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  アルベールを歩こう  

 アルベールは、私が想像していた以上に田舎だった。
 とても王都の近くにある場所とは思えないほど、なにもかもがのどかでゆったりしている。
「あ、牛がいる」
 ぽたぽた、なんて感じで、牛が歩いているのを馬車の窓の向こうに見つけて、私は思わず身を乗り出した。
「ねえ、アルベールには牛がたくさんいるの?」
 隣に座るエジードに尋ねると、彼は閉じていた目を開いて、面倒そうに外を見た。
「そうだな、乳製品が特産だ」
 そういえば、アルベールで作られたチーズがおいしいと誰かに聞いた気がする。チーズは好きなので、ちょっと楽しみかもしれない。
「でも、牛しか見えない。人も家も見あたらないのね」
「住んでいる人間も少ないからな。王家が直接所有する土地の中で一番小さい」
 そう。アルベール領は、代々王の子供達が管理している土地だ。
 エジードが成人したとき、領地として与えられた。彼の前はエジードの叔父、つまり王弟である方が住んでいたけれど、引退して今は別の場所にいる。元々世襲で継ぐ土地ではないのだ。領地そのものも、エジードの言うように広くはない。
「アルベールにある俺の屋敷も小さいぞ。王都にある別邸の方が豪華だな」
「そうなの? 確かに別邸は前王が寵愛する側室のために建てたものだから、豪華絢爛だけど」
 エジードは面倒がって何も手をいれず、あるがままの状態で使っているから、過去のきらきら加減が今でもわかる。
 部屋そのものにしても、そこに置かれた家具にしても、居心地のよさというよりも、見た目重視だったから、あまり使い勝手がいいともいえないし。
「屋敷には、使用人もそれほどおいていない。必要なら人を増やすから言ってくれ」
 そういうと、エジードは手を伸ばしてきて、私を引き寄せた。
 予想していなかった行動だったから、抵抗もできずそのまま彼の腕の中へと移動してしまう。しかも、何故か彼の膝の上という、とんでもない状態になっちゃっているし。
「いきなり何?」
「さっきからずっと外ばかり気にしているじゃないか。牛より俺を見ろ」
 なんでそうなるんだか。
 これから暮らす土地なんだから、気にするのは当然のことでしょうに。
「エジードの顔は飽きるくらい見ているけれど、アルベールは初めてなのよ。気になるのは当たり前です」
 だからどうしてそのくらいの言葉でそんなに不機嫌な顔になるかな。
 結婚してからのエジードは、以前より私に構いたがるようになった。意地悪だったり、優しかったり、面倒そうだったり、と態度は様々だけれどね。
「騎士団の方は数日だけお休みをもらったっていっていたよね。せっかくだし、領地を案内して」
 住む場所のことはそれなりには知っておきたい。おそらくエジードは騎士団のこともあるから、留守にすることも多いんじゃないかと思う。その時、何か不測の事態が起こって、でも私は何も出来ませんし知りませんじゃ、どうしようもないしね。
 けれど、エジードは面倒そうに、ふん、なんて鼻を鳴らした。
「出掛けてばかりはつまらん」
 それって逆じゃないの?
 というか、屋敷に籠もって、何がしたいっていうんだか。
「エジードが嫌なら、他の人に案内してもらうからね」
 別に一緒じゃなくてもいいと言外に匂わせると、簡単にエジードは折れた。
「案内くらい俺がする」
 まったく。変なところで素直じゃないんだから。
「楽しみにしているからね。手を抜かないで、ちゃんと案内してよ」
「手を抜くほど広くない。それに牛以外見るところはないぞ」
 牛にこだわるわね。そんなに牛に興味を示したのが気に入らなかったとか? 大体、一応町として成り立っているんだし、まったく見る場所がないってことはありえないはずだ。
「牛しかいなくてもいいの。それに乳製品は好きだもの。エジードも好きでしょう?」
「確かにここのチーズもバターもおいしいが」
「やっぱり。今日の晩餐には出るかな」
 もしそうならば、本当に楽しみ。特産品なら、思いがけない料理を食べられるという可能性もある。
