緑の夢の庭

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  [1]  

 シャルギルの淡い緑の瞳が好きだ。
 その瞳と同じ緑色に埋め尽くされた庭園で、ほんの少し目を細めて植物たちを見つめる姿は、とても綺麗で優しい。
 いつまでも、いつまでも、見続けていたい夢のようだと思う。
 だから、私は、いつだってこの庭で彼を待っている。


 都市を覆うガラスの向こう側は、今日も砂嵐のせいでよく見えない。
 空には星も輝いているのだろうけれど、それを見ることが出来るのは、短い夏のほんの一時だけだ。
「この様子だと、しばらく外には出られないかなあ」
 ため息をつきながら、独り言を言ってみる。
 ドームの中にいれば安全だということはわかっているけれど、やはり閉じこもってばかりでいるのは、退屈なのだ。
 読むこともなく膝の上に広げていただけの本を脇へどけると、私は、今目の前にある、砂漠の星には似つかわしくない草花を眺めた。
 持ち主が、花も実も茎も草も、出来うる限り緑に近いものを揃えているせいで、ジャングルの中にでもいるような気分になるが、ここは、ビルの最上階に造られた庭園だ。
 庭園の持ち主の名前は、シャルギルという。
 庭園だけでなく、実はこのビルそのものが彼の持ち物で、自宅もすぐ下の階だ。自宅の方は、彼の職業が特殊なせいもあって、嫌な客でも招待しなければならないが、ここは違う。シャルギルと親しいもの以外は入ることは許されていない。
 大体、シャルギルは、普段はそんな素振りを見せないけれど、好き嫌いが激しい。仕事以外で嫌いな相手と一緒に過ごしたり、愛想笑いを浮かべるなど我慢できないらしい。だから、彼がプライベートな時間のほとんどを過ごすこの庭園に出入り出来る者は、本当に限られている。
 私は、その数少ない『この場所に自由に出入りできる存在』の一人だ。プライベートでも一番彼に近いところにいる。
 とはいうものの、彼と私の関係は、地球人的感覚からいうと、ちょっと微妙な感じだ。
 恋人とはいえないし、かといって友達なわけでもない。家族とも違う気がする。
 大事にしてくれるし、少し過保護だと思うこともあるけれど、いろいろ気をつかってもくれる。
 ただ、それがいったいどういう感情からくるものなのかが、わかりにくいだけだ。
 家族のように思っているのか、恋人のように考えてくれているのか。
 考え方も、感じ方も、地球種である私とは違うのだと知っているから、本当のところ、シャルギルが私を どう思っているのかはわからない。
 けれど、私自身の気持ちはわかっている。
 私は、彼のことが好きだ。
 側にいたい、独占したい、私だけを見て欲しい。そういう部分もある『好き』だと思う。
 でも、それが恋愛感情なのだとと言い切る自信はなかった。
 家族と暮らしていたときだって、母や義兄に対しての独占欲はあったのだから。
 それでも、この世界で一番『好き』なのはシャルギルだというのは嘘ではない。家族よりも、友人よりも大事で大切だ。
 そう考えると、やはりこれは恋に近いのかもしれない。
 本当のところ、未だによくわからないけれど。


 シャルギルと私が初めて会ったのは、3年も前のことだ。
 その頃の私は、地球の衛星である月に住んでいて、そこ以外の世界を知らない、世間知らずな少女だった。
 忙しくてたまにしかやってこない養父、年の離れた義兄、屋敷にいる使用人達が私の知っている全てで、他の人間との接点はなかったといっていい。
 私の母親は、遠い星系に移住した地球種を祖先に持つ人で、夫を失い途方に暮れていたところを、養父に拾われたのだという。
 子供心に覚えている母は儚げで、誰かが護ってあげなければ息さえも出来ないのではないかというような人だった。
 そんな母に一目惚れしたという養父は、お腹の中に私がいたにもかかわらず、何度も母を訪ね、プロポーズし続けたらしい。その熱意に負けて、母が結婚を承諾したのは私が5歳の時。
 女性遍歴の激しい養父が、母と出会って結婚し、死別するまでの間、一度も浮気をしなかったという話を、何度も義兄から聞かされた気がする。
 幼い私から見ても、二人は幸せそうに見えたから、義兄の言っていたことは事実だったのだろう。血の繋がりはないとはいえ、愛した人の娘というだけで、私も随分かわいがってもらった。
 その義兄は、養父の7番目の奥さんの子供だ。義兄の母は月の有力者の娘で、とても美しい人だったらしい。
 実母が亡くなった後、兄は故郷である月に住むことを強く望み、父もそれを許していた。
 繊細で傷付きやすく、人付き合いが苦手な義兄には、地球の生活は無理だと養父もわかっていたのだろう。
 私たちが義兄の屋敷に住み始めるまでは、彼は殆どの時間を屋敷で1人過ごしていたらしいのだから。
 そんな義兄だったが、不思議なことに、母と私にだけは、心を開いてくれていた。
 母のおっとりとした性格がよかったのかもしれないし、私たちの境遇に同情してくれていたのかもしれない。
 月で初めて義兄に会ったとき、優しく頭を撫でてもらったことを覚えている。
 義兄の母親は、養父の別れた妻やその子供たち、親族たちといざこざがあり、その心労で早くに亡くなったそうだから、思うところもいろいろあったのだろう。
 実際、どこの馬の骨かもわからない女性が妻となったことで、親戚の母への攻撃はすさまじかったようだ。子供だった私はちっとも知らなかったのだけれど、殺されそうになったことも何度かあったとか。
 母が地球にある屋敷ではなく月に住むことになったのは、そういうどろどろとした親族間の争いになるべく巻き込まれないようにという養父の配慮だったらしい。
 私はそのおかげで、わずらわしいことは一切知らず、のんびりと成長することができたのだから、月に住まわせてもらったこと自体には本当に感謝している。
 母が死んだ後も私は月に住み続け、このままずっと穏やかに暮らしていくのだと信じて疑わなかった。
 けれども、その小さな世界は、突然壊れる。
 シャルギルが現れたせいだ。
 砂漠とカジノなどの娯楽施設で有名な星スレイヴ・アグゥダの代表という顔を持つ彼は、それとは別に、もう一つ職業を持っていた。地球の言葉で言えば造園業のようなものだ。
 正確には、細かいところが違うらしいのだけれど、庭園を設計したり、手入れをしたり、植物そのものを土地にあうように造りかえるということをしていると説明された記憶がある。彼の造った庭はすばらしいと評判で、それを聞いた養父がシャルギルに屋敷の庭の設計をしてもらうために、月に招いたのだ
 その時のことは、今思い返しても、本当に腹が立つ。
 彼の第一印象は『嫌な奴』だった。
 綺麗なものが好きで、自分勝手で、わがままな彼は、私の義理の兄である時郎に興味を持った。ところ構わず義兄を口説く姿に、当時の私は随分とつっかかったものだ。なお悪いことに、義兄もまんざらでもなかった。
 それまで、私のことを一番に考えてくれていた大好きな義兄が自分に冷たくなったのは、全部シャルギルのせいだと、随分恨んでいた気がする。
 本当に、あの頃の私は子供だったのだ。
 シャルギルが、地球人と同じ姿をしていても、まったく違う生態系で育った異種の存在だということも、そもそも地球人と同じに雌雄がはっきり別れているわけではないことも、知らなかった。
 そして、彼が大きな秘密を抱えていたことさえも。

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