最初からうまくいく恋なんて、ありえない。
そんなことは、わかっていたけれど。
わかっていたのだけれど、こういうことばかり続くと、悲しくなる。
ねえ、お月さま?
あの人は、私をどう思っているのかな?
私の好きな人は、気が弱い。
人によっては、優しいと表現するのかもしれないけど、私から言わせれば、ただの意気地なしだ。
年齢は、26歳。
職業は普通の会社員。
同年齢の男の人と比べれば、細身な体をしている。
必要以外にはしゃべらないし、暇なときは、難しそうな本ばかりを読んでいる。
甘いものが好きで、酸っぱいものがきらい。
8つも年下の女子高生に対して『美弥さん』と呼ぶ。
ご飯を食べるとき、いつも丁寧に『いただきます』と言う。
…なんだか、こんなふうにいろいろ並べていくと、直人さんが情けない人のような気がしてきた。
自分でも何で好きになっちゃったんだろうと思ってくる。
年だって離れているから、あの人にとって私は恋愛対象じゃないのかもしれないと思う。それだけでも、こっちが不利だというのに、直人さんには、どうしても私を受け入れられない事情ってものがあって、現在のところ、二人の間には深い溝があるのだ。
だって、あの人は。
大きなため息をつく。
だって、あの人は、月が昇ると狼に変身してしまう、人狼なんだもの…。
「好き」
ちゃんと言葉にして言った。
「どんなことがあっても、嫌いにならない」
とも言った。
なのに、いつだって最後の言葉は。
「俺たちは種族が違うから、きっといつか傷つけあう」
である。
そうしておいて、この話は終わりにしようという。
あからさまに迷惑そうにしないから、嫌われてはいないのだと信じたいけど。
人を傷つけることを極端に恐れる直人さんのことだから、心の中では嫌がっているのかもしれないと、心配してしまう。
私は直人さんの秘密を知っているわけだし。
それが、彼を苦しめていないと、どうしてわかるの?
「君のほうが俺を嫌いになるよ。だって、君からみたら俺は気持ち悪いだろう?」
あなたはいつもそればかりを言う。
気持ち悪かったら、あなたの側にいたりしないのに。
「獣の姿のあなたも好きになったんだからね!」
そう宣言したのはいつの夜だったのかな。
私があなたに恋しているのだと気がついたのは、あの満月の夜。
月に照らされたあなたの灰色の毛並みを見たとき。
優しい金の瞳を覗きこんだとき。
すごくどきどきして。
思い出すたびにシアワセな気持ちになって。
一緒にいたいなって思ったのだ。
だから、今日こそははっきりさせる。
あなたが私をどう思っているか。
絶対に教えてもらう。
それで、だめだったら。
悔しいけど、あきらめる。
もう二度と直人さんを煩わせるようなことはしない。
秘密だって、一生守るもの。
だから、今日こそは、何もかもはっきりさせる。
そう決めた。
短い人生の中で、こんなに真剣に何かをしようとしたのは初めてだった。
今日は満月で、日曜だったから、直人さんはマンションにいると思って、押しかけてきた。
前に、満月の夜だけは、変身のコントロールがうまくいかなくて、月が昇っている間は狼の姿なのだと聞いから。
案の定、ぼーっとした顔の直人さんが玄関から顔を覗かせる。
「…美弥さん? どうして、ここへ?」
戸惑ったような顔をしている。
ここへくるのは、初めてだってこともあるけれど。
「聞いてほしいことがあって、来たんだけど」
勇気を出してそう告げる。
直人さんの顔が一瞬曇った。
そのまま、何もいわずに、私の顔から視線を逸らす。
その沈黙は何? しかもその、あからさまな態度は?
聞きたくないってこと?
でも。
今日の私は強気でもある。
「どうしても、聞いてほしいことだから」
考え込んでいるのは何故?
すごく不安で、すごく怖くなる。
やっぱり、家に押しかけたのはまずかったかな。
だけどね。
今、言わなくちゃ、絶対何も言えなくなる。
「だめ、かな? ここで、聞いてくれるだけでいいから」
答えてくれない。
いつもなら、私がどんなことを言っても笑って聞いてくれるのに。
長い長い沈黙の後。
「今日の美弥さんは真剣なんだな」
「そうなの。だから……」
「たぶん、美弥さんの言いたいことは、わかっている…と思う」
彼は、にこりともしないで言った。
その先に続く言葉が、ふいに想像できてしまって。
私は思わず身構えてしまった。
聞きたくない―でも聞かなくちゃ。
「ごめんな。美弥さんの気持ちは嬉しくないわけじゃないけど…」
言葉が返ってくる。
「でも、そんなふうには、思えない。だから、ごめん」
予想はしていたけど。
予想、してたんだけど。
結構、きついな、こういうのって。
「わかった。ありがとう。言ってくれてすっきりした」
嘘だ。
すっきりなんてしない。
ありがとうなんて思わない。
なのに。
なんで、私ってば、笑っているのかな。
変だよね。
おかしいよね。
「もう、迷惑かけないから」
あまりうまく言葉も出てこない。
「さよなら。…押しかけてきて、ごめんなさい」
それだけをやっと言って、背を向けた。
世界がぐるぐる回っているような気がした。
どこをどう歩いたのか覚えていないけれど。
気がつけば、空には月が昇っていた。
たぶん、今頃、直人さんは狼へと変わっているのだろう。
もう、会えない。
そう思うと、悲しくて。
寂しくて。
なんだか、心の中に、ぽっかりと大きな穴が開いてしまったようだった。
《H14.7.24(H14.12.26修正)》