海の彼方番外編

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どこかへ向かう空の下 4

「おかえりなさい!」
 船室に入ったと同時に飛びついてきたジーナの表情に、寂しかったという気持ちが見え隠れしていて、アスはにんまりと笑う。
 こういう出迎えも悪くないなと思いながら、アスは身を屈め、ジーナの顔をのぞき込んだ。
「ただいま、ジーナ。一人で大丈夫だったか?」
 アスがそう問いかけたとたん、ぱっとジーナの表情が変わった。
 何かあったのかと思ったが、それにしては怒っているようにも悲しんでいるようにも見えない。
「アス! アスは知っていたんだよね」
「何を……」
 そう言いかけて、アスは彼女の様子を見るように頼んでいた男のことを思い出す。
 アスが知っていて、今ジーナに詰め寄られるような事といえば、それしか心当たりがない。
「もしかすると、ジルドに会ったのか?」
「会った! おじさんだったなんて、本当に驚いたんだから。最初は正体隠を隠してたから、怪しい感じだったけど」
 つまり、ジルドはあの暑苦しい格好でジーナの前に現れたということだろう。
「とうとう観念して、自分の正体をばらしたか」
「偶然だったんだけどね」
 そう言って、ジーナは今日あったことをアスに話そうとする。
「まあ、待て。とりあえず座ろう。どうせなら、ゆっくり聞きたい」
 あのジルドが、ジーナとどんな話をしたのか興味があった。それに、ジーナの様子では、立ち話で済むようにも思えない。
「俺も、いろいろ話すこともあるしな」
 その言葉にジーナは不思議そうに首を傾げたが、まずは自分からと、部屋備え付けの長椅子にアスと並んで腰掛ける。
 そして、ジルドの正体をどうして知ることになったのかを話し始めた。
「なるほど。昼飯か」
 一通りの話を聞き終えたアスは、笑いをこらえながらそう言った。
 何もなければ、ジーナがジルドに頼らないだろうことも、ジルドが自らジーナに声をかけたりはしないだろうことも予想はしていたのだ。
 もう少し強引に事を進めた方がよかったのではと考えていたのだが、思いがけない偶然が重なり、ジルドは正体をばらすことになったようだ。
「そう。だから、アスにもお礼を言わないと」
 ジーナは、アスに向かって丁寧に頭を下げる。ありがとうと口にしながら。
「別に俺が何かしたわけじゃないぞ」
「でも、アスがジルドさんに頼れって行ってくれたのは、私と会わせようとしたからだよね?」
 そうでなければ、ずっと正体を隠しているつもりだったとジーナはジルドに言われたらしい。
「身内に会いたいと、ジーナが言っていたからな。叶えてやろうって思っただけだ」
 手をのばし、ジーナを引き寄せながら囁くと、いつもなら文句を言う彼女が今日は抵抗しなかった。
 黙ってアスの腕の中に収まると、小さな声で本当に嬉しかったと言う。
「いろんな話ができたんだよ。これも全部アスのおかげだね」
 船室内の灯りは、動くのに支障をきたさない程度のもので、相手の表情を読み取るのがやっとだ。
 だから、ジーナの青い瞳が、きっと感謝と信頼で輝いているのだろうとわかっていても、見る事は出来ない。
 それを残念に思いながら、こうやって感謝されるのも悪くないことだと、アスはにやりと笑ったのだった。
 

「ジーナの憂いがひとつ片付いたようだぞ」
 しばらく他愛ない話を続けていたアスが、ふいに思い出したとでもいうように、そんなことを口にする。
「憂い?」
 自分の話に夢中ですっかり忘れていたが、そういえば、さきほど、アスはジーナに話があると言っていたはずだ。
「王都にある神殿に、新しい巫女が誕生したらしい。名前や出身地は秘されているが、お披露目の儀の時に、あんたを連れていこうと神殿にきていた男が後継人として控えていたそうだ」
「え、どういうこと?」
「身代わりを立てたんだろう。まあ、よくある話だな」
「そんな。その人は大丈夫なの?」
 自分のように無理矢理巫女にされたのだとすれば、とんでもないことだ。
 それが、ジーナが逃げたせいならば、なおのこと申し訳なくなる。だからといって、逃げてしまったずるい自分がいまさら私が巫女ですなどと言えるはすがない。
 そんなことになれば、今よりもっと悪い状況になるのは、ジーナでさえ想像できる。
