宙さんや陸を見ていると、家族ってなんだろうと思う。
血が繋がっていることが家族の定義ならば、そんなものはいらない。
一緒に暮らしていることが家族の繋がりだというのならば、断ち切ってしまいたいと願う。
でも、それは出来ない。
自分の中に流れる血が、それを許さない。
だからこそ、いつまでも藻掻いているのかもしれなかった。
森の中に頼りなく続く細い道を歩きながら、俺はいらつく気持ちを抑えようと、大きく息を吐いた。
屋敷の敷地内でも、この辺りには殆ど人は来ない。
屋敷から離れているし、元々、庭と森の堺は曖昧なのだ。道路に面した表側には一応塀もあるが、裏側は何もない。不用心だと思われがちだが、森は深く、所有者である俺たち一族でさえ迷うような場所だから、街の人間はやってくるはずがないし、余所者はここへは近づけない。
だから俺は息が詰まりそうになると、森のはずれへ逃げ込むことにしていた。
最近では屋敷にいることが減ったから、前ほどではないけれど、それでも時々『家族』たちといると苦しくなる。
いつまでこんなことを続けていればいいのだろう。
大人になり、この家から出て行く時までだろうか。
俺の上には兄が1人いるから、義務を果たせば屋敷で暮らす必要はない。だが、家の者がそれを許すとも思えなかった。
結局、この点に関してはいつも結論は出ないままだ。
話し合ってはいるが、最後には父親と言い合いのようになってしまう。
つい先ほども、父親を怒らせてしまったばかりだ。そして、いつだって言い争いの後は、心がざわついて、誰に対しても攻撃的になってしまう。
しらずに出た溜息に苦笑すると、俺は大きく息を吸った。
森の匂いは俺を落ち着かせる。
ここには、余計なものはいない。俺を脅かすものも、何も。
だが。
かすかに草を踏みしめる足音に、俺は顔を顰めた。
誰かが、やってくる。
覚えのある気配だ。確認しなくても、それが誰だかすぐにわかってしまう。
千尋だ。
俺より1つ下で、わけあって5年ほど前から屋敷で暮らしている少女。
俺は、彼女が苦手だった。良い子だとわかっているし、屋敷の中でも笑顔を絶やさない優しい少女だ。
それでも、俺は彼女と話すのが苦痛だった。
「椋一さん。こちらにいらしたんですね」
柔らかい声が、俺を呼んだ。
仕方なく振り返り、取り繕うように笑った。
「千尋、どうしたんですか?」
離れたところで立ち止まった彼女は、少し目を伏せる。俺が、一人きりでここにいるとき、誰にも邪魔されたくないと知っているからだ。
いや、それだけではないか。
彼女はこの場所があまり好きではないようだった。
木々の匂いがきつくて、息が詰まるのだと前に言っていた気がする。
それでもここへ来たということは、何か急ぎの用なのだろう。
「椋一さんに、お客様がいらしています」
「客?」
言われて千尋の後ろを見れば、そこに立っていた少年が「よお」と声を上げる。
「陸?」
軽く手を挙げて笑いかけてきたのは陸だった。
「休んでいるところ、悪いな。千尋さんも、案内ありがとう」
「いえ。すぐに椋一さんが見つかってよかったです。……それでは、私はこれで」
控えめに言いながら、千尋が数歩後ろに下がる。そのまま陸が俺に近づくのを見届けてから、足早に千尋は去っていった。
その後ろ姿が消えてから、ようやく俺は陸の方を向く。
「相変わらず、千尋さんにはつれないなあ」
俺が緊張していたのを気づいていたのだろう。
特に何かを言ったわけではないが、俺が彼女に対して複雑な気持ちを抱いていることには気づいているようだった。
「下手に馴れ合うよりも、距離を置いていた方がいいんだ」
まるで言い訳だなと思う。
彼女とうまく付き合えない自分自身に対しての、だ。
「俺は、一族の中でも血が濃いからな。お互いのためにも、近くにいるのはよくないだろう」
「でも、千尋さんはお前ともっと仲良くなりたいと思っているんじゃないか」
わかっている。
彼女は、そういう点では前向きだ。俺がどんなに冷たい態度をとっても決して諦めない。
それが自分自身を苦しめることになるというのに。
「千尋さんの発作は頻繁に起こるのか?」
「どうだろうな。最近はあまり話さないし。よほどのことがない限り、暴走することは少なくなってきたと思う、前に比べて力を制御する方法を学んだようだし」
彼女が持っている血と、俺の血は反発しあう。力の根本的な性質が異なっているせいらしいが、俺の強すぎる血に触発され、彼女は自分の力を押さえられなくなる時があるのだ。それは体力や精神力を消耗させるし、ひどい時には何日も寝込むことになる。防ぐためには、互いが接触しないことが一番だと俺は思っているのだが、彼女はそうは考えないらしい。
「彼女を連れてきたのは、お前の兄さんだったんだろう?」
「ああ」
兄と彼女が出会ったのは、偶然だったのだと聞く。
見寄りを亡くし、困っている彼女を放っておけなかったらしい。いろいろと便宜を図っているうちに、彼女に力があることがわかり、屋敷へと引き取ることになった。
だが、兄の思惑はどうあれ、彼女はここに来るべきではなかった。彼女を連れてきた兄が彼女を庇護できるほど強い力を持たないのならば、兄はそうすべきではなかったのだ。
「それでも、お前の兄さんにとって、千尋さんは家族みたいなもんだろう。血は繋がっていなくてもさ」
だから、守れないことが辛いんじゃないか、と陸は言う。
そうなのだろうか?
