水の啼く星

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  [後編]  

 予想はある程度していた。
 連れ込まれた場所で、男たちに囲まれた時には、怪我も覚悟した。
 だからといって、抵抗もせず殴られるのは、不本意だ。
 まったく、遠慮なく顔やら腹やら殴りやがって。後ろで俺を羽交い締めにしている男も、反撃を警戒しているのか、必要以上の強さで俺を拘束していやがる。
「情けないものですね」
 馬鹿にされているのはわかっているが、俺は沈黙を貫いた。
「私が聞いていたあなたは、もっと要領のいい男だったのですが……。それに、口も固いと」
 俺は実際、自分からはレンには何も話しちゃいない。
 そもそも、俺はミツダと名乗るこの男が何をしたのかも、知るつもりなんてなかった。すでに仕事は終えていて無関係だったし、余計なことを知ってやばいことになるのも避けたかったからだ。
 今レンに雇われているのは事実だが、もしこいつが俺に接触しなければ、約束した時間分の金だけもらって、終わりだったはずなのだ。
 それをわざわざ自分から現れて、やっていたことは怪しいことですって教えているんだから、そっちの方がどうかしている。
 もっとも、依頼主の中には、俺みたいな仕事をしている人間を下にみて、都合が悪ければ消してしまおうって簡単に考える奴もいるから、ミツダだけがおかしいわけじゃない。
「『あれ』にも随分気に入られていたようですが、あなたのどこが興味を惹いたのでしょうね。まったくもって理解不能です」
 『あれ』っていうのは、もしかするとレンのことか?
 確かにレン自身も似たようなことを言っていたが、実際は、俺に興味を持ったというより、『お友達』を探すために近づいたってのが真相だ。
 こいつだって、そのくらいわかっているだろうに、いちいち嫌味ったらしく言うことはないと思う。
 しかし、いつまでも無言でいるのも、面白くない。それに、この倉庫のような場所には、俺とミツダ、それから男が3人しかいない。
 レンのお友達とやらは、別のどこかにいるか、ここからは見えない場所にいるか。
 そのあたりが、俺の命が危うくなる前にわかればいいんだが。
「俺がしていた仕事に関しては何ひとつ、教えちゃいないぜ」
 時間を稼ぐ意味もあって、とりあえず、そうアピールしてみる。俺は言っていないが、レンの方は全部知っていたということは、もちろん教えてはやらない。
 それにしても、口の中が切れているのか、しゃべりにくいし、唇を動かすと、殴られた頬が痛くて仕方ない。
 ようやく口を開いた俺を見下ろしながら、ミツダの方は馬鹿にしたように笑った。
「金を積まれればなんでもするようなあなたですよ。信用できるとでも?」
「別に、あんたが俺を信用しようがしまいが、俺には関係ない。こっちだって、現時点であんたを信用していないしな」
「おい、ミスターになんてこというんだ!」
 側にいた男が、また俺を殴った。
 痛みに顔を顰めるが、さきほどよりも殴る力が弱い。
 言うことを聞かないならば、さっさと始末しちまえばいいのに、ミツダはさきほどから話を続けている。俺を痛めつけているのは、ミツダに付き従う男達だが、そいつらの暴力も、致命傷になるほどのものはない。
 やはり、今ここで殺すつもりはないってことか。
「俺を始末するつもりなのか?」
 それなりに怯えている、という顔をわざと見せながら、俺は尋ねてみた。
「そうですね。そのつもりではありますが、今はまだ生かしておいてあげますよ。もしかすると、『あれ』を捕まえるきっかけになるかもしれない」
 ミツダの目は、まるで酔ったかのように潤んでいる。
 その陶酔したかのような表情に、俺は引いた。
「『あれ』は本当に美しい。本来ならば、私など触れることもできないだろうに、こうやって手に入れる可能性が出てくるとは。もうひとつの方も美しいが、やはり肉食の生き物は違う」
 ぶつぶつと、そんなことを口にしはじめたミツダを見る俺は、きっと怪訝な表情を浮かべていたのだと思う。
「何を言っているんだ、あんた?」
 コレクションと言ったレンの言葉を思い出す。
 まさか、こいつは本当に人間をコレクションしているっていうのか?
