81. 忘れもの (中学生)
机の上に、いつの間にか、白い箱が置いてあった。
誰かの忘れ物だろうか?
それにしては、何の飾りもプリントもなく、テーブルの上にぽつんとあるのは異様に感じられた。
何気なく近づいて、手に取ろうとしたところで、その手を誰かに捕まれる。
「むやみに触るな」
「どうして?」
説教する時や私達を叱るとは違う怖い顔だった。手も掴んだまま、離してくれない。
「もしそれが危険物だったら、どうする?」
「だって、家の中だよ?」
セキュリティだってしっかりしているし、周りにいる人も知っている人間ばかりだ。馬鹿にされたりすることはあっても、直接的に危害を加えられることなどなかった。
「完全に安全なところなんて、ないと思っていた方がいい」
「そんな…」
絶句する私を悲しそうな目で見ると、彼は視線を白い箱に移した。
「とりあえず、これはただの忘れ物だとは思うが」
でも、彼はそれに触れなかった。近くにいた誰かに目で合図をすると、私を連れてその場から離れようとする。
「心配すんな。あんたたちを守るために俺がいるんだから」
安心させるように頭を撫でてくれたけれど。
改めて自分が普通の人とは違う生活を送っているのだと思い知らされたような気がした。
82. 風船 (高校生)
「何持ってるの?」
さっき学校から帰ってきた姉が着替えもせずに、ソファの上に寝っ転がったまま、ぼんやりとしている姿を見つけて、私は声をかけた。
「んー、もらったの」
返事した姉の手には、白い紐が巻き付いていて、その先には、赤い風船が揺れていた。
「当主のお客に玄関で会ったんだけどね。その人と一緒にいた子供がくれたのよ」
お祭りに行ってたんだって。
風船を引き寄せ、左手でつつきながら、姉は呟く。
「そういえば、小さい頃、父さんたちとお祭に言ったっけ」
忘れてしまいそうなくらい昔の話だ。
両親は生きていて、私たちはどこにでもいる普通の子供で。
当たり前のように、外を自由に歩いていた。友達だってたくさんいたし、毎日遅くなるまで泥だらけになって遊んでいた。
まだそれほど時間は過ぎていないはずなのに、思い出はとても遠い。
「途中のお店でくじを引いたらハズレで、風船だけをもらったんだよね」
そんなこともあった。
並べられた景品が欲しくて、姉と二人、少ないお小遣いを使いきってしまい、揃って親に怒られたんだっけ。
「誰かさんはすぐに風船割っちゃって、泣いてたよね」
姉が懐かしむように姉は目を細める。
「そういう誰かさんも、うっかり手を離して風船を飛ばしちゃったはずだよね」
風船を割った私と無くしてしまった姉を、父が必死に慰めてくれた。
大好物の綿飴を買って貰ってようやく泣きやんだ頃には祭も終わりかけだったんだっけ。
あれから、一度も祭には行っていない。その後すぐに両親が亡くなり、私たちは、この屋敷へ引き取られたからだ。
「また行けるといいね」
「……そうだね」
叶わない願いかもしれない。それでも、いつかと思ってしまう。
どんなに先のことでもいいから、この願いが叶いますように。
83. むずむず (小学生)
「なんだしかめっ面して」
居心地の悪さが消えなくて、もぞもぞしていた私の様子をいぶかしんだのか、前にいた彼が振り返ってそう言った。
「んー、背中がむずむずするというか、気持ち悪いというか、得体が知れなかったというか」
「もしかして、それはあの男に対しての感情か?」
さすがに察しがいい。
私たちが面会していたのは、当主の親戚を名乗る人間だった。当主ほどではないが、ちゃんと力もあって、地位もそれなりのものらしい。
