「ちょっとちょっと、聞いた？」
息を弾ませながら、村の東に位置する井戸にやってきたのは薬屋を営む亭主を持つコーネルだった。
「ヴァージルんところの放蕩息子が、都の女に迫られて、ここに逃げ帰って来たって話」
井戸端で水を汲んでいた何人かが、コーネルの言葉に反応する。
それも当然で、最近の彼女たちの話題は、５年ぶりに村に帰ってきたリクのことばかりなのだ。
都会に憧れて、ここから遠く離れた街へ出て行く若者もいるとはいえ、『旅に出ます』などと置き手紙を残していなくなったのは、彼女達の記憶の中にはリク以外はいない。
それだけでも噂になるというのに、帰ってきたとき一緒にいた『友人』というのが、変わった人間だったのだ。
噂好きの彼女たちが、これに飛びつかないはずもない。
しかも、村中が知り合いで、家族のように互いをよく知る彼女たちにとって、リクはいつまでも『やんちゃでイタズラ好きな男の子』なのである。
今回のことも、また面白いことをやらかしてくれたというのが、彼女たちの大半を占める感情だった。
「うちの亭主は、リクは美女を取り合って決闘するとか言ってたよ」
水をくむ手を止めた雑貨屋の女将ディエラは、そんな話題はもう古いとばかりに素っ気なく言った。
「あら、ワタシは男と駆け落ちしてきたって聞いたわよ。都会ってところは、いろいろと面白いわねえ」
井戸の周りにいた中では一番年の若いブラウが夢見がちな眼差しで言う。
彼女の愛読書は、街から取り寄せた恋愛小説である。そんな彼女には、リクが堅気には見えない人間を連れて帰ってきたことそのものが、想像力をかき立てられる出来事なのかもしれない。
「どの噂が本当だったとしても、坊やが連れてきた人は見目のよい人ばかりだったわねえ」
ブラウの意見とは会わないが、顔がいいという点では皆の思いは一致している。
リク自身が、目立たない地味な顔立ちのせいで、余計にそう見えるのかもはしれないが、少なくとも村に住む男達とは比べものにならない。
「噂について、シアに聞いたんだ。あの子は否定してたけど、私はいろいろ怪しいと思うんだよ」
ディエラだけなく、他の女性たちも頷く。
皆、自分が聞いてきた噂を、たまたま歩いていたシアに確認済みなのだ。
「だいたい変だよ。見るからに偉そうな都人が、こんな何にもない場所に住むなんてさ。何かあるって思うのが普通だろ」
コーネルたちは、この国の中心部である都に住む人間など、ほとんど見たことがない。
そう言い切れるくらい、ここは辺境で人の出入りが少ない村なのだ。
何も見るものなどないので、観光客さえもやってこない。
有名な農作物や産業もないのだから、彼らには何かやむにやまれぬ事情があって、この村に住み着こうとしたのだと考えついても不思議でなかった。
けれども、肝心のリクはつかまらないし、妹のシアは噂を否定するばかりで彼女たちの知りたいことを何一つ教えてくれなかった。
「やっぱり、シアにもう一度聞いてみるかね。ヴァージルは機嫌が悪そうだから、聞きにくいしさ」
コーネルの言葉に皆が頷きかけたときだった。
ふと顔を上げたディエラが、井戸の側を通りかかった一人少女の姿を見つける。
シアの幼なじみであるアイリだった。
「ああ、いいところに通りかかった。アイリー！」
ぎょっとしたように立ち止まったアイリをコーネルたちが取り囲む。
「あんたシアと仲いいだろ、リクのことについて、あの子から何か聞いていないかい？」
いきなりそんなことを言われ、アイリは目を丸くする。
井戸端で何か騒いでいるとは思っていたが、そんな話ならば逃げてしまいたい。
だが、おばさんたちの包囲網は厚く、どこからも抜けられそうになかった。
言葉で彼女たちに勝てるはずもないし、どうせ何かを言わなければ、ここから解放してはもらえないのだ。仕方なく、アイリは先ほど会ったばかりのシアの様子を思い出す。
「シアも戸惑ってるみたいだったから、まだ何も―」
皆まで言わないうちに、周りから盛大なため息が漏れた。
「なんだよ、つまらないね」
「あんたも、もう少し情報を仕入れておきなよ」
「これだから、若いものは―」
あんまりないいように、おばさんたちには慣れているアイリさえ、引いてしまう。
「そうそう、いい考えがあるよ。あの人たちを順番にお茶に誘えばいいんだよ」
「ええ？」
驚いた声を上げたのは、アイリだけだった。
周りの女性陣は、うんうんと頷いている。しかもいい考えだねえなどど言っている。
「村の一員になったんだから、お茶くらい来てもらうのは当然だよ」
「えええ？」
それはちょっと違うのでは、というアイリの言葉は、もちろん無視された。
すでに、誰が一番最初にお茶に誘うかという話になっている。
それを眺めながら、まだ一度も口を聞いたことのない彼らに対して、アイリは同情するしかなかった。