「ああ、あれとあなたを番にしてみるっていうのも面白いかもしれませんね。どうせ、もうあなたを生きて帰すつもりもありませんし」
 ミツダの言っていることの意味は半分くらいしか理解できないが、やろうとしていることが本気だっていうことはわかる。
 さっきから額のあたりがやばいってちりちりしているし、ミツダの目は完全にいっちまっていた。俺を拘束している男の表情はわからないが、残りの二人が平然としているっていうのは、ミツダのこの様子は日常的なことか。
「そうと決まれば、さっさと運んでしまいましょう。『あれ』を招くのに、相応しい場所は、ここではない」
 それが合図だったようだ。
 男が一人近づいてきて、俺の肩のあたりを掴んだ。
 手に持っているのは、注射器か?
 おいおい、やばいもんじゃないだろうな。
 そんな俺の疑問がわかったのか、ミツダが笑った。
「大丈夫ですよ、違法ではありますが、精神に作用するような薬じゃない。少し、眠ってもらうだけです」
 十分、やばいと思うんだが。
 そろそろ、助けに来てほしいところなんだがな。
 意識がだんだん朦朧としてくるなか、やっぱりこの依頼、受けるんじゃなかったと、心底思った。
 それでも、抵抗をせずになすがままになっているのは、この一連の出来事が、どこに向かっているのか、知りたいと思ったからだ。


 目が覚めた時、体に感じる不安定さに顔を顰めた。
 床が確かに揺れている。
 どこだ、ここは?
 部屋の中は薄暗く、小さな窓がひとつあるだけだ。
 広さはそれほどでもなく、余計なものなど何も置かれていない。
 どうやら俺は、そこに両手足を拘束されて、転がされているらしい。試しに体を動かしてみたが、鉄製の枷は俺の動きをしっかり封じてやがる。
 それに、打たれた薬のせいか、まだ頭を動かすと視界がぶれた。力の方も、完全には入らず、手の先も痺れたような感覚だ。
 もともと、薬に対しては耐性があるが、未知の薬がどんな作用をもたらすかはわからない。
 とりあえず、現状をしっかり把握するところから始めるか。
 俺は、ゆっくりと辺りを見回した。
 人の気配はしないから、ここにいるのは俺だけか。目の前に扉が見えるが、閉じられている。
 他に目立つものはない。
 ………いや。
 何もないと思ったが、部屋の隅に水槽が見えた。
 結構な大きさだ。殺風景な部屋に似つかわしくないが、どうやら水槽の中には水が入っているらしい。
 しかし、なんだってこんなところに水槽があるんだ。
 何か飼っているんだろうか。
 俺は、目を凝らして水槽の中を見る。
 そして、そこに、何か動くものがいることに気が付いた。はっきりとそれが何かはわからないが、結構大きい。魚でもいるのか。
 俺がそれを確かめようとした、その時だ。
 閉じられていた扉が開き、誰かが入って来る。
 だが、俺はそれが誰かを確かめるよりも先に、扉から差し込んだ光に照らされた水槽の中身に目を見開いた。
 人魚?
