お月さまと私2

Back | Next | Novel

  中編  

 笑っている彼女しか、知らなかった。
 明るい声で話しかけてくる彼女ばかり見ていた。
 彼女が本気だということに、気付かないふりをしていた。
 それが、どんなに彼女を傷つけているのか、わからなかった。
 わかろうとしていなかったのだと、ようやく知った。


「直人さん、お疲れさまでした」
 そういって、いつも彼女は話しかけてくる。
 残業があるほど忙しくもない会社が定時に終るのは、いつものことで。
 退社時間になって会社のビルを出ると、隣にある児童公園の前に、彼女―美弥さんが時々立っている。
 俺の姿を見つけると、ぱっと笑顔を浮かべ、照れたように手を振ってくるのだ。
 出会った頃は、鬱陶しいだけの存在だった。
 俺のどこが気に入ったのか、やたらに話しかけてくる。人と争うことが厄介ごとの原因になると、幾たびかの経験で知った俺は、あからさまに邪険にすることはなかったが、女子高生の気まぐれだと思って、適当に相手をしていたのを覚えている。
 それなのに。
 ある日、ふと自然に笑っている自分に気がついた。。
 彼女から誘われると、一緒に出かけている自分がいた。
 そして、秘密を知られたのに。
 美弥さんは、俺の側からいなくなったりはしなかった。
 いつもと同じように笑ってくれて、いつもとかわらず話しかけてくれた。
 俺は、今まで、あまり人と接することがなかった。
 必要以上に他人に関って、自分の秘密を知られて、それで何度も人間関係に失敗しているから。
 だから、俺の秘密を知っているうえで、変わらずに接してくれる美弥さんの存在はとても貴重だった。
 たったひとつのことを除いては。

 美弥さんは、俺を好きだという。
 恋愛感情を持っていることを隠さない。
 まっすぐで正直なのは、彼女がまだ若いということがあるのかもしれない。
 それはある意味、俺にとっては、苦痛を感じるものだった。
 うまくはいえない。
 彼女のことは、嫌いではないのだと思う。
 妹のようでもあり、家族のようでもあり、我侭な友人でもあった。
 では、恋愛感情があるのかといわれれば、戸惑ってしまう。
 俺は人であるけれど、狼でもある。
 仲間は、死んでしまった両親しか知らない。
 もしかしたら、広い世界には同種の存在がいるのかもしれないが、今までお目にかかったことがない。
 だから、他の仲間たちがどうなのかはわからない。
 ただ、俺に関して言えば。
 女性に対する認識に、他人とずれがある。
 人である俺は、たぶん正常な意識の中で、女性と親しくしたいと思っている。
 だけど、俺の半分は、狼でもあるのだ。
 さすがに発情期というものがあるわけではないが、月によって影響を受ける俺は、新月の時と、満月のときでは、感じ方が変わってしまう。
 女性を激しく欲する自分と。
 鬱陶しいと思う自分と。
 そのふたつを行ったりきたりと不安定にさまよっているのだ。
 そんな俺を、ほんとうに男性として、美弥さんは受け入れることができるのだろうか。
 以前、つきあっていた女性があった。
 彼女も同じように、俺が好きだと言ってくれたけれど。
 結局は、互いの感じ方のずれが、破局をもたらした。
 最悪の状態で、別れることになった。
 それと同じことが美弥さんとの間に起こらないとどうしていえるのだろう。

 
 日曜日の午後。
 突然、尋ねてきた美弥さんは、初めて見る真剣な顔をしていた。
 聞きたいことがあると言われたとき、俺は覚悟を決めなければいけないと悟った。
 彼女の言いたいことはわかっている。
 きっと、俺が美弥さんをどう思っているのか知りたいのだ。
「そんなふうには、思えない。だから、ごめん」
 そういったとき、美弥さんは、笑っていた。
「ありがとう。言ってくれてすっきりした」
 そういいさえした。
 だから、俺は勘違いしてしまった。
 彼女は大丈夫だと。

 それが大きな間違いだと気がつかずに。


 それから、美弥さんは俺に会いにはこなくなった。
 電話が鳴ることもなくなったし、街で偶然出会っても、ただの知り合いのような言葉だけを交わして、別れる。
 寂しかったが、それでいいと思った。
 互いに傷つけあうのは、もうたくさんだ。
 それなのに、どうして胸がこんなに苦しいのだろう。
 世界が色あせて見えるのは、何故なのだろう。
 どうして、彼女の声が聞きたいと思うのだろう。

 空に浮かぶ細い月を見上げながら、俺は、息ぐるしさに押しつぶされるような感覚を味わっていた。

H14.7.30(H14.12.28修正)

Back | Next | Novel
Copyright (c) 2004 Ayumi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-