「ああ、大丈夫なんじゃないか」
 胃が痛くなるような感覚を覚えたジーナに、アスは素っ気ない。
 アスも、この逃亡には荷担しているはずなのに、まるで他人事のようである。
「巫女の事を教えてくれた人間が言っていたんだよ。あれは、前に一度仕事を一緒にしたことのある人間だと。恐らく、誰かの息がかかった身代わりだろう。神殿育ちでもないし、どっちかっていうと俺達に近い世界で生きている女だな」
 これ以上は知らない方がいいと思うぞ、とアスはジーナを安心させるように笑ってみせた。
「知らない方がいいって……」
「今回の巫女に絡んで、とんでもないことが起こりそうだってことだよ。あれを送り込んだのがどういう類の人間なのか想像つくだけにな」
「意味がわからないよ」
 けれど、アスが聞かない方がいいというならば、そうしておいた方がいいのかもしれない。
 つつけば、何かとんでもないことが出てきそうな気がする。
「何かあっても、もう俺はジーナを巫女になんてする気はないからな。ジルドだって同じ気持ちだろう」
 元々の発端は、ジルドの頼みだったのだ。
 それがなければ、ジーナはここにはいない。
「……わかった」
 完全に納得できたわけではないが、もう後戻りは出来ないのだ。この先何が起こっても、それは全てジーナの選んだ結果であって、誰のせいでもない。
 そのことだけは忘れずにおこう。そうジーナは決心する。
 そんな彼女の様子をどう取ったのか、アスは腕に力を込めてさらにジーナを抱きしめる。
 そうしておいて、その話はおしまいだとばかりに、話を変えてしまう。
「そうだ。これを渡しておくつもりだったんだ」
 足元に投げ出したままだった荷物からアスが取り出したのは、なめした獣の皮で作られた手の平より少し大きい四角い袋だった。
 受け取って、ジーナが中を覗くと、紙が入っているのがわかった。
 紙には、ジーナの名前と、出身地、簡単な特徴が書かれている。
 だが、その出身地は、ジーナが知らない名前だし、目の色は同じだが、髪は金色となっていた。
「これは?」
 いかにも怪しげな紙とアスを見比べつつ尋ねると、にやりと笑った彼の顔は、とても胡散臭かった。
「通行証だ。それがないと、他の国に入れない」
「そうなんだ。でも、これどうしたの? いろいろ嘘が混じってるみたいだけど」
 他国にいくためには、通行証が必要なことくらいジーナも知っている。
 それを発行するのが、その土地を管理する領主だということも。
「に、にせもの……?」
 小声で尋ねてしまったのは、誰かに聞かれないかと思ったからだ。
「そうとも言うな」
 いや、はっきり偽造だろう。
「大丈夫かな」
 見つかったらどうなるのだろう。
 捕まって牢屋に入れられて、そのまま犯罪者に?
 一瞬目の前が暗くなったが、それを持ってきたアスは、まったく悪びれた様子はない。
 この道を選んだのは間違いなく自分で、後悔はしていないが、とんでもない方向へと進んでいるのは事実かもしれない。
 ただ、これをアスがジーナに渡したということは、まだしばらくはジーナと行動を共にしてくれるということなのだろう。
 よかった、と思う反面、ジーナの中にくすぶっていた思いが大きくなってくる。
 アスに聞きたいことや言いたいこと、不安なことはたくさんあるのだ。ずっとそれを胸の内に抱えてきたが、ジルドと話したことで、黙ったままでいることも辛くなってきていることに気がついた。
 ならば、やはりちゃんと聞いておいた方がいい。
 胸の中にあるもやもやは、抱えていればもっと大きくなる気がするのだ。
「あのね、アス」
 真剣な顔でアスを見上げると、真面目な顔をした彼がジーナを見てくれていた。
 大丈夫だ。
 きちんと話すことはできる。
「どうしてアスは私を好きだっていうの」
 大きく息を吸い込むと、そう一気に言った。
 好きだと言うし、触れてきたりするが、それ以上はない。恋人同士がするようなことといえば、口付け程度だ。
「男の人が、女の人と同じ部屋で寝泊まりして。何もしないのって、ど、どうなのかなって」
「……は?」
「好きって言われて、一緒にいるのに、手を出さないって、私、まだまだ子供扱いってことなの?」
 自分だけが特別で、大事にされているから、ジーナが納得するまで何もしないなどと、そんな夢物語みたいなことを思っているわけではない。