 まさか、そんな馬鹿な。
 だが、それは形だけ見れば、人間のような姿だ。体中は鱗のようなものに覆われていて、手は短いが、人のように指は5本に別れている。足らしき先はと言えば、長く半透明な尾のようなものを確認できるが、ちゃんと二本あった。
 長く揺れる黒いものは、髪だろうか。顔の形だって、人間と変わらない。
 だが、この顔は。
「美しいでしょう?」
 響いたのは、ミツダの声だった。
 入ってきたのはミツダだったのだ。俺に、一度だけ視線を送ると、ミツダはまるで恋しいものでも見るように水槽を見つめた。
「この世界にはね、二つの姿をもつ存在がいるのですよ」
 ミツダは、淡々とした口調でそう続ける。俺に聞かせるというよりは、自分に酔っているという感じだ。
「私は、宇宙中を廻って、様々な不思議な生き物を集めてきました。ですが、ある存在だけ、手に入れることを躊躇うものがあったのです。存在はわかっているのに、私はそれを目の前にして、我慢しなければならなかった」
 ミツダはしゃべりながらも、水槽に近づいていく。
 水槽の中の生き物が、口を開き、講義するようにガラスを叩いた。
「だからこそ、見つからないように、私がやっていることが外に漏れないように、慎重に事を進めていたのですよ。もし見つかったとしても、欲しいものを手に入れて、逃げ切る自信はあるのです。この世界は広い。隠れる場所など、いくらでもある。私の寿命が後どのくらいあるのかわかりませんが、命が尽きる前に、どうしても欲しいものを手に入れたかったのです」
「……その、水槽の中身ってのが、二つの姿を持つ存在ってやつなのか」
 俺は、信じられない思いで、そう言った。
 なぜなら、水槽の中の生き物の顔を、俺はよく知っていたからだ。
 俺が、ずっと調査してきた女性。
 レンが探していた『友達』。
 その女性に、そっくりなのだ。
「それにしてもイツキさん、もう薬が切れてきたのですか。2日くらいは、効き目があると言っていたのに。仕方ない、後で追加しておきましょう」
「十分効いているぜ。なにしろ、体がまだ痺れてやがる」
「普通、意識がある程度戻っても、まったく動くこともしゃべることもできないはずなのですがね」
 ミツダが、嬉しそうに俺を見下ろした。
 まるで新しいおもちゃでも見つけたような目をしてやがる。気持ち悪さを押し隠しながら、俺はミツダを見上げた。
 聞きたいことはたくさんあるが、それに答えてもらえるかどうか。
 さっきの妙な言葉も気になるし。
「ああ、そうそう、質問の答えですね」
 さきほど俺が聞いたことを思い出したのだろう。
 答えてくれる気になったというよりは、自分に酔っているミツダが、一歩的に話したいという感じだが。
「二つの姿を持つ者のことでしたね。獣人、人魚、伝説の中でしかない存在。皆はそう思っていますが、そうではない。それらは本当に存在するのです。その水槽の中の彼女もそうだし、私もその一人ですからね」
 そんな馬鹿な、と思う気持ちと、さきほどの水槽の中を見た衝撃に、俺の頭は混乱気味だ。
 だが、この世界には、人間―――ヒューマノイド系ばかりが住んでいるわけではない。
 性別が変わるものも、そもそも性別がない、姿形が違っている、などの生き物がいるのは当たり前の話だ。もしかすると、俺が知らないだけで、その姿を様々に変化させるものもいるかもしれない。
 ばらばらに散らばってしまった人類が、その星に合わせ長い時間をかけて、体を変化させていったということもある。
 しかし、この目の前の人魚のような存在は、やはりおかしい。
 いくら進化したものがいるとはいえ、人と別の生物―――この場合は魚か?―――の姿を行き来するなど、生物学上、ありえないはずだ。
 それとも、俺が知らないだけで、ありえることなのか?