当主と折り合いが悪いらしく(屋敷で働くお姉さんたちが噂していた)、滅多にここにはやってこない。それなのに、今日、ふらりと連絡もせず現れて、私に会わせろと言い出したらしい。
妹ではなく、私に面会を求めたところとか、当主が不在の時を狙ってきてるところとか、本当に嫌な感じだ。
しかも、彼は、屋敷の者が断ったのに強引に入り込んで、私の部屋にやってきた。
こういうときに限って、彼も妹も不在。
あわてて私と男の間に入って事情を説明してくれたお屋敷の人がいなければ、不審人物かと思って大声を出したところだった。
身元はそれでわかったけれど、不信感が消えたわけじゃない。
人のことを舐めるように見ているのも気持ち悪い。
言葉遣いは丁寧で、態度も紳士的に振る舞っていたけれど、言葉の端々に私を馬鹿にするような気持ちが滲み出ているし。
自分の立場のことなんて言われなくてもわかっているし、力がないことも、当主に感謝しなければならないことも、ちゃんと知っているのに。
教え諭すように何度も言われても、はいそうですかとしか答えられない。
この人は、そこまで私が何も知らない子供だと思っているんだろうか。
図々しく妹にくっついてきて、ぬくぬくと贅沢な暮らしをしているとでも考えているのだろうか。
当主はそれほど甘くないし、両親と生活していた頃よりも、きちんとした毎日を送っているというのに。勉強だって、妹の身内として恥ずかしくないようにと、頑張っている。
それを全部否定されて、そろそろ私の我慢の限界は近づいてきていたから、呼ばれた世話役の彼がここへやって来なければ、男の足をけっ飛ばしていたかもしれない。
その辺りは、まだまだ子供だとは思うけれどね。
現れた彼は、普段私たちには見せない仕事用の笑顔と態度で、やんわりと男に部屋からの退出を即し、同時に私が切れたりしないようになだめはじめた。
それが、ついさっきのことで、私は、まだ胸の中にむかむかが消えないから、男が出て行った後かなり長い間、扉を睨み付けていたというわけだ。
「これから、あんな連中があんたを品定めにやってくるだろうけれど」
口元を緩め、普段通りに戻った彼は、そう忠告してくれた。
「堂々としてればいい。当主が認めて、ここへ住むことを許されたんだからな」
「うん」
「『うん』じゃなくて、『はい』」
「はい」
「よしよし、良い子だ」
頭をくしゃくしゃにされる。彼のやっていることも子供扱いだけれど、馬鹿にされているわけじゃないし、触れる手が優しいから嫌じゃない。
いつのまにか、背中にあったむずむずは消えてしまっていた。
84. 大騒ぎ (小学生)
「ひどい騒ぎだったんだって?」
夜遅く当主の部屋に呼ばれた俺は、いつもよりも楽しそうな彼の顔をみて、ため息をついた。
「それほど大騒ぎじゃありませんでしたよ。報告したとおりのままです」
「屋敷の者は、大騒ぎだと言っていたけれどね」
誇張しすぎだ。
確かに、突然やってきたあの男は1人騒いでいたようだが、大騒ぎというほどではなかった。
当主も、その辺りはわかっているのだろうが。
「会わせないように頑張っていたんだけどね。まさか不在を狙ってくるとはね」
「運の悪いことに、俺も側を離れていましたからね」
たまたま、彼女は1人だった。屋敷の者の話によると、止めたにもかかわらず、強引に扉を開けさせたのだという。
知らせをうけて、慌てて駆けつけた時は、二人が部屋で話し始めて数分はたっていただろう。
丁寧な言葉で嫌味を言うあの男と、黙ってそれを聞いている少女の姿が対照的だった。
「よく我慢したとは思いますよ」
あの場での少女の様子を思い出す。
年齢には不釣り合いな醒めた目をし、おとなしく男の話を聞いていた。普段の彼女なら――ある程度親しい人間の前ならば、とっくに反論しているところだ。
