勇者がやってくる。
そんな話が飛び込んできたのは、秋も終わりかけた頃のことだった。
慌てる村長、叫ぶ子供、ざわめく女達。とりあえず、村の中は、かつてないほどの混乱に陥っていた。
なにしろ勇者様である。
国を救った英雄で、今でも魔物や盗賊を退治しながら世界を旅しているという、あの勇者様である。
騎士が束になっても敵わないほど強いというのも有名な話だ。
だが、勇者が有名なのはそれだけが理由ではない。
『勇者がやって来た場所には、かならず大騒動がある』
『勇者は、美人を見るとすぐに手を出す』
そんな噂が、こんな辺境の村にまでまことしやかに囁かれているからだ。
「というわけで、アサギ。お前が勇者様一行のお世話をするように」
きっぱりと言い切った村長の言葉にアサギは当然のように驚いた。
まさか自分にそんな話が来るとは思わなかったから、村長を前にはしたなくも「ぐぇっ」という声を出してしまう。
案の定、村長の目がつり上がり、アサギを睨み付けた。
しかし、ここで怯んではいけない。
「村長。私、接待が出来るような人間じゃないですよ」
礼儀作法は習っていないし、学もない。出来ることといえば、畑を耕したり、家畜の世話をしたり、ということくらいだ。
料理も出来ないことはないが、特別上手でもなく、かといって下手でないという程度。
容姿も平凡だし、性格も普通。
人より秀でているところといえば、いるかいないかわからないくらい存在感が希薄という、まったくもって役に立たないことだけである。
「私以外に、もっと適した人がいると思うんですが」
例えば、村長の娘のナナカ。美人で気が利いていて優しい。憧れている男も多く、目下、村で一番恋人にしたい女性と言われている。
容姿ではおとるが、村の東に住むユウリなども、人当たりがよく笑顔も可愛らしくて、誰に対しても丁寧な態度で接する良い子だ。
それ以外にも、何人かアサギより適した人を思いつく。
「私なんかが接待して、勇者様を怒らせたらどうするんですか。やめておいた方がいいですよ」
「いや、そういうわけにもいかぬのだ」
深刻な顔で、村長は言った。
「アサギ。お前、勇者様の噂を知っているだろう?」
言われて、アサギは旅人や冒険者が話していたことを思い出した。
「そういえば、勇者様って、ものすごく女好きで、訪れる場所で女性とすぐに関係するなんて噂、ありましたね。しかも美人であれば、人妻でもかまわないという節操のなさだとか。恋人を取られた男と揉めたって話もよく聞きます。でも、あくまで噂ですよね」
「そうなのだが、嘘とも言えないだろう」
なんだ、そういうことか、とアサギは納得した。
村長は村の娘たちが勇者の毒牙にかかるのを恐れているのだ。
その点、アサギなら大丈夫だということなのだろう。
美人とは程遠いし、22歳という年齢にも関わらず未婚だ。もし万が一勇者とどうこうなっても、いまさら嫁にいけるわけではないし困らない、と思われているのだろう。
「もちろん、アサギだけに任せるわけではない。手が足りない時はちゃんと人手は回す」
そう言って村長が名前をあげたのは、みんな50歳以上の女性ばかりだ。
彼女たちと同列なのかとちょっと傷ついたが、仕方ない。
これから将来のあるお嬢さんたちが不幸になるのは可哀想でもある。
「わかりました、でもただは嫌ですよ」
無報酬など、とんでもない。
この夏、雨が多かったせいで、畑の作物の収穫率も悪い。出来の方も今ひとつだったから、去年よりも収入は少なかった。
アサギのように1人暮らしだと、畑や家を放っておいて、街へ臨時で働きに出ることも出来ない。若い男達のように、危険を冒して魔物が住む森の奥へ入ることも不可能だ。
厳しい冬を無事越すために、もらえるものはもらっておきたいというのが本音である。
「むむむ。……わかった。日当を出そう」
しぶしぶと頷く村長に、精一杯頑張ります、とアサギは満面の笑みを浮かべて言った。
勇者様ご一行が訪れたのは、村長とアサギが話してから、3日後の夜遅くのことである。