 俺が調べた女性は、どう見てもごく普通の『人間』だっただけに、まだ心の中では、冗談なのではないかと疑ってしまう。
「まあ、普通は信じられないでしょうね。でも、その目で見ればすぐにわかりますよ。あなたも私のコレクションに加わるのですから、いくらだって確かめる時間はある」
「殺すつもりじゃなかったのかよ」
「いずれはそのつもりですが、あなたのその面白い体質も興味があります。この世界、薬が効きにくい存在もいますからね、あなたはそのための研究に役立ちそうだ」
 本当に、冗談でもなく、ミツダは人間をコレクションしているらしい。
 今までの話からして、人間以外の生物も集めていそうだが、そうならば、やっぱりこいつはおかしいとしか思えない。
「さて。あなたには発信器が付けられていたようですが、それを辿って、『あれ』は来てくれるでしょうか。そうであれば、とても嬉しいのですが」
 やはり、発信器に関しては気が付いていたか。
 まあ、気が付かないはずがないだろうとは思っていたが、レンもそのあたりは想定済みかもしれない。もし、ミツダがレンを欲しがっているというなら、わざとおびき寄せるために発信器の存在を見逃すだろう可能性も考えていなかったとは思えない。
 ただ、その場合、レンが応援をどこかに頼むということだってありえるはずだ。
 ミツダに従う男達3人以外に、彼に味方するものがいるかもしれないし、用意周到に準備したと言っていたはずだ。
 彼女がこの星では、思うように動けないと言っていたことも何か関係があるのだろうか。
「私も、いろいろ手を回していますからね。それにここの政府は、他星系の警察や軍の介入を嫌う傾向にある。面倒事も金で解決したいようですからね、そういう意味では、私のような後ろ暗いことがある人間や、わずらわしいことを避けたい者には良い面もあります。『あれ』も、ここへ休暇としてやってくるのは、そういう面倒なことから逃れたいためらしいですからね」
 ならば、最初はレンも純粋に休暇としてここへ来たってことか?
「元々の目的は、彼女ではありませんでしたが、運良く『あれ』が来て、こうやって首を突っ込んできたのは、私としては嬉しい限りです」
 よくもまあ、べらべらと話すもんだ。
「彼女が自惑星の政府に助けを求めたとしても、それらが来るのに、簡単な距離でもない」
 まるで、自分の計画は全て順調にいくと疑っていない様子だ。
 本当にそうだろうか。
 ここには俺というイレギュレーもいる。レンだって、男が言うように簡単に捕まるとは思えない。俺を利用するといっているが、レンがもし優先するなら、あの水槽の中の『お友達』のような気がする。なにしろ、俺とレンが出会ってからの時間は短い。
 甘い顔をしていても、利用するつもりだったら、切り捨てられる可能性もあるのだ。
「とりあえず、あなたにはもう少し薬を追加しておきましょう」
 ミツダはそう言って、ポケットから注射器と小さな茶色の瓶を取り出した。
 冗談じゃないと身をよじって逃げようとしたが、やはりまだ体の動きが鈍い。同じ薬だとしても、2回も打たれれば、何が起こるかわからない。
 どうにかそれをたたき落とせないか、そう思ってミツダの動きを探っていたその時、俺は異変に気が付いた。
 外が騒がしい。
 何かが動き回る音や、怒鳴り声が、開いた扉から漏れ聞こえてくる。
「ああ、どうやら、お客様のようですね」
 ミツダの顔が輝いている。
 期待に満ちた様子で、ミツダは扉を見て、それから俺の方へと近づいた。
「少し、おとなしくしてもらいましょう」
 ミツダの手に握られた注射器が容赦なく俺の腕にささる。1回目より量が少ないが、そこから広がるような痺れに、俺はうめき声を上げた。
 それでも、1回目のようにすぐに意識を失うことはない。
 体は動きにくくても、その場の状況は認識できる。
