海の彼方番外編

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どこかへ向かう空の下 3

 食事が終わっても会話のないまま、ジーナと男は食堂を出た。
 後は部屋に戻り、アスが帰ってくるまでおとなしくしていればいいのだ。
 わかってはいるが、どこか落ちつかない。
 無言で歩く男は、食堂で席を立つ時に、再び口元を布で覆っったため、まったく表情はわからなくなってしまった。何を考えているのか伺うことも出来ないし、なんとなく話しかけづらい。
 自然と開いた距離は、今のジーナの心境を表しているようだ。
 だから、ジーナは気がつかなかった。
 すぐ後ろに誰かが近づいてきたことを。
「なんだあ、嬢ちゃん。今日はあの男と一緒じゃないのかあ」
 酒臭い匂いが近づき、誰かの手がジーナの肩を掴む。驚きのあまり言葉を失ったジーナをその相手が強引に振り向かせた。
「おとなしそうな顔をしていて、他の男にも手を出すなんて、とんでもないなあ。なあ、そんな陰気臭い男はやめて、遊ぶなら俺にしないか」
「い、嫌です」
 震える声で否定はするが、男はさらに酒臭い体を近づけてきた。
 アスで匂いは慣れているはずなのに、怖いと思ってしまう。それが知らない人だからなのか、男の値踏みするような視線のせいなのかはわからない。
「離してください」
 とにかく萎縮したりしない。
 アスに言われたように、毅然とした態度を取ろうとするが、もちろんうまくはいかなかった。そんなジーナの怯えは、もちろん男には伝わっているのだろう。
 さらに顔が近づいてくる。
「そんなに嫌がるなよ」
「……やだ、アス!」
 思わず名前を呼んでしまう。
 もちろん、アスはここにはいない。助けを求めても、来てくれるはずがないのだ。
 だが、ぎゅっと目を瞑ったジーナに、それ以上男は近づいてこなかった。酒臭い匂いも遠ざかったような気がして、そっと目を開く。
「いててて! 何するんだよ!」
 真正面にいたはずの男性が腕を掴まれて、わめいた。
 先を歩いていたはずのジルドがいつのまにか戻ってきていて、男の腕を掴んでいたのだ。
「彼女から手を離せ」
 低い声が響く。同時に、男が呻いた。ジーナの肩を掴んでいた手の先が緩む。
「てめえ、な、な、邪魔するなよ」
 大声を出すが、上擦った言葉には、いまひとつ迫力がない。
「邪魔なのはお前の方だ」
「なんだと!」
「彼女がアスの連れだと知っていて手を出そうとしたのなら……それなりの覚悟はあるんだろうな」
「別に、あの男は、俺達が女に声をかけたって、いつも気にしないじゃないか!」
 それほど力は入れていないようなのに、男がいくらジルドの手を振りはらおうとしても、無駄だった。
「それは、本人が嫌がっていない場合だけだ」
「い、嫌がっていなかった!」
 男は声は、すでに悲鳴に近い。
「そうなのか、ジーナ」
「嫌がってました」
「……だそうだが?」
 ジルドの表情は布のせいでわからない。
 だが、その声の調子から、怒っているのは確かだとジーナには感じられた。
「し、知らねえよ」
 わめきながら、男は必死だ。どうやっても手をふりほどけないにとわかると、今度は自由な方の手をむちゃくちゃに振り回す。
「だいたい、顔を隠して、こそこそしているようなヤツに、文句は言われたくねえよ」
 男の手が、ジルドの顔にかかった布を掴む。そのまま、勢いをつけて男が布を引っ張った。
 そのことで、ジルドに一瞬の隙が出来る。掴んでいた手が緩んだのだ。
 それに気がついた男はすばやく後ろに下がると、その勢いのまま、さらに布を引き、にやりと笑った。
 だが、優位にたったと思われたのは、一時のことだ。
 露わになったジルドの顔を見た男が、固まってしまう。
 どうやら、ジルドは布で頭を覆っていただけでなく鬘も被っていたらしい。
