硝子の国の物語

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 大きなため息がひとつ、彼女の唇から漏れた。
 もちろん、それで、この面倒な事態が好転するはずがないのはわかっている。
 だが、その時のラーナに、そうすること以外何が出来ただろう。
 目の前には、彼女とは裏腹に、爽やかで曇りのない笑顔を浮かべた青年の姿がある。
 鮮やかな金色の髪と、濃い緑の瞳。
 唇が少し厚めなのが難ではあるが、それなりに整った顔立ち。
 そこはかとなく漂う気品は、青年が身分ある存在だと感じさせるものだ。
 が。
 ラーナは知っている。
 この見るからに人畜無害そうな青年の性格を。
 ぼんやりとしていて、何も考えていないように見えるが、意外に策略家だ。
 普段から、他人に干渉されずに生活するためと称し、いろいろな策を弄している。
 時々やりすぎて、周りの人間を厄介事に巻き込み、振り回してしまうことも一度や二度ではない。
 そのたびに、いつも口をすっぱくして、説教やら懇願を続けてきたのは彼女だったので今回彼がしでかした、その事実を目の前につきつけられた時、思わず口にしてしまった。
「莫迦ですか?」
 単刀直入な言葉に、目の前の青年が苦笑する。
「ラーナ。かわいい幼馴染に向かって、それはないだろう?」
 一瞬、立ちくらみがした。
 どこの世界に、自らを『かわいい』などと言う成人男性がいるのだろう。
 怒りが湧いてくるのを理性でムリヤリ押さえ込み、ラーナは、ひきつった笑いを浮かべた。
「可愛い? 誰のことでしょうか」
「僕」
 悪びれることなく、青年は、その長い指で自分を指差す。彼女が口にした嫌味など、まったく気にならないらしい。それとも、わかっていて、こういう態度をとっているのだろうか? 楽しそうな笑みを見る限り、考えられるのは、後者だが。
 ラーナの握り締めた拳に思わず力がこもり、そのまま躊躇うことなく、青年の頭を殴った。
 どうやら、彼女の怒りは限界を超えてしまったらしい。
「い、痛いなあ。何も殴ることないじゃないか」
「これが殴らずにいられますか! 今回ばかりは、私にも手助けはできませんよ」
 恐い顔で詰め寄る彼女とは裏腹に、青年の態度はのんびりとしている。
「ハイハイ、わかりました。そんなに怒らなくていいのになあ」
 青年は楽しそうだ。自分がしたことを、悪いとは思っていない証拠だ。
 ラーナの口から、再び、深いため息が漏れた。


 事のおこりは、ある日のお茶の時間のこと。
 いい加減お年頃になった彼―カイルに、両親が言ったのだ。
「お前も、もうそろそろ結婚を考えた方がいいのではないかな」
 もっともな意見である。
 国王という肩書きを持つ父親にとって、カイルは第一子にあたる。下に弟と妹がいるが、順番と成り行きで、彼が跡を継ぐことは生まれた時から決定していた。
 そんな彼だから、20歳を超えてしまった今、婚約者が一人もいないというのは、世間的にはおかしなことなのだった。彼の従兄や友人たちには、若くして伴侶を持ったものはたくさんいる。生れ落ちる前から、婚姻相手が決められていることも、当たり前の話だ。
 たが、彼の場合、いろいろな問題―政治的な駆け引きや権力争いが絡み、この歳になるまで、公式には女性との『お付き合い』はないことになっていた。
 うっかり有力者の娘や貴族の令嬢と親しく話をすれば、あらぬ噂が立つのは目に見えている。そういうことが嫌いな彼は、なるべく波風を立てないように、おとなしく地味に生きてきた。
 それが、いつのまにか『第一王子は女性嫌い』という話になっていったのだから、不思議なものである。そして、あながち間違いでもないのだから、人の噂というのは、案外莫迦にならない。
 唯一の例外は、従姉であり、同じ乳母を持つラーナだった。彼女とだけは、周りに何を言われ、何を聞こうが、気にせず普通につきあうことができた。
 それは、彼女が、彼の性格も育ってきた環境も性癖もすべて知ったうえで、昔から今まで、変わらない態度を続けてくれているからなのかもしれない。
 うるさく小言は言うが、彼がつまらない貴族同士の争いなどに巻き込まれそうになった時など、うまく助けてくれたりもする。
 あるいは、彼に近づき、あわよくば玉の輿にのろうとする令嬢やその親たちとの間で、不快な思いをしないように立ち回ってくれりする。
 だが、いつまでも彼女に頼っているわけにもいかない。
 お見合いの話も多数あるのは事実なのだ。
 それらを全て、理由をつけて断っていたのだが、煮え切らない態度の息子に、父親は一計を案じたらしい。
「この際だから、舞踏会を開こうと思う」
 と有無を言わせぬ態度で彼の父親は言ったのだ。
 もちろんカイルは、舞踏会など出席したくなかった。
 父親の真意はわかっている。
 その場で、父親が薦める令嬢と見合いしろということなのだ。
 父親はこの国一番の権力者だから、誰も逆らえない。普段は無謀なことは決して言わないが、父親にも立場というものがある。いつまでも跡継ぎである息子がふらふらとしているのは、望ましくないのだ。
 彼とて、父親とは揉めたくない。
 そういうわけで、知恵を絞って、父親に反抗する方法を考えたのだが―。