「こんなところにいたのね」
 そう言いながら部屋に入って来たのは、レンだった。
 ウェットスーツ姿で、髪は泳いだあとのように濡れて乱れている。
「素敵な船だけど、乗っている人間が少し無粋ねえ」
 彼女の言葉で、床の揺れは、ここが船上だったのがと気づかされた。
「外に、私の部下がいたはずですが」
「ここにいた坊やたちは、残念ながら、こちらへは来られないわ。今頃、甲板の上で伸びているんじゃないかしら」
「役立たずどもが!」
 それまでの丁寧な口調をかなぐり捨てて、ミツダが叫んだ。
「あら、そんなことを言ってはだめよ。結構苦戦したのだから」
 レンの来ているウェットスーツは、確かにところどころ破れている。ついているのは血、だろうか。
「それにしても、随分ひどいことをしているのね。彼は、関係ないでしょう?」
 レンは俺の姿を見て、わずかに顔をしかめた。
「関係ないというには、少し関わりすぎたようですがね」
 ミツダは俺の髪を掴むとそのまま自分の近くに引きよせた。痛い、と口に出したいところだが、どうやら薬のせいかうまく言葉は出ない。
「あなたが下手な動きを見せれば、彼も無事ではすみませんよ」
「そうねえ、どうしようかしら?」
 困ったように顔をしかめて、彼女は俺を見た。
 その表情は、悩んでいるようにみえて、でも、その瞳には何の表情も読みとれない。
 そうこうしているうちに、いつのまにかミツダの手には古い形の銃が握られていた。小さいが至近距離で打てば、致命傷になるだろう。
 レーザーガンと違って、安く手にはいるため、最近では護身用として持っている奴が多い。だいたい、レーザーガンは、一般人が手に入れるには許可やらめんどうだし、値段も高い。どちらかといえば手軽に持ち運べるし、場所によっては骨董品として押し通すことも可能だ。
 それを俺の頭に押し付けているミツダは、物騒なものを持っているわりには、満面の笑顔で、それが不気味だった。
「これは、地球産の銃なのですよ。生き物とは違い、私のコレクションではありませんが、とても扱いやすい。気に入っているのです」
 まるで子供がおもちゃを自慢するように言っている様は、やはりどこか尋常ではない。
「彼も興味深くはありますが、ただの人間だ。あなたの方がずっと価値がありますからね。それでも、大人しくあなたがコレクションの加わってくれるのならば、とりあえず彼を殺すのはやめておきますよ」
 ミツダの視線は、レンに向けられたままだ。
 俺の頭を掴んではいるが、それほど強い力じゃない。銃だって、頭に向けられているが、ただ当てられているような感じだ。
 こいつは俺が薬のせいで、まったく動けないと思い込んでいる。
 だから、それほど注意してなくとも、大丈夫だと考えているのだろう。
 確かに体の方は痺れているが、まったく動かないというわけじゃない。
 床から起き上がるほどの力はないが、例えばわざと倒れかかったり、なんてことくらいは出来そうだ。
 幸いなことに、今の俺は起き上がっている状態だ。
 そういうわけで、俺はミツダの様子を注意深く見守った。チャンスは一度だけ。失敗すれば、俺もレンも、無事ではいられないかもしれない。
 今までは、大人しくしていたが、やられっぱなしはストレスも溜っているしな。
「コレクション、ね。相変わらず、趣味が悪い事」
 レンの唇の端があがり、俺に向かって微笑みかける。
「イツキも、そう思うでしょう?」
 思う、と答えたいところだが、やはり口がうまく廻らない。目線だけで同意を伝えたが、届いたかどうか。
 だが、ミツダはその言葉が気に入らなかったようだ。
「趣味が悪いだなどと、あのすばらしい収集品を見れば、そんなことを言えるわけがない」
 自分がコレクションされる立場だったら、レンの感想は普通だと思う。