 ずり落ちそうな茶髪の鬘をジルドが鬱陶しそうに取ると、黒い髪が露わになった。それだけで、随分印象も変わる。
「げえ! ジルドの旦那!?」
 男は、手に持った布を落としてしまっている。
 顔面も蒼白で、さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、震えていた。
「な、なんだって、そんな格好を? そもそも、どうしてこんな小娘の側に?」
「理由をお前に言う必要があるのか?」
「そ、そうですよね。俺が聞く必要なんてありませんよね」
「ここで消えれば、アスにはうまく言っておいてやる。まだ人生を楽しみたいだろう?」
 意味深に唇を歪めると、男は慌てたようにその場から去って行った。
 しかし、ジーナは男の豹変した様子よりも、目の前に立つジルドの姿に驚いていた。
 そこにあったのは、青く美しい瞳――鏡に映したかのように自分とよく似た色をした瞳。
 おまけに髪も黒い。
 ジルドは、自分と同じ色を持っていたのだ。
「怖かったか」
 気遣うようにジルドに尋ねられても、まだジーナは驚いたままだ。
「どうした?」
 動かないジーナに、ジルドが顔を歪める。
「あの、びっくりしてしまって」
 ようやく言葉を発するが、ジーナの動きはどこかぎごちない。
「すまない。目を離すべきではなかったな」
「いえ、そうではなくて」
 そう言いながら、ジーナは精一杯背伸びをして、ジルドの目をもっとよく見ようとする。
 そのことに気がついたジルドが目を逸らした。さりげない風を装っているが、見られたくないのかと、ジーナは思う。
「目の色が、同じだなと思って。どうして隠していたんですか? 鬘もかぶっていたんですよね」
 ああ、というため息にも似た声がジルドの唇からはき出された。
 黒髪と青い目の取り合わせが珍しいと言ったのは、アスだ。
 だから、目立たないように隠しているのかもしれない。それとも、さきほどの男がジルドの顔を確認したあと、怯えていたから、何か事情があって顔を隠していたという可能性もある。
「この船の中で、素性を知られたくなかっただけだ」
「だったら、ごめんなさい。私のせいで、さっきの人にジルドさんのこと、ばれちゃいましたね」
 この船にはジーナを含め、身元を詳しく明かしたくない人がたくさん乗っているということを、うっかり忘れていた。
「それはかまわない。わかってしまったのなら、その前提で対処する」
 表情さえ変えずにジルドは言うが、それで本当に大丈夫なのかとジーナは思ってしまう。先ほどのあの男も、ジルドがこの船に乗っていたことに驚いていた。
 それに、ジーナには、先ほどから気になることがあったのだ。
 ジルドが隠していたのは、黒い髪と青い瞳。
 アスは珍しいと言っていたが、まったくいないわけではない二つの取り合わせ。
 どちらか一方を持っている人間なら、この船にもいた。けれども、まだジーナは二つを持った人を見たことがない。
 こんな偶然があるのだろうかと思う。
 明るいところで見たジルドの瞳は、鏡をのぞき込んだ時に見た自分の目の色とほとんど同じなのだ。
「あの、変なことを聞くようなんですけれど」
 控えめに、けれども声に決意を秘めて、ジーナはジルドを見上げた。
「ジルドさんは、出身はこの国なんですか?」
 答えてもらえるとは思えない。だが、聞かずにはいられなかった。
「何故、そんなことを聞く?」
「私、幼い頃、神殿に引き取られたから、自分がどこで生まれたかもわからないんです。それに、こんなにそっくりな目の色の人は、今まで見たことがないから、もしかしたら、何か関係があるのかなって」
 もしかすると、アスの言っていた身内なのではないかと期待する気持ちがある。
 血が繋がっているから同じだとは限らないが、可能性がないとは言い切れない。
 もし、そうならば。
 ジーナには告げたいことがあった。