 大事だろうが、そうでなかろうが、アスはやりたいようにしかやらない人だ。
「そうだな、子供扱いは否定しない」
「やっぱり」
 薄々そうではないかと思っていたことが、確定だとわかると、何故かがっくりきてしまう。
 自分が知らないことが多すぎるのは自覚している。特に男女間のことに関しては、人から聞いた話程度しかわからない。
 そんなジーナに、大人の女性としての魅力があるかと言われれば、自分でも違うと思ってしまう。
「別に急いで大人になる必要も、俺に合わせて背伸びをする必要もないと思うがな」
「でも、それだとまるで親子だよ」
 ふくれっ面になったジーナに、アスは笑う。
 確かに、今まで何度も親子に間違えられた。それは二人の間に甘い感情が見えなかったからだろう。
 アスはジーナに触れて、口付けだって躊躇わない。
 だが、そこに甘さがあるかというと――当事者のジーナ自身が首を傾げてしまう。
 大事にされている、好きだと言われている。
 けれども、そこに子供を甘やかすような匂いをかぎ取ってしまうのだ。
 ジーナの好きはまだ曖昧だからアスがそうしてくれているのか、行動を共にしているうちにアスの好きの意味が変わってきたのか。
 そんなことを、ふとした時に考えてしまう。
「なんだ。ジーナはもっと大人な関係になりたいのか?」
 そういう意味ではないと知っていて、意地悪くアスは言う。アスには、ジーナの葛藤などお見通しなのだろう。
「わ、わからないよ。だって、アスはわかりにくいもの」
 心の内を言葉にする方法を見つけられず、ジーナは困ってしまう。
 アスの本心はわからない。今の態度の理由は、もっとわからない。
 飽きてしまったのなら、アスははっきりそう言うと思うが、それもジーナの勝手な思い込みかもしれない。
「そうか? 結構わかりやすいと思うんだがな」
 それは絶対に嘘だ。
 わかりやすそうな言動でも、それが本当のこととは限らない。
 疑り深い様子のジーナに、アスは何故か満足そうに笑みを深くする。
「俺はひねくれているんだ」
 悪びれもせず言い切るアスに、自分で言うこと、とジーナは胡散臭そうに目を細める。
「綺麗なものは、壊してしまうか大事に飾っておく。そういうのが好きなんだよ」
「わ、私、綺麗じゃないし!」
 少なくとも、アスが声をかけるような、あちこちがばーんと出ていて、引っこむところは引っこんでいる、派手な顔立ちの美人とは全然違う。
「綺麗なのって、顔だけじゃないだろ。……そうだな、例えば、目?」
「め……」
 言われて、思わずジーナは目を大きく見開く。
「飾れないよ」
 ジーナの頭の中に、昔読んだ怖い話が甦る。年長の子供達が、幼いジーナ達を怖がらせようと、夜眠る前に、奇妙な話をしたのだ。
 その中に、目を集めるという、恐ろしい錬金術師の話があった。夜一人で墓場などをうろついていると、墓を掘り返す彼に出くわすことがあるという。
 見つかってしまったら、生きたまま連れ去られ、おそろしい目に合うと言われ、お手洗いにいけなくなってしまった覚えがある。
 あれが本当のことだと、今は信じていないが、世の中におかしな人がいないとはいえない。
 それに、目がなくなってしまったら――笑えない状態だ。
「馬鹿だな、生きて動くから、綺麗だと感じるんじゃないか」
 アスの手が伸びてきて、ジーナのほっぺたをうにっとつぶした。
「ここも美味しそうだし」
「え?」
「髪の色は……今は染めちまっているから、先が痛んでいるんだな」
 次に髪をすくい取られ、ジーナの顔は真っ赤になった。
「す、すぐに触るんだから」
「触りたい時には、触る。そういう主義なんだ」
「それ、主義と違うと思う」
 反論したが、主義は主義だと返されてしまった。
「それにな、ジーナ。俺は貪欲で我が儘なんだ。欲しいものは、全部俺のものにしたい。体だけじゃない、心も全部だ」
「それは、好きってこと?」
「そうだな、今は」
 それはいつか飽きられてしまうという意味を含んでいるのだろうか。
 不安になるジーナに、アスは困ったような顔をする。
「永遠に、という言葉は約束できない。俺は自分の性格も性質もわかっている。いつかジーナに飽きるかもしれないし、飽きないかもしれない。その反対もあり得るだろう?」
「そう、かもしれない」