「さあ、どうするんです? 私はあなたのこともコレクションに加えたいですが、抵抗するなら、彼を殺します。もったいないですが、あなたにも死んでもらうことになるかもしれない」
「あなたは、私やあの子ばかり美しいと言うけれど、自分だって同じでしょう。それとも、自分のもうひとつの姿に自信がないの?」
 レンが挑発するように笑った。
 あきらかに、ミツダを馬鹿にするような表情だ。
 ミツダの手が僅かに震えているのは、怒りのあまり、我を忘れかけているという状況か。
「わ、私の姿のことは言うな!」
 叫び声の後、わずかにミツダが俺を掴む手の力が弱まった。視線もレンの方に向けられたままだ。
 今しかない。
 俺は、わずかばかり残った力を使い、ミツダに向かって倒れ込んだ。
 体格で言えば、俺の方が大きい。体重も違う。しかも、相手は油断していた。
 ミツダは不意を突かれた形で、前にのめった。もちろん、勢いがあるとはいえ、こちらには倒れ込む以外のことは出来ない。
 体勢を崩しはしたが、ミツダはすぐに立ち直り、俺を突き飛ばそうとした。
 だが、レンはその一瞬の隙を見逃さなかったようだ。
 ミツダの視線がそれたその瞬間、伸び上がるようにレンの体が飛んだ。
 そのまま勢いをつけて、ミツダの顔を蹴り上げる。そして、ミツダの手からこぼれ落ちた銃を拾い上げ、ためらうことなく引き金を引いた。
 銃声は4発響いた。
 絶叫とともに、ミツダが床の上を転がる。
 視界の端に、両手両足を打たれたミツダの姿がうつった。
「あの子はどこ? まさか、殺したりはしていないでしょうね」
 近づいたレンが、仰向けになったミツダの腹に足をのせ、ぐっと押した、
「そ、それは……」
 痛みにあえぎながら、それでもミツダはそこから逃げようと必死だ。
「殺したの? 殺してから剥製にでもして飾るなんてこと、ないわよね」
「わ、私は殺してなどいない!」
「そう。でも、あの子はそんなに強くはない。脅されたりすれば、死んでしまうかもしれない」
 俺は、うめき声を上げた。
 それまで、水槽の隅にいたのか、騒ぎの間、妙に静かだとは思っていたが、いつのまにかガラス越しに、例の女が顔を覗かせている。
 それに気づいた俺が、視線で水槽の方を示すと、レンがそちらに首を動かした。
「……ああ、こんなところに」
 ほっとしたように呟くと、レンは再びミツダの方も向いた。
「別にあなたが何をどうコレクションしようと、どれだけ違法に他の場所から人間や動物を連れてこようと、あの星に害がなければ放っておいてあげたのに。もちろん、他の星から何か言われても、助けてあげることもなかったけれど。でも、あなたは一番してはいけないことをしたわ」
 レンの足が、今度は倒れた男の腕を踏んだ。
 撃たれた場所だ。相当痛かったのか、男は悲鳴をあげた。
「ねえ、どうして、同胞に手を出したの?」
 レンの声は、とても優しい。幼い子供に言い聞かせるような、暖かな口調だ。
「あなただって、私たちと同じなのに。あの星の恩恵を受けて、ある程度違法なことも、見逃してもらえていたのでしょう? 元々、あなたの趣味は私から見ればおかしなものだったけれど、ばかなことさえしなければ、上の人たちだって、知らん顔をしてくれていたはずよ」
 それもどうかという発言をレンはさらりと口にする。
 いったいどういうところなんだと思ったが、俺にはそもそもレン達の事情など関係ないことだ。
 彼らには彼らの法と秩序があり、それは別の惑星に住む俺にはあずかり知らぬところだ。
「ご褒美にね、あなたのこと、好きにしていいって許可をもらったわ」
 レンの顔に、その時浮かんだ表情を、俺は忘れられないだろう。
 俺の前で見せた眼差しとも、さきほどミツダと相対していた時とも違う。ただ、純粋に本能のまま獲物に襲いかかろうとする獣。
 そんなふうに、確かに見えたのだ。
「同胞を害したものがどうなるか―――忘れてしまったわけではないでしょう?」