「舞踏会が、お見合いも兼ねているっていうのは、ラーナだって知っていたはずだろう?」
 もちろんである。
 父親が有力者だというだけでなく、彼女はこの国の内部事情に詳しい。幼い頃から、父親について宮殿に出入りしていた彼女は、他の令嬢たちが興味を持つようなドレスや宝石には目もくれず、政治や経済や宮殿内でささやかれる些細な噂話に興味を示した。そして、その一見たいしたことのなさそうな噂話が意外に役に立つのだと、カイルに教えてくれたのも彼女である。
「だからといって、どこの誰ともわからない、得体の知れない女性がよいだなどと宣言されれば、みな驚きます」
 それなのだ。
 問題はそこなのである。
 カイルは、父親が招いた、彼に釣り合うだろう令嬢をまったく無視し、突然あらわれた美少女に声をかけ、舞踏会の間、ずっと一緒だったのである。
 父親は激怒し、母親は青ざめ、ラーナはあきれ返った。
「確かにお綺麗な方でしたけれど」
 同性のラーナが見ても、うっとりするような美少女だった。
 蜂蜜色の髪は、ふんわりと結い上げられ、彼女の小さくて白い顔を際立たせていた。潤んだような大きな瞳で見つめられた者は、皆溜息をついていたように思う。
 淡い檸檬色のドレスに惜しげもなく縫い付けられた真珠やレースは、少女が動くたびに光を弾いて、それ自体が輝いているようだった。
 どこの令嬢だろうか?
 誰もが囁きあったが、素性を知るものはいなかった。
 自国だけでなく、近隣国の重要人物の殆どを頭に入れているラーナでさえ知らない相手だ。
 招待客であることは間違いないのに、何故誰も彼女を知らないのか?
 疑問に思ったラーナが問いただそうにも、少女はカイルの側から離れず、そのきっかけが掴めない。彼までもがおもしろがって(少なくともラーナにはそう見えた)、誰かが少女に話しかけようとすると、巧みにかわしてしまう。
 そうしているうちに、少女は、まるで逃げるようにいなくなってしまった。
 ただひとつ、硝子の靴だけ残して。
「絶対見つからないって思ったから、僕はあの子じゃないと嫌だと言い張ったんだよ。父上は、特権意識の強い方だから、例え相手が見つかったとしても、難癖つけて断らせるだろうしね」
「それほどまでに、結婚するのがいやなのですか?」
「んー、まあね。僕は父のようになれないし、どうもこの国をだめにしてしまうような気がするよ」
「また、そんなことを……」
 言いかけた言葉の語尾をラーナが飲み込むと、彼は小さく頷いた。彼女の言いたいことがわかったのだろう。
「いざとなったら、義務は果たすよ。けれど、まだ決心がつかないんだ。往生際が悪いな」
「いえ。そんなことはありません。気持ちは、大切ですから」
 そんなことを言うのも、世界広しといえども、彼女だけかもしれない。
 彼の周りには、『立場を考えろ』だとか『義務を果たすべき』というありきたりの説教を繰り返す者ばかりなのだから。
 だからこそ、思う。
 たぶん、彼女が彼の一番の理解者だ。
 やる気と根性のない自分を上手に補佐してくれるだろう。
「一番いいのは、君が僕と結婚するってことだけどな」
「お断りです」
 即答するラーナに、彼は満面の笑みで反論する。
「大丈夫、君ならソツなく無難に妃になれるから」
 どういう根拠があるのか、彼は自信たっぷりだ。
「私に胃痛を起こさせるおつもりですか」
「向いていると思うんだけどなあ」
「向き不向き以前の問題です。大体、私たちの間に友情はあっても恋愛感情はないと思います」
 そう。
 友人としては、一緒にいて楽しいし、素敵だと思うが、振り回されるのはご免である。
 適当に近づいて、適当に離れているのが一番いい。何より、ラーナが彼に寄せる感情は、手のかかる肉親に対するものと同じだ。
「僕たちの結婚は、殆ど全部、愛情抜きだけど」
 まだ食い下がる彼に、ラーナは肩をすくめてみせた。
「私には婚約者もいます」
「僕の方が断然若いし、お金持ち」
「ハイハイハイ」
「気のない返事だね」
 だが、そんな彼女だから、彼は嫌いになれないのだ。
 確かに恋人に対するような愛情はないが、肉親に抱くのと同じ愛情はあるのだと思う。
 頭がよくて、適当に腹黒くて。
 そして、結局は姉のように彼を見守っていてくれている。
 たとえ、カイルが何をしても、誰を好きになっても、彼女は変わらないだろう。
 永遠に。
 そんなことを信じられるのは、彼女だけかもしれない。
 だからこそ、彼は、他の誰にも告げることのない言葉を彼女に伝えることが出来るのだ。
「ところで、ラーナ。父上は、あの子を捜すつもりらしいよ」
 彼の言葉に、ラーナは驚く。
 王のことだから、黙殺するか、息子の方を説得するかのどちらかだと思っていたのだが。
「珍しく僕が女性に興味を持ったので、はりきっているらしいね。とりあえず、相手を見つけてから、今後どうするのか考えるのだそうだ」
「では、もし本当に見つかって、その方があなたと身分的に釣り合うようだったら、どうなさるおつもりですか? 陛下のことですから、ぼんやりしていると、すべて準備万端整った状態で、気がつけば隣に妃がいるということにも、なりかねませんよ」
 ラーナの言葉に、彼は普段とは違う、投げやりな笑顔を浮かべてみせた。
「そうだね。その時こそは、覚悟を決めなくてはいけないかな」
「私は……」
 そんなあきらめたような貴方は嫌いです。
 そう口にしようとして、言ってはいけないことだと口を閉ざす。
 彼が、この国の王子で、やがては王位を継がなければいけないというのは、誰もが認める事実なのだから。
 好き勝手が許される身分ではないことは、互いによくわかっている。
 それは自分も同じこと。
 生まれた時から決まった相手がいた自分と。
 未来が生まれた時から決められていた彼と。
 どちらも自由がないという点は、同じなのかもしれなかった。

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