 今のジーナは、アスへの好意の方が勝っている状態だ。
 ロクデナシだとわかっていても、嫌いにはなれない。ひょっとすると、好きの方向へ少しずつ気持ちが動いているかも、という状態だ。
 アスといるのは、恋愛感情を抜きにしても居心地がいいし、楽しい。
 だが、何かのきっかけで嫌いにならないとは言えないのだ。自分の好みは優しくて誠実な人だし、アスがそれとは正反対の人間だということもジーナにはわかっている。
「……難しいね」
 恋をするという感情は、まだジーナにはよくわからない。
 胸が苦しくなったり、その人を見ると嬉しくなると、恋をした友人や同僚達に聞いたが、それが今の自分とアスに当てはまるかと言われれば、少し違うような気がしてしまうのだ。
 だからといって、これが恋ではないと否定してしまうことも出来ない。
 照れはするが、アスに触れられることが心底嫌なわけではないし、やはり彼といると安心できる。
「ああ、難しいよ。俺だって、いろいろ失敗している」
「意外」
 アスは、そういうところはなんでもうまくやれそうに見える。
「今だって、失敗しやしないかと、そう思ってる」
「そうなのかなあ」
 からかうような口調が、やはり胡散臭い。
「恋っていうのは、理屈じゃない。居心地がいい、容姿が気に入った、好みが似通っていた――なんでもきっかけになるし、些細なことでも冷める」
「私に対しても、そのきっかけがあった?」
「ああ。海が見えた――そう思ったんだ」
 軽く目を瞑り、そう呟いたアスの表情は真面目なものだった。
「懐かしい、と思った。だから、興味を持った」
 そういえば、そういうことを前にアスは言っていた。
 これから見に行く海の色――ジーナの目と同じ色をしているという海は、アスにとっては、とても大切な場所なのかもしれない。
「それ以外、自分でもここが誇れるってところ、わからないんだけど」
 だから、アスが何故自分を好きなのかわからないと、結局最初の質問に戻ってしまう。
「理屈じゃないって言っただろう。話をして、側にいて、こいつとならば、一緒にいてもいいと、そう思えてくるようになったって、それだけの話だ」
「そういうものなんだ」
「そういうものなんだよ」
 まだ、頭の中では、よくわかっていない。
 ただ、アスが言うように、ジーナも、彼と一緒にいることは心地いい。アスの腕の中にいると、安心もできる。
 ロクデナシなのに。
 いつか、飽きられてしまうかもしれないという怖さはぬぐいきれないのに。
 そんなジーナの不安に気がついているのか、アスは腕の中の少女の目をのぞき込んだ。
「子供扱いっていうが、心配しなくてもいい。今の俺は結構楽しんでいる。思う相手を甘やかすってのも、面白いぞ」
「面白がるところが、間違ってるよ!」
「俺はお前を甘やかしてみたい。愛されて、甘やかされて、ゆっくり大人になっていくジーナが見てみたい。……故郷の海のように、いろんな変化を見せるあんたがいいんだよ」
「聞きようによっては、危ない感じだけど」
 でも、嫌ではなかった。
 くすぐったさはあるが、その言葉は信じられるような気もした。例え、嘘が混じっていたとしても、永遠ではなかったとしても、嬉しいと思ってしまったのだ。
「もし、俺があんたを嫌いになったり飽きたら、嘘をつかずに正直に言う。だから、あんたも本気で俺が欲しいと思ったら……」
「正直に言うよ」
 その点では嘘はつかない。
 今はまだ、ほんの少しの好き。
 それがいつか本物になったら、迷わずに口にする。
 ずるいかもしれないけれど、それまではまだ子供でいさせて。
 口にはしなかったが、その願いは、アスによって、きっと叶えられるのだろう。


 ゆらゆらと、揺れているのは波のせい。
 心地よい揺れと、自分を繋ぎ止めてくれる腕の中で、いつのまにかジーナは瞼を閉じていた。
 前にもこうやってアスの側で眠ってしまったことがあった。
 ああ、なんだか幸せだな。
 遠のく意識の中、ジーナは思う。
 アスの側はやっぱり安心できる。
 これが、いつか恋に変わるのならば、それもいいかもしれない。
 かすかにお酒の匂いのする暖かな腕の中で、そんなことを思ってしまうジーナなのだった。

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