「や、やめろ! 助けてくれ、食われる!」
 ミツダが俺に縋り付くような目を向ける。
 だが、今の俺は身動きひとつ取れない状態だ。二人の様子を呆然とみながらも、何もできないでいる。
「い・や・よ。だって、私、とてもお腹がすいているのだもの」
 優しい笑みだった。
 全てを許し、慈しむような美しい微笑み。
「大丈夫よ、すぐに楽にしてあげる。痛みでのたうち回る姿は、あまり美しくないもの」
 そこにいるのは、やはり俺の知っているレンではなかった。
 獲物を目の前にした、肉食獣。そんな言葉が相応しい姿にしか見えない。
「イツキ、少しだけ待っていてね」
 レンが、ミツダの手を掴む。そのまま、引き摺るようにして、扉の向こうへと歩きだす。
「あなたには、見られたくないのよ」
 振り返ったレンが、困ったように笑ってそう言った。
「だから、ごめんなさい」
 何を謝っているのか、わからない。
 そのまま、レンとミツダを見送ることしか俺には出来ないのだ。
 俺の意識ははっきりしているとはいえ、動くことはまだできない。拘束されたままだし、痺れも残っている。
 だから、隣の部屋で何が起こっているのか確かめることはできない。
 一度だけ聞こえた悲鳴は、ミツダのものだったような気がする。
 何かを咀嚼するような音が聞こえたのは、気のせいだったと思いたい。
 どのくらいの時間がたったのか。
 あまり時間は過ぎていないのか。
 聞き耳を立てるうちに、それに被さるような波の音が響き―――俺の意識はだんだんと眠りへと誘われていく。
 やはり、まだ薬の影響があるのかもしれない。
 隣の部屋で何が起こっているのか知りたいのに、それが出来ない。
 何度も途切れそうになる意識を必死で繋ぎ止めようとしたが、うまくいかず―――いつのまにか、俺は眠ってしまっていた。


「ちょうどいいわ。泳いで行きましょう。乗ってきたボートは、少し離れた場所にあるわ」
 誰かの声がする。
 低く声のトーンを落としているが、レンだ。
「そうですね、ここは海の上ですし、救援を頼むというのも難しいかもしれません。何より、目立つことはしたくない」
 こちらは、どこかで聞いたことがあるような女性の声。だが、誰だったか思い出せない。
「イツキには、申し訳ないけれど、しばらく意識ははっきりしないだろうし、溺れさせないように気を付けるしかないわね」
 何かとんでもないことを言っているような気がするが、体が思うように動かせない俺には、拒否することもできない。
「ここに転がっている3人はどうしますか?」
「ミツダがどこまで事情を教えているのかわからないし、仕方ないから、彼らにはちょっとつきあってもらいましょう。上の人達が、秘密裏に応援を寄こすっていっていたけど、少し時間がかかりそうだし、任せてしまってもいい?」
「かまいません。あなたも彼もここにいない方がいいでしょう」
 その言葉のあと、そのまま、誰かに抱き起こされ、引き摺られるようにどこかへと移動させられる。意識ははっきりしないのに、ぎごちないながらも足が動くのは、盛られた薬の作用だろうか。
 やがて、心地よい風を感じたと思ったら、浮遊するような感覚があって、体に冷たいものが触れた。これは――水? いや海水か。
 ならば、ここは海の中だ。
 暗いのは、今が夜だからか。
 無理に開いた目が、空に広がる星と、俺を抱える何かを映した。
 白い、白い生き物が、すぐ側にいる。
 海の中でさえ、その美しい鱗がわかる。
 瞼のない目は、薄い青色だ。
 誰かの目に似ている。
「……レン?」
 声が出ないが、その唇の動きに、白い生き物は気が付いたらしい。
 俺の唇に、その長い指のようなものが触れた。
 懐かしいような冷たさを感じて、俺は手を伸ばそうとするが、うまく動かない。
『もう少し、おとなしくしていてね』
