「あんたの兄さん、美女を3人も連れて帰ってきたんだって?」
これは、隣家のおばあさんの言葉です。
「坊主が、美女を取り合って決闘するってえのは本当か?」
これは、村にひとつしかない雑貨屋のおじさんの言葉。
「にいさんが、美女に迫られて村に逃げ帰ったって聞いたんだけど」
薬屋のおばさんは好奇心丸出しの顔でそう言ってきました。
「ねえねえ、あんたんところのお兄さん、男と駆け落ちしてきたって本当?」
途中で会ったおばさんの言葉に、思い切りのけぞったのはついさっきのことです。
それ以外にも、いったい誰がそんな情報を流したのやら、出会う人それぞれから違うことを言われたり聞かれたりしました。
それもこれも、おにいちゃんが連れてきた人たちが原因です。
村の中では思い切り浮いている格好をした、どう考えても胡散臭い雰囲気の方々。
おにいちゃんは、『いい人たちだよ』と言い切りましたが、あの時に会ったきり、殆ど話をする機会もなかったので、どんな人なのかはわからないのです。
黒い鎧の人はしゃべらないし、赤い服の人は綺麗すぎてなんだか自分が惨めになるし、茶色の髪の人はじーっとこっちを見ているし。
田舎者だからって莫迦にされてるのかもと、ちょっと傷ついてしまいました。
それに、何よりも父さんがずーっと不機嫌だったのが怖いです。
あの人たちに自己紹介などさせる間もなく、『王都から来たのか?』なんてことを言いだして、頷いた彼らに向かって『だったら話すことはない』と話も聞かず家の中に入ってしまったのですから。
それっきり、おにいちゃんが彼らの話をしても無視するし、本当に何がどうなっているのか私にはわからないのです。
大体、王都はここから何ヶ月も旅をしないとたどり着けないですし、私が物心ついてから、父さんが王都に行ったことはありません。そこから誰かが尋ねてきたということもないはずです。
何故、父さんが『王都』にこだわるのか――おにいちゃんが持ち出した何かと関係があるのでしょうか。
父さんは元々村の人間ではなかったという話は、誰かに聞いた気がします。
だから、私が知らない昔に、『王都』で何かあったのかもしれないと推測するのは変なのでしょうか。
どちらにしても、父さんとおにいちゃんの間に立った私が一人でおろおろしているような気がして、落ち込んでいるのは事実でした。昔みたいに仲良くしてほしいのに。どうして、うまくいかないのでしょう。
5年もの間、離れて暮らしていたせいだとは思いたくありませんが、今の私たち3人の間にあるのは、気まずい雰囲気だけです。
そんな空気が苦痛なのか、今日だって、おにいちゃんは朝からあの人たちが住むと決めた、村の端にある家に行ってしまいました。
そうなのです。
気まずい雰囲気が続く原因は、あの人たちが『村に住むことにした』と言ったこともあるのだと思います。
彼らは、私の家を出た後、すぐに村長さんのところへ行き、村の端にある長い間使われていなかった家を、それなりの値段で買ったのだそうです。
放置されていた期間が長かったせいで手を入れないといけない家を、わざわざ買って住むなんて、不思議なことです。
家一軒を買えるほどのお金を持っているというのも、奇妙ですし。
高級そうな生地を使って作られた衣服を着ているわけですから、それなりの身分を持っているのか、あるいは後ろ暗い仕事をしてお金を儲けたのか。でも、盗賊というふうには見えませんし、何か悪いことをして逃げ込んだという雰囲気でもありません。
結論からいえば、やっぱりよくわからない人たちというのが、私の中の印象なのです。
当の本人たちは、村の人の好奇の目をまったく気にせず、家の修理に励んでいるらしい――というのは、様子を見に行った雑貨家のおばさんから聞いた話です。
いったい何が目的で、おにいちゃんとはどういう関係なのか。
聞きたくて仕方がないのに、聞けない――そんな葛藤を抱えたまま、2日が過ぎました。
おにいちゃんは一応家には帰ってきますが、相変わらず父さんとは殆ど口を聞かないままです。
せっかく仲直りしかけたのに、得体のしれない人たちのために話がややこしくなるのは困ります。
いつまでもあの人たちのことを知らん顔しているわけにもいかないですし。
おにいちゃんが、『いい人』で『世話になった』と言っているのは間違いないことだし。
黙って見ているだけでは、何の解決にならないということは、自分が一番わかっています。
そんなわけで、私はあの人たちの住む家に向かうことに決め、重い足取りのまま村の中を歩いていたのですが。
気は重いし、あちこちで村の人たちに呼び止められるしで、憂鬱な気持ちが募るばかりなのでした。
「シアー! シアってば」
自分を呼ぶ声に、私は立ち止まるべきか、早足で立ち去るべきか悩んでしまいました。
この声は、幼馴染で姉妹のように育ったアイリのものです。
今日は自分の父親が経営する酒場を手伝うから忙しいと言っていたのに、わざわざ私を追いかけてきているあたりが怪しいです。
ここはやはり気付かないふりをした方が……。
「ちょっと、無視しないの!」
