空の見える場所で

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  12.虫  

 今年の夏は、いつもより暑くて、蝉の声もうるさかった。
 いつか入った町のはずれの大きな森の側でも、耳が痛くなるくらいの鳴き声が聞こえている。
 でも、何度そこを通っても、町をうろうろしていても、家の縁側でぼんやりとしていても、会いたい人には会えない。
 『彼』が、町からいなくなってしまってから、もう一年以上も前。
 胸の中にぽっかりとあいてしまった穴の大きさに、『彼』の存在がとても大きかったんだと気づいてしまった2度目の夏。
 私は、もやもやした思いを抱えたまま、どこか騒々しい夏を過ごしていた。


 遠くの大学に行ったおにいちゃんが帰ってくると聞いたときから、私はもしかして椋一おにいさんにも会えるかなって、期待していたのかもしれない。
 椋一おにいさんは、陸おにいちゃんと同じ大学へ行っている。
 でも、どこの大学へ行くのか知ったのも、この町を出て行くって聞いたのも、全部陸おにいちゃんからだった。
 あの頃の椋一おにいさんは、なんだか知りあった頃とは違って暗い顔ばかりしていて気がする。会うと笑顔を浮かべてくれるけれど、ふとした時に物思いに沈んで返事がないということも結構あった。
 でも、おにいちゃんが、椋一のところは今ちょっと家庭内で揉めているから、と言葉を濁しながらも言っていたから、あえて何も聞かないようにしていた。
 椋一おにいさんの家は、ちょっと特殊だから、難しいことがたくさんあるって、知っていたしね。
 けれど、大学に行く時、見送りも出来なくて、それっきり連絡もとれなくて、いったいどうしちゃったんだろうって、ずっと心配していたんだ。
 時々おにいちゃんから椋一お兄さんが元気だってことを聞いていたから、我慢していたけれど、本当は気になっていたんだもの。
 だから、ちゃんと会って話をしたくて、この町で一番大きい駅で、私はお兄ちゃんたちを待っていた。
 でも。
 帰ってきた椋一おにいさんは、どこか変だった。
 何がどうっていうのか、うまく説明できないけれど――そう、雰囲気が変わったっていうか。
 すごく近寄り難くなっていたっていうか。
 少なくとも、昔みたいに気軽に話せる雰囲気ではなかった。
 そのことに不安になりながらも、私はおにいちゃんたちに笑いかける。
「おにいちゃん、お帰りなさい。それに椋一お兄さんも」
「おう、元気にやっていたか?」
 私の言葉に、一番に反応してくれたのは陸お兄ちゃんだった。
 久しぶりの笑顔は、全然変わっていない。
 けれども。
 椋一お兄さんは違ってた。
「ああ、宙さんですか。お久しぶりです」
「え?」
 間抜け面して、変な声を出したのは、聞いたことないような口調だったからだ。
 助けを求めるように陸おにいちゃんを見ると、困ったような情けないような、これも今まで一度だって私に向けたことのないような表情を浮かべていた。
「元気そうでなによりです」
 そういって顔が笑みの形に作ったけれど、目は笑ってはいなかった。
「えーと、椋一おにいさん?」
 思わず問いかけてしまった私を、やっぱり変な笑顔のまま椋一おにいさんは見ている。
 私が知っている人は、こんなふうに笑ったりはしなかった。
 どこか薄皮をはさんだような、丁寧な言葉を使ったりはしなかった。
「陸。俺はまっすぐ家に帰るけれど、おまえはどうする?」
 ……おにいちゃんには普通に話すんだ。
「んー、そうだな。俺も家に帰るよ。宙も迎えに来てくれたことだし」
 お兄ちゃんがぐいと腕を伸ばして、私を労るように優しく引き寄せた。
 まるで、椋一おにいちゃんから、私を庇うかのように。
 そんな仕種でさえ、胸の奥がちくりと痛む。
「後で、連絡するよ」
「ああ、わかった。宙さん、……またあとで会いましょう」
 他人行儀な挨拶が私に向けられて、そのまま背を向けて歩いていく。
 遠ざかっている後ろ姿は、結局最後まで振り返ることはなかった。
 蝉の声だけが、嫌になるほど耳に響いていく。
 昔、おにいさんと歩いた夏の道で聞いた蝉の鳴き声は、夏らしくて大好きだったのに。

 その夜、おにいちゃんは、彼のことはしばらくそっとしておいてほしいって言ったけれど。
 やっぱり、心の中は痛いままで、私はその日、ちょっとだけ泣いた。

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