あまり丈夫ではない兄が、お前は強くていいなと羨ましそうに言うたびに、いたたまれない気持ちになった。
父が自分を褒めるたびに悲しそうな顔をする兄を見るのが辛かった。
仲良くしてくださいね、と言う千尋を見る度にそうできない自分を責めた。
期待されても、俺には何も出来ない。
強すぎる力のせいで、『家族』から浮いていた俺はいつも屋敷内でも一人きりで、彼らを守りたいと思ったことなどなかったのだから。
「椋一、あんまり考え込むなよ。なるようにしかならないんだからさ」
「頭ではわかっているんだけどな」
側で笑う陸の顔は穏やかで、どこかこの森に漂う雰囲気と似ている。
彼は、一般家庭で育った。
それなのに、力を持って生まれてきて、俺と同じように世界に縛られて、それでもこうやって笑っている。世界や俺を守るのと同じように、家族のことも守ろうとしている。
何が違うのだろう。
家族に愛されているからか? それとも、彼自身が家族を愛しているせいだろうか。
問いかけたいと思ったが、きっと答えはくれないだろう。
彼自身が見つけた答えは、俺の答えとは違うはずなのだ。
そして、その答えを俺はもう知っている気がする。
「陸に愚痴を聞いてもらえてすっきりした気がするよ」
俺の言葉に、陸は苦笑する。
「それは、俺もだろう。俺がやってこれたのは、お前がいたからだ」
いつもよりも真剣な顔を向ける陸は、俺の目をまっすぐに見て言う。
「お互い様だろ、椋一」
「そうだな」
そうなのかもしれない。初めて会った頃の彼は、自分の力に途惑っていたし、悩んでいた。
同じ力を持つ者として、確かに俺は陸に助言したことはある。でも、それ以上に俺の方が助けられている。
陸や宙さん、それに彼らの家族に。
感謝してもしたりないくらいだ。
今も、陸がいるだけで、さっきまでのいらいらが治まってきている。
その時、ふと俺は大事なことに気が付いた。
そういえば、陸は何故ここへ来たのだろう。
屋敷内に漂う雰囲気が苦手だと言っていたはずで、よほどの用事でなければ、訪ねてくることがない。
緊急の用なのだろうかと思っていたが、緊張感も何もないようだし、用件を切り出すこともない。
「ところで、陸。お前、何しにきたんだ」
「あ、忘れるところだった。宙からの預かりものを渡そうと思ってな」
「宙さんから?」
宙さんとは、彼女が誘拐されそうになってから会っていない。事後処理に手間取ったせいもあるが、屋敷内がごたごたしていたために、外出もあまりできなかったのだ。
「これだよ」
陸は、手に抱えていた紙袋を俺に向かって差し出した。
街にあるデパートのもので、わずかに膨らんでいる。
「授業で作ったんだそうだ。みんなでお揃いなんだってさ」
椋一の分だといって渡された紙袋の中には、布製のブックカバーが入っていた。
なかなか斬新な色の組み合わせで面白かったが、微妙に縫い目が曲がっている気がする。
「宙さん、裁縫は苦手なんだな」
思わず口をついて出た言葉に、陸が吹き出した。
「あー、努力だけは認めてやってくれ」
一生懸命針と糸を持って悪戦苦闘している宙さんを思い浮かべ、俺は笑う。
「ほとぼりが醒めたら、遊びに来いよ。うちのちびどもも、会いたがってるから」
「いいのか?」
まだ迷っている。巻き込むことになるのではないか、そんなことを恐れているのだ。
陸の家族は俺に優しい。
よく遊びに行く俺をまるで家族のように受け入れてくれる。
俺の素性を知らないはずだが、例え知ったとしても、変わらないのだろうと思ってしまう。
だからこそ、彼らの笑顔を失わせるようなことをしたくなかった。
「いいんだよ。お前がこないと、喧嘩したのかって、お袋も五月蠅いし」
その迷いを断ち切るように、陸が俺の頭を小突いた。
「なにより、宙がお前に会いたがっている」
「そうか」
だったら会いにいくよ、と言うと、陸は小さくありがとうと呟いた。
だけど、たぶん、それを言うのは俺の方だ。
家族のように大切だと思う存在を見つけたのは、陸たちのおかげなのだから。