勢いよく腕を捕まれ、私は諦めました。どうやら逃げるのは不可能なようです。
仕方がないので振り返ると、アイリが何故か大きな紙袋を抱えて微笑んでいます。
「今から、例の人達のところに行くんだよね?」
目が輝いているように見えるのは、私の気のせいじゃないはずです。
全身から、何か聞きたい知りたいという思いがにじみ出ています。
「そう言って私を引き止めたのは、アイリで8人目だよ」
そのたびに事情を説明していたので、疲れているのは事実です。もうこれ以上、みんなの噂を否定するのはイヤです。
「仕方ないよ。みんなあんたの兄さんが連れてきた人たちに興味があるんだから」
珍しいっていうのはわかります。
殆ど外から人が来ない村なわけですから、こういうことがあると大騒ぎになります。当事者でなかったら、私だって好奇心に負けて、同じようなことをしていたかもしれません。
「とりあえず、おにいちゃんは決闘もしていないし、美女から逃げてもいないし、男と駆け落ちもしてないから」
「あれ? 私が聞いたのは、黒い鎧の人とおにいちゃんと赤い人が三角関係で、一番若いのが横恋慕ってのだったけど」
いろいろ増えてます…。
誰ですか、そんな変な噂を流しているのは。
「で、アイリはそのことをわざわざ確かめに?」
「あー、そうしたいのは事実なんだけどねぇ。違うんだ。はい、これ」
そう言って差し出したのは、抱えていた紙袋でした。
中には、野菜だとか果物だとかが入っています。
「何これ?」
「今朝早く、あんたの兄さんがうちの店によってね。食料を幾つか見繕って持ってきてくれって」
「……私に頼めばいいのに」
思わず愚痴めいたことを言ってしまってから、しまったと思いました。
アイリが笑い出したからです。なんだか嫌な予感がします。
「だって、おじさんと喧嘩してるんでしょ? もう2日も碌に口を聞いていないって、村中の噂だよ」
ああ、やっぱり。
そこまで知れ渡っていましたか…。
せまい村のことですし、父さんがあんなに不機嫌な顔で歩いているんですから、知れ渡るのは時間の問題だとは思っていましたが、早すぎる気がします。
「で、本当なら、私が家まで行けばいいんだけど、店番していないといけないから、どうしようって思っていたのよ。シアに会えてよかったわ」
そうはいいつつも、ものすごく残念そうに見えるのは、私がおかしいんでしょうか。
でも、やっぱりアイリの目は好奇心に輝いているようにしか見えないのですが。
「ねーねー、で、本当のところはどうなの?」
忙しいという割には立ち去ろうとしないアイリは、続けてそんなことを聞いてきました。
「わからないから、いろいろ確かめにいくところ」
そう。
私自身がわからないことだらけなのですから、人に何か言えるはずもありません。
アイリは、そんな私に気をつかったのか、笑顔を浮かべて、ぽんぽんと肩を叩きました。
「ま、悪い人じゃないような気はするよ。あんたの兄さんを信じなさいって」
「……そうだね」
あんな性格ですけれど、おにいちゃんは人を見る目はある方だと思っています。それに、幾らこの村を出て長いとはいえ、おにいちゃんがここに悪い人を連れてきたとは考えたくもありません。
「ありがとう、アイリ」
すこしだけ、憂鬱な気持ちが晴れたような気がします。
「それじゃ私は行くけど。無理はしないようにね。あ、それとどういう人だったかっていう結果はやっぱり教えてね」
「わかった」
じゃあね、と元気よく手を振るアイリを見送りながら、私は気合を入れなおしました。
悩んでいても仕方ありません。
むしろ、悩んでいる時こそ、どんとぶつからないと。
そして、私はあの人たちが住む家に向かって歩きはじめました。
長くて緩やかな坂道を登りきったところに、おにいちゃんの友人たちの家があるはずでした。
この村の平均的な家屋と同じように、造りは頑丈とはいえ、住むものがいなくなってから随分立つ建物です。
外から見ても汚れや痛みがわかるほどだったという印象がありました。
けれども、見えてきた家は、数日前の姿からは想像できないほどに、綺麗になっています。
汚れていた壁は綺麗に塗り替えられ、落ちかかっていた窓の手すりも補修され、門から家へと続く道は草が刈り取られ、庭のゴミも全て片付けられているのです。
あまりの変わりように、私は唖然としました。
いなくなってからの兄が何をしていたのかは知りませんし、一緒にやってきた人たちの職業などわからないのですが、まさか大工が本業だとは思えません。
器用なのか、片手間にこういうことをやっていたとでもいうのでしょうか。とても素人仕事ではない仕上がりです。
いったいあの人たちは何者なんでしょう。
お金も持ってて、大工仕事も出来る得体の知れない人たち。
……やはり、職業からして、想像できません。
お兄ちゃんに聞いてみたい気もしますが、それはそれで恐ろしいことになりそうだと思うのは、心配しすぎなのでしょうか。
どちらにしても、現在おにいちゃんの親しい友人なのは、間違いありません。
