勇者が村にやってきた

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  さがしもの  

 目の前で、アサギが野菜を切っている。
 私も見よう見まねで、同じように野菜を切って、アサギに教わりながら味付けをして、後でカーク達に試食してもらう。
 当たり前のようでいて、今までやったことのない『料理』というものに、私はかなり本気で取り組んでいる。
 それは、アサギが私達の旅に同行するようになってから本格的に始めたこと。
 大したことはしていないし、まだ出来ないけれど、こうやってアサギと一緒に料理をするのは楽しくて、ふとした瞬間に、こういうのが『幸せ』なんだろうかと、考える。
 そのくらい、私は長い間殺伐とした人生を送ってきたのだ。
 

 思えば、いつも、いつも、戦うことが一番で、安らぐとか、幸せになるとか、そういうのは二の次だった。
 復讐するためでもあったし、仲間を守るためには必死にならざるを得なかったせいでもあると思う。気を抜けば、死んじゃうっていう状況だったしね。
 それが、『魔王』という人生最大にして最後の敵を倒したとたん、すとんと憑き物が落ちたように、気が抜けてしまった。
 魔王を倒したらやりたいことをやるんだと考えたこともあったのに、いざとなると、何も浮かばない。
 男と付き合ってみたり、おしゃれをしてみたり、買い物をしてみたり。
 普通の女性がやることをしてみたりもしたが、いまいち気持ちが盛り上がらない。
 どれもこれも楽しくないのだ。
 結局。
 帰る場所などないから、今だ悪さをしているという魔物を倒すため旅を続けるというカークたちに付いていくことにした。1人でいても身を持ち崩すだけだと、それだけはわかっていたからだ。


 あれはいつのことだっただろう。
「殺伐としてるわねえ」
 そう言ったのは、偶然立ち寄った街で出会った占い師だっただろうか。
 魔物退治を依頼してきた屋敷に雇われているという彼女は、私を見るなりそう言って笑ったのだ。
「魔王は倒したんでしょう。もっと楽しそうにしなさいよ」
 魔王を倒したからといって、なにもかもが楽しくなるわけがない。そこにいたるまでに、私は結構ひどいこともしてきたし、自分が生き残るために見捨てた人間だっている。
 思い出すと吐き気がするようなことだってあった。
 もちろん、悪い事ばかりがあったわけじゃない。
 同じ目的を持つカークたちと出会ったことは、私の救いにもなった。
 旅をしていくうちに、魔物にもまともな奴がいるってことも知ったし、反対に人間にもひどい奴がいるというのも見た。
 おそらく今回の出来事がなければ、知り得なかったことで、全部が良かったわけじゃないけれど、全てが悪かったわけじゃないと、今なら言える。
 それでも、10代半ばから今までの時間を復讐だけに生きてきたのも事実だ。
 生まれた次期が悪かったとしか言いようがない。
 今回魔物が人間に喧嘩を売ってきたのだって、たまたまその時の魔王が好戦的で人間嫌いだっただけで、それまではつかず離れずの関係だったのだ。
 魔物と人間は互いの境界を侵さず、故にそれを越えて互いの種族を傷つけた場合は、しかるべき場所でしかるべき法によって裁かれる。
 それが崩された時、圧倒的力を持った魔族に人間が劣勢になるのは、分かり切っていたことだから、人間側はなるべき魔物に関わらないように、関わったとしても被害が最低限に収まるようにしてきたのに。
 あの日、魔物のよって崩された均衡は、予想以上に大きな戦いへと発展し、終わった後も、いろんな傷痕を残している。
 でも、少しずつ復興しているのも事実だ。
 旅を始めた頃とは違って、人々の顔は生き生きしている。
 壊れた建物もたくさんあるけれど、徐々に修復されているのか、町の雰囲気も明るくなっていくのがはっきりとわかった。
 私が――私達だけが、そんな中、変わっていない気がする。
 前へ進めない。まるで取り残されたみたいに。
 魔王を倒した英雄だと賞賛されても、自分のことを言われている気もしないのだ。元々、人々を救うためでなくて、復讐のためにした行動だったのだから。
「それとも、復讐を果たして気が抜けたってところなの?」
「違うよ」
 その時はすぐに否定したが、自分の心のうちを見透かされたようで、居心地が悪かった。
「まあ、あれだけのことをしたんだものね。気が抜けるのもわかるけど。そんな顔ばかりしていると、本当に幸せが逃げてしまうよ」
「幸せ、ねえ」
 簡単に言われても、実感がわかない。
 そもそも、幸せってなんだろう。前は魔王を倒したその先に、それがあるような気がしていた。
 でも、実際やりとげてみると、側によってくるのは、『魔王を倒した魔法使い』という肩書きに引かれてきた人間ばかりだ。
 そうでない人は確かにいるけれど、それだけで『幸せ』な気分になれるわけじゃない。
 私が望む幸せって、何なのか。それさえも、よくわからなくなっている。
「大丈夫。心配しなくても、旅をしていればいつか巡り会えるわよ。『幸せ』にね」
 占い師は、まるで幼子でも見るように私を見ていた。
 その声は、さっきまでのからかうようなものは感じられず、厳かなものだった。
「北へ行きなさい。あなたたちの欠けた心を埋めることができる何かがそこにあるわ」
 予言めいた言葉は、正直、信じていなかった。
 だから、すぐに忘れてしまったのだ。
 その彼女の言葉を思い出したのは、やはり偶然訪れた小さな村で、アサギに出会ったからだった。
 