だが、彼女はそれをしなかった。
何を言われても、大人の言うことを聞くおとなしい子供のふりで、俯いていたのだ。
それが、ひどく痛々しく見えて、俺の方が情けなくなってしまった。
「本当ならば、もっと子供らしく怒ったっていいはずなんです」
「……辛いことを強いていると、自覚はしているよ。だからこそ、お前がフォローしてやってくれ」
「わかっています」
いつのまにか、家族よりも身近に感じるようになった双子のことを思いながら、俺は頷いたのだった。
85. もういちど (大学卒業時)
卒業したら、もう一度言おうと思っていた。
幼い頃にした約束を忘れていないのならば、伝えたいと思っていた。
ずっと側にいて欲しいと。
「卒業おめでとう」
別れた時と変わらない笑顔で、あなたはそこにいて、卒業式の会場から出てきた私に向かって手を振った。
「どうしてここにいるの?」
あまりにも驚いてしまったから、人目もあったのに、大きな声で出してしまった。
遠く離れた故郷に、彼はいるはずで。
来るとも聞いていなかったし、私も特にそうしてほしいとも言わなかった。
「一番に会うのは私と言い張る我が儘なお姫様に、その権利を譲ってもらったんだ」
「何よ、それ」
確かに、妹ならば、故郷に帰る私に真っ先に会いたがるだろうし、それを邪魔されるのも嫌がるだろう。
彼も、もちろんそれを知っている。
「譲ってもらったにしても、あっちで待っていてくれればよかったのに。来るのは大変だったでしょう」
嬉しい癖に、素直になれないから、心にもないことを言ってみる。
「俺は、あんたの護衛だ。1人で帰らせるわけにはいかないだろ」
私も素直じゃないけれど、彼の方もそうだった。
本当は、4年前に、私の護衛からははずれているから、彼の言っていることはおかしいわけだけれど。
「私はただの普通の人だよ?」
今の私はそうだ。
大学を卒業したけれど、就職も決まっていないわけだし。
「これからやろうとしてることは、普通であるあんたじゃないと、できないことだろう? 少なくとも、俺や当主、あんたの妹はそう思っている」
妹をもっと自由にするために、古い体制でがちがちになったシステムを変えてしまいたかった。そのために、効率も良く、新しいやり方を多く取り入れて成功している、この都市に来たのだ。
一般人として暮らしながら、コネも時々つかって勉強したことは新鮮で驚くことの連続だったけれど。私でもやれるかもしれないという自信には繋がった。
「これからは敵も増えるだろうから、信頼できる護衛も必要だろうしな」
別にそれはあなたでなくてもいいだろうに。
それよりも、妹の方が心配だから、あなたに付いていてほしいのに。
「俺があんたの側にいたいんだ」
そう言われて、嫌だなんて答えるわけがない。
小さい頃から、ずっとあなたに恋していて、誰よりも一緒にいて欲しいと願っていたのは私の方なのだから。
「あーあ。先こされちゃった」
本当は、私の方から言いたかった。
側にいて欲しい、離れないでいて、と。
「でも、嬉しいよ。これからも、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、断られなくてよかったという彼の呟きが聞こえた気がした。
卒業したら、もう一度言おうと思っていたのに。
先を越されてしまって、ちょっと悔しかった。
だから、今は言えない「愛している」はいつか私の方から告げてみよう。
その時、あなたは「負けず嫌いだな」と笑うのかもしれない。
86. ペット (小学生)
隣の席の吉岡くんの家の犬が、子供を生んだらしい。
全部で、三匹。