「本当にそれ以外、何もないところだが、王都よりは過ごしやすいかもしれないな。人が少なすぎて、見知らぬ人間は目立つ」
 僅かに曇ったエジードの顔に、私は首を傾げてみせる。どこか含みを持った言葉に続くのは、あまり楽しくない話題なのだろう。けれども、それは聞くべきことだ。一応、なりゆきで結婚したけれど、覚悟はちゃんとしてきているのだから。
「王族も貴族も一枚岩ではない。お前の両親は国王と親しい。その娘であるお前と俺が結婚したことで、余計なちょっかいをかけてくるものも多いだろう」
「それは、エジード自身が国王派だと見られるということ?」
 そういえば、陛下と王太子殿下は、政治上の意見が食い違っていると言っていた。それから、第二王子と王太子殿下の仲が悪いのも有名な話だ。
「俺は元々、あまり政治には関心がない。それにどちらかといえば、臣下として陛下に忠誠を誓う立場だ。それが兄上に変わったとしても、同じことだ」
「でも、そう見ない人もいるんだよね」
 エジードは、これでなかなか人望もあるからね。騎士団でも人気あったし。彼がただの貴族だったら、こうまでややこしいことにはならないんだろうけれど、第三王子で王位継承権を持っているという事実はなくならない。継承権を破棄したくても、それほど簡単にいかないのだろうし。
「本当に私と結婚してよかったの?」
 ちょっとだけ不安になった。やはり権力争いはどろどろしたものだ。端で見ているよりもずっと神経をすり減らすし、失脚すれば命だって危うくなることもある。国王派である侯爵家の娘を娶ったことでエジードの立場が不利になるのは嫌だし。
 そんな私を見て、エジードはふてぶてしく笑った。しかも私に向かって「馬鹿か」なんて言う。
「全部わかっていて、お前を選んだ。むしろ、お前こそいいのか? 危険な目に合うこともあるかもしれない」
「それは大丈夫。どこに嫁いでも誰と一緒にいても、権力争いがない場所なんてないから。そんなことでいちいち怯えていたら、やってられないわよ」
 蛙以外のことは、大抵大丈夫。お母様にも、図々しいのか鈍いのかわからないという評価をもらった過去があるし。
「だから、エジードはエジードらしく、えらそうにしていてよ。しょんぼりされてばかりだと張り合いもないしね」
 私の言葉のどこかおかしいのか、エジードは笑い出す。
「それでこそ、俺の愛しいお姫様だ」
 だから、それはやめてって言っているのに。私が気持ち悪がるのを知っていて、わざと言っているとしか思えない。
「ところで、この格好はいつまで続けるつもり?」
 私はまだエジードの膝の上だ。
 横座りの状態だから、居心地がいいとはいえない。エジードの膝は硬いし、馬車も結構揺れている。
 なにより、窓の外には、護衛として付き従っている騎士の人たちもいるわけだし。さすがに中を覗き込むような不作法はしないけれど、落ち着かないというか。
 自分から降りようとしても、がっしり肩に回された腕は動かない。
「さあ? どうしようかな」
「人の嫌がることはしないようにって習わなかったの?」
 エジードの手を外そうと頑張ってみたけれど、わずかにぴくりと動いただけで、反対にその手を取られてしまう。
「いや、習わなかったな。それに本当に嫌がっているのか?」
 絡め取られた手がゆっくりと持ち上げられて、気が付くと手の甲に口づけられていた。
「ち、ちょっと! 何しているのよ!」
「奥方様への愛情表現だ」
 その愛情表現はかなり間違ったものだと思う。
 思うんだけど、嫌じゃないから、困ってしまう。強くでられないんだよね。
 今だって、結局エジードのすることを許しているわけだし。
 一番駄目なのは、私か。そう思うと、ちょっとだけ落ち込んだ。
 
 で、結局、エジードが私を離してくれたのは、馬車を降りる直前。
 扉を開いてくれた従者の『私は何も見ていません』という表情に、心の底から申し訳なく思った。

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