 アサギが笑うと、心の奥がほんのりと暖かくなる。
 それは不思議な感覚だったけれど、その感情を抱くのが初めての経験ではないのだと、この村に来てから思い出した。
 遠い昔、私が魔法院にいた頃。
 忘れてしまうくらい昔に、同じような思いを抱いた人がいたのだ。
 その人は、どこかアサギに雰囲気が似ている。
 その事に気づいたのは、アサギと会って少したってからだったけれど。
 正直、最初会ったときは地味で存在感がない女性だって思った。年も自分より上に見えたから、実年齢を聞いてびっくりしたし。
 その彼女に似ていると思ったのは、魔法院にいた皆の世話をしていた女の人。
 アサギみたいにお人好しな人間だったんだ。
 悪ガキばかりの見習いたちがイタズラをするたびに、本気で怒って追いかけ回してくるし、叱りとばすし。でも、家が恋しくて泣く子供がいると、ぎゅっと抱きしめてくれたり、おいしいお菓子をこっそりくれたりした。
 『おかあさん』と、彼女はみんなにそう呼ばれてた。
 彼女は、親から離れて暮らす私達に、惜しみない愛情を与えてくれた。
 幾人もの人間が彼女に世話になり、魔法院から旅立っていくときに、一番悲しんだのは彼女との別れだ。
 私も皆と同じように、いつか独り立ちして、彼女のことを懐かしく思い出しながら魔法使いとして生きていくのだと信じて疑わなかった。
 実際、そうなるはずだったのだ。
 彼女と最後の約束だってしていた。私が一人前になって出て行く前に、料理を教えてくれるって。
 私があまりにも大雑把なのを心配してのこと。1人暮らしするなら、料理の1つも出来ないと、節約にならないよと笑って。外食ばかりだと新人の給金なんてすぐに尽きしまうからねとも言っていた。
 けれども。
 あの日――魔王が人間に宣戦布告をした日。
 あの時、私の日常は全部なくなってしまった。
 一緒に駆け回っていた友達も、魔法使いとなるための知識をくれた人たちも、苦しい修行を共にした仲間も、優しかった村の人たちも、そして『おかあさん』も。
 生き残ったのは私1人。
 たまたま用事で村を離れていたから。
 異変を聞いて慌てて戻った時には、遅かった。
 後さえ残さすに村は消えていたのだ。
 今でもあれは夢だったのではないかと思えるほどに、何ひとつ残さず。
 呆然と立ち尽くす私に復讐以外の言葉は思いつかなかった。
 その後、ラグに拾われなかったら、私は単身魔王に挑んで死んでいたかもしれない。
 だから、魔王を倒したことを後悔はしていないけれど、生き残ってしまったことで、これから先どうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまったのも、事実だったんだ。


 今、私は『おかあさん』に教えてもらうはずだった料理を、アサギに習っている。
 アサギが知っている料理は『おかあさん』と同じように平凡でどこにでもある家庭料理で、とても懐かしい味がした。
 だから、私も作ってみたいと思ったのだ。
 あの頃の果たせない約束の代わりといったら大げさだけれど、10代の頃には決して出来なかったことを、今私はやり直すかのようにやっている。
 料理だけじゃない。
 ちょっとした繕いものとか、女性なら当然知っているような日常の些細なこととか。
 誰かに尊敬されたり、特別扱いされることはないけれど、何故か幸せな気分になる。
 かつて『おかあさん』がいて、仲間がいて、幸せだった頃と同じ、穏やかな気分になれるのだから。
 家族のまねごとだって言われても、かまわない。
 私は、この幸せを手放したくないと思っている。
 でも、アサギは怒るかな。
 私が重ねている『おかあさん』は、アサギよりも随分年が上――母親といってもいい年齢だった。体格もよかったし、既婚だったし、見た目は肝っ玉母さんて感じだったし。
 アサギは、ものすごく年齢のこと気にしてるもの。私よりも5つも年下だけど、見た目は私よりも年上だ。
 だから、時々心の中で、『おかあさん』みたいだなって思うだけにしてる。
 それくらいは許されるよね。

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