吉岡君曰く、『ものすごく可愛い』んだそうだ。
羨ましくて、私も飼いたいと言ったら、駄目だと言われた。
見に行きたいと言ったら、それも難しいと言われた。
がっかりしていたら、吉岡くんが、写真を見せてくれた。
想像していたよりも可愛らしくて、触ると気持ち良さそうだった。
いつか、大人になったら、誰にも文句なんか言わせずに、犬を飼いたいな。
87. 順番 (中学生)
嫌いなものは最後にするか、最初にするか。
机の上に積んである宿題を見て、考え込む。
最初にやってしまえば、後で楽できるような気もするし、得意な方を先にやって、苦手なものを後でじっくり時間をかけるという方法もある。
うだうだ、うだうだ、と悩んでいたら。
「どっちでもいいから、唸っていないで、早くやれ」
ぱこんと頭を叩かれ、怒られた。
88. せんたくもの (大学生)
1人暮らしをするようになって、自分で洗濯するようになった。
洗濯自体は機械がやってくれるからいいけれど、干すのは自分でしたことがなかったから、ちょっと新鮮だった。
今日も朝から良い天気。
ベランダに並ぶ洗濯物が風に揺れている。
遠い昔、まだ家族で暮らしていた頃のことが思い出せるから、その風景は嫌いではなかった。
89. 占い (中学生)
「今日のラッキーカラーって、ピンク色なんだって」
テレビを見ていた少女が、俺の方を見た。
「ラッキーアイテムは、リボンだって」
隣に座っていた黒髪の少女も、俺を見た。
なんだよ、その目は。
もしかして、リボンをつけた俺の姿を想像でもしているのか。
二人ともが同じような眼差しでこちらを見たあと、ちらりと目線を会わせると笑う。
「俺がそんなものをつけるわけないだろ」
実行したそうな双子を睨むと、二人揃って、ぺろりと舌を出し肩を竦めた。
容姿も性格もまったく違うのに、こういうときだけ、息がぴったりなのが、本当に不思議だ。
90. ろうそく (小学生)
ゆらゆらと、暖かな光が部屋を照らしていた。
明かりを消した部屋の中には、私と姉、それから彼がいた。
3人が囲んでいるのは、大きなケーキ。
誕生日だということで、屋敷の人たちが用意してくれたのだ。
「せーの」
二人で言って、同時にケーキに息を吹きかけた。
「おめでとう」
ろうそくの日が消えて、あたりが暗くなると、ぱちぱちと手を叩く音と、彼の声が聞こえた。
電気が付くまでの短い間、姉と手を繋いでいた私は、知らない場所で初めて迎える誕生日に、不安と期待と、まだ祝ってくれる人がいるのだという小さな幸せを感じていた。
91. しのび足 (中学生)
そっと、そぉっと、彼に近づく。
ソファーに座って静かに本を読んでいる彼を、驚かしてやろうと思ったのだ。
「何やっているんだ」
彼に近づく随分前に、呆れた声で呼びかけられた
振り返ってこっちを見ている顔には 馬鹿なことをやっていると大きく書いてあるような気がする。
舌打ちすると「そんなことするんじゃない」と叱られてしまった。
つまらない。
こうやって脅かそうとして、一度だって成功したためしはないし、子供な私は、何をやっても軽くあしらわれてしまう。
もっと年が近かったら?
もう少し、私が大人だったら?
今とは違う関係になれただろうか。
全然相手にされないという可能性もある。美人じゃないし、特に何かが秀でているというわけじゃないから。
もしかしたら、会うことさえなかったかも。
ああ、自分で考えたことに落ち込んできた。
「どうした?」
読んでいた本を閉じると、彼は立ち上がって私の側までやってきた。
心配そうな顔は、あくまで子供相手のものだ。
そりゃ、中学生の私なんて、あなたから見たら、子供だろうけれど。