とりあえずは、アイリの頼まれ事を片付けてしまって、すっきりしてしまおう――そして、これを口実に、話をしてみよう。
そう決心したものの、足取りは、やはり重いままなのでした。
できれば、おにいちゃんがいてくれればいいな、と思っていた私は、扉の前で、こちらに背を向け男の人が一人立っているのを見て、思わず足が止まってしまいました。
黒い鎧に黒い髪。
おにいちゃんの知り合いの中で、一番怖そうに見えた人です。
確か、『ダグラス』という名前でした。
あたりにはその人しかいないようです。
残りの二人とおにいちゃんは、家の中か、あるいは出かけているのかもしれません。
あまり話しかけたいとは思いませんでしたが、このままでは帰れません。
アイリから預かった荷物もありますし。
そんなふうに思って覚悟を決めたときでした。
「誰だ?」
声をかけるよりも前に、振り向かれてしまいました。
びっくりしました。
体が竦んでしまうような鋭い声と冷たい目に、固まってしまいます。
どうすればいいんでしょう。口にしようとしていた言葉も、頭の中からとんでしまいました。
挨拶だけでも言わないと、不審に思われるかもしれません。
「あ、あの。えーと、こんにちは」
「君は確か……」
ダグラスさんは、私の顔をしばらく見つめていましたが、やがて表情を和らげました。
私が誰かを思い出してくれようです。
「何か用なのか?」
「え、いえ、あの。兄はどこでしょうか?」
中にいるのならば呼んでもらおうと思ったのですが。
「ああ、リクなら出かけている。しばらくは戻らないと思うが」
「そうですか」
だとすると、荷物はこの人に預けるしかないのでしょう。少し不安ではありますが。
「これ、村の酒場からです。兄から届けるように頼まれたらしいのですが」
「ああ」
ダグラスさんは、私から荷物を受け取ると、軽く頭を下げました。
それきり、会話が途切れてしまいます。
元々無口な人なのでしょうか。それとも、会話事態が面倒だとか。まさかとは思いますが。
私も何か話さなければとは思うのですが、まったく何も出てきません。
天気の話や農作物の出来具合を話題にするのも変ですし。
このまま、『さようなら』では、ここへ来た意味がありませんし。
「まだ何かあるのか?」
「いえ、あの」
おっかないです。
目も怖いし、声も怖いし、体も大きいし。
よくよく見れば、黒い鎧だけでなく、腰には大きな剣がさがっています。
華美な装飾はついていませんが、使い込まれているって雰囲気を感じられます。
……あれ?
そういえば、今気がついたのですが、この人、出会ってからずっと鎧を着たままです。人の衣服の好みをとやかく言うつもりはありませんが、なんとなくこの村では不釣り合いな感じがします。
戦があるわけでもないし、夜盗が襲ってくることもありませんし、何かと邪魔になりそうな気がするのですが、理由があるのでしょうか。
それに、もう夏は終わりとはいえ、まだまだ暑い日が続いています。
少し歩いただけで汗ばむくらいですから、こんな格好でうろうろしていたら、体にも悪いと思うのですが。
「あのう、暑くないんですか? その鎧」
思わずそう言ってしまったのですが、その瞬間は、口が滑ったとあせってしまいました。
怒られるかもと思ったのです。主義主張があって、鎧を着続けているのだとしたら、それこそ余計なお世話ってことになりそうですから。
けれども、ダグラスさんは困ったように笑っただけでした。
「おかしいだろうか」
「おかしいというより、暑そうだなって思いました」
「そうだな」
彼は黙り、何事か考えているようでした。
相変わらず会話はテンポよくは進みません。
けれども、なんとなくわかってきました。
私と話すのが嫌だというのではなく、そういう話し方をする人なのでしょう。見るからに人付き合いも苦手そうですし。
「そうだな、ここでは必要ないものだな」
はっきり言ってしまうと、むしろ浮いていると思います。
「いや、それが当たり前のことか」
ダグラスさんはため息をつきました。
ひどく深刻な顔だったので、悪いことを言ってしまったのかと考えたのですが。
「ダグラスさん?」
え、えええええ?
何いきなり脱いでるんですかー!
鎧だけでなく、その下に着ていた肌着までもです。
花もはじらう乙女の前でとか言う以前に、人様の前でいきなり服を脱ぐだなんて、間違ってますー!
確かに鎧は暑そうだとは言いましたが、行動が唐突すぎます。都の人はよくわからないです。
「どうした?」
けれど、彼は私があたふたしている理由がわからないようでした。
不思議そうな顔で、私を見ています。
「だって、あの、そのー」
真っ赤になっているであろう私の顔に、ようやく彼も気がついたようです。
「す、すまない。つい癖で……」
癖って、いったいどんな癖なんですか。
とは、聞けるはずもなく、私は慌てて視線を逸らし、ダグラスさんは、ちょっと待っててくれと言って、家の中に駆け込んでしまったのでした。
後に残された私は、彼が置いていった鎧の上部分と紙袋を前に、実はダグラスさんは最初の印象よりは怖くないかもしれないと思いはじめていました。