お月さまと私2

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  前編  

 最初からうまくいく恋なんて、ありえない。
 そんなことは、わかっていたけれど。
 わかっていたのだけれど、こういうことばかり続くと、悲しくなる。
 ねえ、お月さま?
 あの人は、私をどう思っているのかな?

 私の好きな人は、気が弱い。
 人によっては、優しいと表現するのかもしれないけど、私から言わせれば、ただの意気地なしだ。
 年齢は、26歳。
 職業は普通の会社員。
 同年齢の男の人と比べれば、細身な体をしている。
 必要以外にはしゃべらないし、暇なときは、難しそうな本ばかりを読んでいる。
 甘いものが好きで、酸っぱいものがきらい。
 8つも年下の女子高生に対して『美弥さん』と呼ぶ。
 ご飯を食べるとき、いつも丁寧に『いただきます』と言う。
 …なんだか、こんなふうにいろいろ並べていくと、直人さんが情けない人のような気がしてきた。
 自分でも何で好きになっちゃったんだろうと思ってくる。
 年だって離れているから、あの人にとって私は恋愛対象じゃないのかもしれないと思う。それだけでも、こっちが不利だというのに、直人さんには、どうしても私を受け入れられない事情ってものがあって、現在のところ、二人の間には深い溝があるのだ。
 だって、あの人は。
 大きなため息をつく。
 だって、あの人は、月が昇ると狼に変身してしまう、人狼なんだもの…。


「好き」
 ちゃんと言葉にして言った。
「どんなことがあっても、嫌いにならない」
 とも言った。
 なのに、いつだって最後の言葉は。
「俺たちは種族が違うから、きっといつか傷つけあう」
 である。
 そうしておいて、この話は終わりにしようという。
 あからさまに迷惑そうにしないから、嫌われてはいないのだと信じたいけど。
 人を傷つけることを極端に恐れる直人さんのことだから、心の中では嫌がっているのかもしれないと、心配してしまう。
 私は直人さんの秘密を知っているわけだし。
 それが、彼を苦しめていないと、どうしてわかるの?
「君のほうが俺を嫌いになるよ。だって、君からみたら俺は気持ち悪いだろう?」
 あなたはいつもそればかりを言う。
 気持ち悪かったら、あなたの側にいたりしないのに。
「獣の姿のあなたも好きになったんだからね!」
 そう宣言したのはいつの夜だったのかな。
 私があなたに恋しているのだと気がついたのは、あの満月の夜。
 月に照らされたあなたの灰色の毛並みを見たとき。
 優しい金の瞳を覗きこんだとき。
 すごくどきどきして。
 思い出すたびにシアワセな気持ちになって。
 一緒にいたいなって思ったのだ。
 だから、今日こそははっきりさせる。
 あなたが私をどう思っているか。
 絶対に教えてもらう。
 それで、だめだったら。
 悔しいけど、あきらめる。
 もう二度と直人さんを煩わせるようなことはしない。
 秘密だって、一生守るもの。
 だから、今日こそは、何もかもはっきりさせる。
 そう決めた。

 短い人生の中で、こんなに真剣に何かをしようとしたのは初めてだった。


 今日は満月で、日曜だったから、直人さんはマンションにいると思って、押しかけてきた。
 前に、満月の夜だけは、変身のコントロールがうまくいかなくて、月が昇っている間は狼の姿なのだと聞いから。
 案の定、ぼーっとした顔の直人さんが玄関から顔を覗かせる。
「…美弥さん? どうして、ここへ?」
 戸惑ったような顔をしている。
 ここへくるのは、初めてだってこともあるけれど。
「聞いてほしいことがあって、来たんだけど」
 勇気を出してそう告げる。
 直人さんの顔が一瞬曇った。
 そのまま、何もいわずに、私の顔から視線を逸らす。
 その沈黙は何? しかもその、あからさまな態度は?
 聞きたくないってこと?
 でも。
 今日の私は強気でもある。
「どうしても、聞いてほしいことだから」
 考え込んでいるのは何故?
 すごく不安で、すごく怖くなる。
 やっぱり、家に押しかけたのはまずかったかな。
 だけどね。
 今、言わなくちゃ、絶対何も言えなくなる。
「だめ、かな? ここで、聞いてくれるだけでいいから」
 答えてくれない。
 いつもなら、私がどんなことを言っても笑って聞いてくれるのに。
 長い長い沈黙の後。
「今日の美弥さんは真剣なんだな」
「そうなの。だから……」
「たぶん、美弥さんの言いたいことは、わかっている…と思う」
 彼は、にこりともしないで言った。
 その先に続く言葉が、ふいに想像できてしまって。
 私は思わず身構えてしまった。
 聞きたくない―でも聞かなくちゃ。
「ごめんな。美弥さんの気持ちは嬉しくないわけじゃないけど…」
 言葉が返ってくる。
「でも、そんなふうには、思えない。だから、ごめん」
 予想はしていたけど。
 予想、してたんだけど。
 結構、きついな、こういうのって。
「わかった。ありがとう。言ってくれてすっきりした」
 嘘だ。
 すっきりなんてしない。
 ありがとうなんて思わない。
 なのに。
 なんで、私ってば、笑っているのかな。
 変だよね。
 おかしいよね。
「もう、迷惑かけないから」
 あまりうまく言葉も出てこない。
「さよなら。…押しかけてきて、ごめんなさい」
 それだけをやっと言って、背を向けた。
 世界がぐるぐる回っているような気がした。


 どこをどう歩いたのか覚えていないけれど。
 気がつけば、空には月が昇っていた。
 たぶん、今頃、直人さんは狼へと変わっているのだろう。
 もう、会えない。
 そう思うと、悲しくて。
 寂しくて。
 なんだか、心の中に、ぽっかりと大きな穴が開いてしまったようだった。

《H14.7.24(H14.12.26修正)》

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