恋愛対象になんてなるはずもないけれど。
少しでも子供じゃない私を見て欲しいと思うのは、やっぱり子供の考えなんだろうか。
「次は絶対、成功させるからね」
そっとしのびよって脅してみることも、子供扱いさせないことも。
いつかは、その『大人の顔』を崩してみせる。
「ま、楽しみにしているよ」
面白そうに言われたから、わざと子供の顔で、笑ってみせる。
少し意外そうに眉を潜めた姿に、ちょっとだけ勝ったようながした。
もちろん、勝ち負けが問題じゃないけどね。
92. ラッキー (高校生)
「あ、やった」
姉が、食べ終わったアイスクリームの棒を見ながら、嬉しそうな声を上げた。
甘ったるく冷たい赤色のアイスは、最近、クラス内で流行っている。
学内の購買で売っているし、値段もそれほど高くないので、私たちの小遣いでも充分買えるものなのだ。
「当たったの?」
「うん」
姉が、私に『当たり』と書かれた棒を見せてくれた。
「いいことあるかな」
「あるかも」
クラスメートの誰かが、当たりを引いたのを見たことがあるけれど、私たち二人が当たったのは初めてだ。
綺麗に棒を舐め取ると、姉はひょこんと立ち上がった。
「もう一本もらってこようっと」
「お腹壊しちゃうよ?」
「だったら、二人で食べようか」
アイスを二人で食べるのなんて、すごく難しそうだけれど、姉なら交互に食べるとか言い出しそうだ。
どちらにしても、もう姉は私の手をひっぱって、立ち上がらせようとしている。
一緒に購買に行こうということらしい。
「ちょっと待って。まだ食べ終わっていない」
私の手の中のアイスは、まだ三分の一も残っている。
「あー、ごめん」
姉は私から手を離すと、横に座り直した。
「アイスは逃げないし、ゆっくりでいいか」
当たり付き棒をつつきながら、照れたように笑う姉を横目で見ながら、そうだよねと私は答える。
少なくとも、学校の中では、私たちは人目を気にせず、二人きりで過ごせるのだから。
93. おけいこ (小学生)
なんで、こんなに習い事ばかりなのか。
毎日、毎日、怒られて叱られて、そんなのばっかり。
うまく出来ない自分が駄目なんだろうけれど、隣で妹が上手くこなしているのを見ると、ちょっとへこむ。
大人になったら、やらなくてすむんだろうか?
そう思ったけれど、屋敷で働いている人たちも、勤務終了後にわざわざお茶だのお花だのいろいろとお稽古事をしているらしい。
楽しそうに話をしているから、大人になると面白くなったりするんだろうか?
上手くこなせない課題を前に、私はため息をついた。
94. トランプ (高校生)
テーブルの上に、綺麗にトランプが並べられていた。
一人遊びなんだろうか?
それにしては、カードを眺めながら、顔を顰めている。
「何しているんだ?」
「恋占い」
上目遣いに色っぽく言われたから、俺は頭をぽこんと叩いた。
「色気づくのは早いんじゃないか」
「イタ! 何するの。それに色気づいてなんかいません」
顔を真っ赤にして怒り始める姿は、もういつもの彼女だった。
「私が恋占いなんてしてるのはおかしいっていうの?」
「別におかしいわけじゃない」
色気づいたといったのは、トランプのことじゃない。最近見せる、その大人びた顔のことだ。
ずっと子供だと思っていたのに、いつのまにこんな顔をするようになったんだか。
「ちょっと、何難しい顔してるの?」
黙り込んでしまっている俺に、トランプをつつきながら、彼女が言う。
「さっきのは冗談だよ。今、学校で流行っているトランプの一人遊び。恋占いなんて、するわけないじゃない」
勢いよくテーブルの上のトランプを交ぜてしまうと、彼女は笑う。
なあ、それは本当に一人遊びなのか?
