しみにしていたのに。
「あの子は?」
 辺りを見回しながら、ジルドが尋ねると、母親の顔が曇った。兄も義姉も父親も、妙な顔をしている。
「ジルド。あの子はここにはいないんだよ」
 母親の言葉にまさか、と思う。
 病気でもしたのか、まさか最悪のことが起こったのか。
 だが、母親が続けた言葉は、ジルドの予想外のものだった。
「神殿のえらい方が、黒髪と青い目は尊いものだからと。いずれはそれなりの場所で認められる方になるかもしれないから、是非預からせてほしいと、訪ねてきたんだ」
「預けるって、どういうことだ? だって、あの子はまだ小さいだろう?」
 神殿で見習いをするにしても、まだ母親だって必要な年齢のはずだ。奉公させるにしても、どこかへ売ってしまうとしても、手の掛かる年齢の子供はあまり歓迎されない。
 それに、預かる、といいながら、彼らが置いていったお金は、相当なものだったという。
「売ったわけじゃない」
 言い訳がましく母親が言うが、その目は微妙にジルドからは逸らされていた。
 確かに、続く不作のせいで苦しいのはわかっている。物の値段は上がるばかりで、かといって出来た作物が高く売れるわけではない。
 色が悪い、形が悪い、大きさが合わない、などと理由をつけられ、安い値段をつけられることも多い。断れば、嫌な噂を流されることもあるという。
 苦しいのは自分のところだけではない。
 領主はまだましな方で、収める税は上げず、貧困にあえぐ層をなんとかしようとはしてくれているが、ここまで状況が悪いと、救済が間に合わないということもあるのだ。
 ジルドが両輪と同じ立場だとしても、この選択肢を選んだかもしれない。
 ただ、それを納得することが感情的に難しいだけだ。
 ずっと家をあけ、いなかった自分が、何かを言う資格などないとわかっていても。
 だから、ジルドは、様々な言いたい事を押し込め、黙ってそれまで稼いできた金を母親に差し出した。
「……いつも、悪いね」
 申し訳なさそうに金を受け取ると、母親は今日くらいはご馳走にしようと台所へと向かっていった。父親と兄も、ばつが悪そうな顔をしながら、夕食までに一仕事してくると、家から出て行った。
 後にのこされたのは義姉と、小さな甥っ子だけだ。
 何かを言うべきなのか。
 そう思って義姉を見る。唇は、何度か躊躇いを見せたあと、言葉を吐き出した。
「……本当は、嫌だったんだ」
 義姉が、ぽつりと呟くのをジルドは黙って聞いていた。
 やつれた彼女の顔色は、以前よりも随分悪い。体調が優れないだけでなく、心労もあるのだかもしれない。
「神殿に行って、本当に幸せになれるかなんて、わかるものか。あいつらの目は、私欲に溢れていた。私からあの子を奪った乱暴な手を、一生忘れたりしない」
 縋り付いた手に、自分以外の家族が仕方ないと、ここにいるよりは幸せだと、諦めた顔で言っていたと義姉は哀しそうに口にする。
「あの子を、助けて」
 きっと、家族の誰もが本当は義姉と同じ思いなのだろう。渡さなくていいのなら、そうしていたはずだ。
 でも、家族はあの子だけではない。置いていった金に心が動いたとして、ジルドにそれを責めることなどきっと出来ない。
「……わかったよ、義姉さん」
 ジルドは安心させるように、そう呟いた。
 元々は、その時、自分がちゃんと村にいればよかったのだ。
 そうすれば、例えどんなことがあっても、小さな姪を連れていかせはしなかった。仮に、それを阻止できなかったとしても、相手がどこに姪を連れて行くのかを、確かめただろう。
「俺があの子を探す」
 宛てがあるわけではない。彼らは、どこの神殿に所属しているかも、名前さえも明かさなかったらしい。ただ、神殿が発行する神官としての証を見せただけだという。
 それさえも、本物なのかどうか――今となってはわからない。
「そして、あの子がちゃんと暮らしているか、確かめるよ」
 必ず見つけ出して、もし不幸な目にあっているのならば助け出す。
 そして、今度こそは、ちゃんと守ってみせるのだ。
 あの日、自分に向かって笑いかけてくれた存在を探すために、彼が村を出たのは、寒い冬の日のことだった。

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