 返事を待ちながら、じっとジルドを見つめるが、彼の表情は変わらない。だが、わずかに視線を逸らしたままで、『失敗したな』と呟いた。
「それを聞いて、どうするつもりだ。……故郷を知って、帰りたいのか?」
 帰りたいかと聞かれて、答えに詰まった。
 そこまでは考えていなかったのだ。ただ、知りたかったのは。
「私を助けようとしてくれた人が、誰なのかなって」
 もし、彼がアスにジーナを攫うという依頼をした人ならば、何か反応があるかもしれない。
 そうでなければ、戸惑うだろうと考えたのだが、彼はやはり顔色ひとつ変えなかった。
 ジーナの勝手な勘違いか――そう思ったのだが、うつむきかけたジーナの耳に聞こえたのは、ため息だった。
「参ったな。隠そうと思っていたのに。黙っているのが、なんだか馬鹿らしくなってきた」
「え。はい?」
「よく考えたら、アスみたいな男についていくような無鉄砲な子だったんだ。俺がどうしようもない人間でも、驚いたりしないってあの馬鹿が言ったことは当たっているな」
「ジルドさん?」
 ぶつぶつと呟きながら頭を抱えたジルドは、再度ため息をつくと、少し体を屈めてジーナを見た。
「確かに、俺はあんたを助けるようにアスに依頼した」
「それは、あなたが私の身内だからですか」
「そうだ。俺はあんたの父親の弟ってことになる」
「……おじさん?」
「そういうことだな」
 あっさり認められて、ジーナの方が気が抜けた。
 それと同時に、なんだかおかしくもなる。ずっと、彼はこの船に乗っていたのだろうか。ジーナの目を引く髪と目を隠し、暑苦しい格好をして、見守っていてくれたのかもしれない。
「ありがとうございます」
 深々と頭を下げる。
 彼がアスに依頼しなければ、今頃ジーナは知らない場所で巫女をやらされていた。アスに会うこともなかったし、海を見に行くこともなかったのだ。
 その感謝を、ずっと伝えたかった。
「だから、礼はいい。俺があんたを助けたのは、自己満足だ」
「でも、嬉しかったから」
 例えジルドにとっては、気まぐれだったとしても、嬉しいことに変わりはない。
「昔、守れなかった。だから本当にこれは俺の都合だったんだ」
 ジルドは戸惑っているようにも見える。目を逸らすようなことはもうなかったが、声には迷いが感じられた。
「それは、私が神殿に連れて行かれたことを言っているんですか」
 答えがないのは、肯定したとみていいのだろうか。
「神殿の生活は、悪くなかったですよ」
 例えどんな事情があれ、辛くはなかった。両親がいないことを悩むことがなかったとはいえないが、同じ境遇の子供たちと、慰め合ったり励まし合ったりして、頑張ってきたのだ。
「そうか」
「辛いことがなかったわけじゃないですけれど、悪くなかったです」
「それなら、いいんだ」
「まあ、最後はいろいろありましたけど」
 考えてみれば、物語の主人公のように、驚くことがたくさんあった。最後にジーナを攫ったのは王子様ではなく、彼女自身もお姫様なんかではなかったけれど。
「それに、今回はちゃんと守ってくれました。私はここにいて、好きなことが出来ています」
 そうなれたのは、アスとこの人がいたからだ。
 知らない場所で、誰かのいいなりになって生きていかなくていいのは、彼らのおかげなのだ。
「だからこそ、ありがとうなんです」
 笑ってそう言って、そっと手をのばしてみた。
 手に触れても、ジルドは逃げなかったから、ぎゅっと腕を掴んでみる。
「会えてよかったです」
 身内になど、もう会えないと思っていた。
 血の繋がった人が、この世にいるのだという実感もなかった。
「……俺も、ジーナが守れてよかった」
 だから、呟くようにそう言われて、泣きたくなるほど嬉しかったのだ。

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