聞くに聞けないのは、彼女が恋している相手を知るのが怖いからだ。
95. 長靴 (小学生)
新しい長靴は、まだなじんでなくて、歩きにくかった。
それでも、転がりそうになる体を、二人で支え合いながら、真新しい雪の上に足跡をつけるのは楽しかった。
真っ白な道に、二人分の足跡が続いている。
絵を描くように庭を歩き回りながら、いつまでも二人ではしゃいでいた。
96. 化石 (中学生)
家庭教師の授業は退屈だったけれど、彼が見せてくれた図鑑には興味がわいた。
じっと眺めていると、その初老の家庭教師は、授業を中断して、丁寧に解説してくれる。
それは、授業よりもずっとずっと面白くて楽しかった。
今度本物が見てみたいなと、素直に思った。
「化石なら、私も幾つか持っていますから、次に来るときに持ってきてあげましょう」
孫にでも語りかけるような穏やかな顔でそう言われる。
この人でもこんな顔をするんだなと思うと、ちょっとだけ嬉しくなった。
97. めがね (小学生)
斜め左の席の吉岡くんは、眼鏡をかけている。
他の子のしているものより、おしゃれで、吉岡くんには、よく似合っている。
いいなあと思ったけれど、私には眼鏡は必要なかったし、そそっかしいから、落としたり、壊したりしそうだ。
かっこいいよね。
思わず彼にそう言ったら、『ええっ』といって真っ赤になった。
98. 大きな声 (大人になった頃)
部屋に入ると、ソファーのクッションに埋もれるようにして寝ている彼女の姿があった。
またかとも思ったが、放っておくのもまずいだろう。今の時期、暖かくなってきたとはいえ、じっとしていると体が冷えてしまう。
それに、いくら屋敷内で外よりは安全だからといっても、油断しすぎだろう。
「こんなところで寝ていると風邪を引くぞ」
揺すってみたが、起きない。
「おい、起きろって」
いつもよりも大きな声で、耳元で呼びかける。
その甲斐あってか、彼女が身じろぎした。
「んー」
ようやく目を覚ました彼女は、だるそうに俺を見る。
「……おはよう」
「おはよう、じゃないだろ」
すでに昼は過ぎているし、朝の挨拶は、とっくにすましている。
「それもそうか。うーん、眠い」
そう言った彼女の瞼は、また閉じてしまいそうだった。
「こら、寝るな」
先ほどと同じように少し大きい声を出すと、拗ねたように頬を膨らませる。
「わかってるってば」
しぶしぶと言ったようすで立ち上がる彼女に、あんまり無防備に寝ているんじゃないと、厳しい声で叱る。
「それもわかってます。ごめんなさい」
素直に謝ってはいるが、よく見ると悪戯でも思いついたかのような表情を浮かべている。
「今度から、お昼寝するときは、あなたが一緒にいれば、安全なんじゃない?」
良い案だよねなんて笑っている彼女だが、俺の方は固まってしまった。
「寝てるからって、変なことはしないでね」
「はあ?」
彼女の提案に、俺は今日一番の大声を上げた。
するわけないだろ、そんなこと。ガキじゃあるまいし。
たぶん、だけどな。
99. なぞなぞ
答えの出ない問いは、謎かけなんかじゃないと思う。
だけど、姉は、その問いの答えを探すのだという。
どんなに小さな希望でもある限りは、絶対にあきらめたくない。
真剣な眼差しで、そう言われた。
そんな彼女を見ていると、私も頑張ろうと思えてくるから不思議だ。
100. お月さま
月見でもするか。
夕方、私たちの前に現れた当主がそんなことを言い出した。
いつも私だけのけ者でつまらないから、今日は無理に時間を空けたんだ。
嬉しそうに言うその手には、おいしそうな団子を持っている。
そういえば、去年も、その前も、月見の時、彼はいなかった。
でも、それは別に声をかけなかったわけではなく、当主自身が忙しすぎて、来ることが出来なかったからだ。
つきあってやってくれよと苦笑しながらも、ススキはどうしようとか、場所はどこにしようと言っているのは、護衛役の彼。
驚いたけれど、別に嫌ではなかったので、私たちは当主たちについて部屋を出た。
去年と同じベランダにシートを並べて、空に浮かぶ大きな月をみんなで眺める。
いつのまにか勤務時間が終了した屋敷の人たちが加わって、気がつくと、彼らが持ち寄ったお酒やら料理やらお菓子が並べられ、まるで宴会のようになっていた。
いつもとは違う雰囲気は、楽しくて、家族といるみたいで、幸せだなって思う。
いつまでも、いつまでも、こうやって皆で楽しく暮らしていけますように。
そして、来年も皆が無事で、お月見が出来ますように。