 意識を手放す瞬間、俺は確かにそんな言葉を聞いた。


 気が付けば、俺はホテルのベッドの上で寝転がっていた。
 いつのまにか、体の傷は手当てされ、服まで着がえさせられている。
 ベッドの端には、形のよい尻を軽くのせたレンがいて、俺を見ていた。
「あら、目を覚ました?」
「俺は、助かったのか?」
「そうみたいね」
 レンの手がのびてきて、俺の頬に触れた。やはり、その手は冷たくて―――今はそれが心地よい。
「海の中で、白い生き物を見た。あれは、なんだ?」
 幻のように瞼の裏に焼き付く姿が、頭から離れない。
「レンの目に、似ていた気がする」
「………世の中をうまく渡るにはね、忘れることも大切よ」
 また、あの目だ。
 感情を伺わせない、ガラスのような眼差し。
「そういえば、あの男はどうなったんだ?」
 ミツダと名乗った男の姿を思い出す。
「同胞を自分の都合で誘拐したのだもの、今頃、どこかの獣の腹の中かもね」
 赤い唇から覗いた小さな舌が、ぺろりと上唇を舐めた。
 助けてくれ、食われると言った男の顔が甦る。
 まさか、まさかな。
 そんなことがあるはずがない。彼女は人間で、それ以外の何かのはずがない。ミツダの言うように、もうひとつ別の姿を持っていたのだとしても、食うなんて非現実なことがおこりうるはずはない。
 だが。
 船の上で、はっきりしない意識の中、聞いたのは、あれは何の音だった?
「私、そろそろ休暇は終わりなの」
 ゆっくりと俺の頬を撫でながら、レンが言う。
 細めた目の奧は、やはりガラス玉のようだ。感情がないかのように、何もそこからは読みとれない。
「報酬は、あなたの指定した講座に振り込んでおいたわ。特別におまけも付けておいたから」
「行くのか」
 随分あっさりとした別れの言葉に、残念だと思う俺がいる。
 その反面、ほっとする気持ちもあった。もしこのまま一緒にいれば、俺はきっとあの時のことを尋ねてしまうだろう。
「そうね、でも、二度と会えないわけじゃないわ」
「だが、この世界は広いぞ」
 多くの惑星が、それこそたくさんの人々や、地球系統ではない生物で溢れている。
 互いに意識して連絡しあわなければ、消息さえ掴めないなんて、当たり前のことだ。
 俺にだって、今まで培ってきた情報を調べるネットワークはあるが、それだって完全なわけじゃない。
 こんなことを思うなんて、俺は思っている以上に、レンが気に入ったのかもしれない。
 振り回されたが、嫌ではなかったということか。だからこそ、秘密を問いただしてしまいそうな自分を恐れているのかもしれない。
「大丈夫よ。一度繋がった縁は、案外切れないものだから」
「そうだといいが」
「でも、そう言って貰えると嬉しいわ。ねえ、イツキ。いつかここに来て? ステキな夢を見ることが出来るかもしれないわよ」
 レンは、俺の胸ポケットにするりと一枚の紙を滑り込ませた。
 それから、ゆっくりと名残惜しげに俺から手を離すと、立ち上がった。
「じゃあね、イツキ。また、いつかどこかで」
 そう言って彼女が去った後、俺はレンが残していった小さく折り畳まれた紙を見た。
数字の羅列が8つと、ホテルの名前が書かれている。
 住所は遠く離れた、ここではない別の星。
 カジノで有名な、砂の星の名前。
そして、電話番号だ。
 彼女は、今の住処は砂ばかりの星だと言っていた。だとすれば、これはレンの連絡先、ということだろうか。
 それを残して行った真意は何なのか。
 確かめるために、いつかここへ行くのもいいかもしれない。
 そして、再会できた時、彼女がまだ俺のことを覚えていたら。
 この一連の真実を尋ねる勇気を出してみるのもいい。


 また会えれば、だけどな。

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