田舎の人々

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  終章 それからの人々  

「いてー」
 そう言って、両方のほっぺたを濡らした布で冷やしていたユーインさんですが、ものすごくしゃべりにくそうです。口の中を切っているのかもしれません。
「父さんばかりじゃなくて、おにいちゃんもひどいです」
 ユーインさんがこうなった原因の二人のことを思い出し、私はため息をつきました。
「何も殴らなくてもいいじゃないですか。今時、そんな人いませんよ」
「だよなー。お嬢さんとお付き合いさせてくださいってだけでこれだと、実際に結婚の許しをもらいにいったら大変なことになりそうだ」
「え、え、ええ??」
 け、結婚! そういうつもりでユーインさんがいるのはわかっていましたが、具体的に言葉を聞くと、動揺してしまいます。
 目を白黒させる私の頭をユーインさんがぐしゃぐしゃとかきまわしました。
「今は、まだいいよ。でもいつか、俺と一緒になってくれると嬉しい」
「そして、おじいさんとおばあさんになるまで、のんびりと暮らすんですか?」
「ああ」
 本当にそうなればいいとは思います。もちろん、問題はたくさん残っているわけですが。
 父さんが生きていて、しかも子供もいるということは、"カヴィル家"にはわかってしまいました。その子供の一人が正当な血を引く証である瞳を持っていることも。
 父さん達が捕まえた騎士や兵士たちは、やはりカヴィル家に雇われた人たちで、表向きの目的はリオンさんを連れ戻すことだったそうです。でも実際の依頼内容は、父さんの消息と、生きていれば事故にみせかけて殺してしまえという物騒なものだったというのですから、ぞっとしました。
 ユーインさんたちが来なければ、どうなっていたかと、いまさらながら怖くなってしまいます。
 お兄ちゃんに関しては、うまく口裏を合わせてカヴィル家に取り込もうと考えていたようですが、できなければやはり事故に見せかけてということだったようです。
 逃げたあの騎士は、間違いなく私のことを報告したでしょうし、女性であるということは政略の駒にされる可能性もあるし、なによりも私たちのことは、ずっと探し続けていた国王陛下にもわかってしまったことですから、放っておいても騒々しくなっちまうというのがユーインさんの意見でした。
 事を荒立てるわけにもいかず、誰も怪我をしたりはしなかったので、カヴィル家には厳重注意ということで終わるようですが、結局、いろんなことをかたづけるために、父さんとお兄ちゃんは一度王都に、リオンさんは実家へと旅立つことになりました。
 私も行くべきかと思ったのですが、危険だということと、ユーインさんが王都に帰りたがらないことで、お留守番です。当然、ダグラスさんも。
「どちらにしても、交際宣言はしちまったわけだから、いずれは王都へ顔出しにいかないとまずいんだけどな」
 嫌そうに言うのは、元大神官である彼には、一応後見人がおり、好き勝手にさせてもらっているとはいえ、挨拶は必要だからだそうです。
 後見人や国王陛下に挨拶することによって、公にも私がユーインさんの婚約者という立場を見せつければ、簡単にカヴィル家も手が出せないだろうと考えているとも言っていましたが。
「まだ神殿に影響力のある、元大神官を排除して、その伴侶を奪おうなんてこと、王都でやらかしたら、大変なことになるからな。それに、万が一俺にもしものことがあったら、化けて出るなんて生やさしいことはしねえぞ」
 物騒な笑みを浮かべ、いかにも悪そうに言い切るものだから、私は吹き出してしまいました。
 本当にやりそうだったから。
「王都には、一度くらい行ってみたかったんです。ユーインさんと一緒なら、楽しいだろうし」
 私がそう言うと、ユーインさんは嬉しそうに笑いました。
「俺も楽しみだ。でも、とりあえずはヴァージルが帰ってくるまではおとなしく留守番だな」
 旅立つにあたって、父さんとお兄ちゃんはしつこいくらいにユーインさんに何かを言っていました。内容は想像できなくもないですが、二人とも心配しすぎです。
 真面目で融通が利かないダグラスさんも残るわけだし、私だってそこまで子供じゃない。
 なにより性急なことをして、ユーインさんとの仲が壊れたり拗れてしまうのは嫌なのです。
「とりあえず、俺、このあたりに果物でも植えてみようかと思うんだ」
 両方のほっぺたを冷やしながらも、何故かユーインさんの目は輝いています。
「果物?」
「痩せた土地でも育つものがある。ちゃんとした実を付けるまでに2、3年くらいかかるだろうが、根付けば売れるしな」
 そういえば、以前、父さんが似たようなことを言っていた気がします。
 ただ、お金がかかるし、最初の何年かは収入にもならないから、実現するのは難しいということも口にしていました。
 元々、初めてのことにお金をかけられるほど裕福な村ではないのですから。
「でも、資金とかどうするんですか? よそから買ってくるとなるとそのお金を調達しなければいけませんし、貸してもらうっていっても、成功するかどうかもわからないものに対しての借金は難しいです。……非合法の場所ならあるかもしれませんが」
 正直に思ったことを口にすると、ユーインさんがにやりと笑いました。とても悪そうな顔です。すぐに痛そうに顔を顰めてしまいましたから、迫力はなかったですけれど。
「そういうときのために、これまで培ってきた人脈とかあるんだよ。使わなきゃ意味ないだろ」
「職権乱用な気がしますが……」
「散々俺に寂しい青春を過ごさせたんだ。こんなのかわいいお願いだろ? 奴らの弱みを盾にするわけじゃないし」
 そうでしょうか。
 何か少し違う気がします。
 それでも、彼ならなにもかも思う通りにやってしまいそうな気がするのは、何故なのでしょう。
 顔は女の人みたいに綺麗で、てひらひらした上着が妙に似合っていて、悔しい感じなのに、どこか恐いものも持っている人。
 それがわかってしまった後でも、憎めないし、好意は消えません。
 好きになってしまったら、どうしようもない。
 いつか誰かが言った言葉が頭をよぎります。
 いろいろ問題があっても、乗り越えていきたい―――一人ではなく、二人で。
 そう思ってしまった時点で、もう後戻りすることはできないのでしょう。


 ユーインさんと一緒に、ここで生きていこうと思います。
 何か特別なものがあるわけでなく、ただゆっくりと時間が流れていくこの場所で、大事な人たちと共に。
 そんな小さな幸せだけを叶えるために、私は立ち上がり、目の前の人に手を伸ばしました。

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