硝子の国の物語

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 森のはずれに、その屋敷はあった。
 石造りの塀は、あちこちで崩れかかっており、手入れされているようにはとても見えない。
 青々とした蔦が崩れかかった部分を更に広げようとしているように、塀を覆っている。
「どこからでも、不法侵入できそうですね」
 穴だらけの塀から、大胆にも中を覗き込みながら、ラーナは言った。
 庭とはとてもいえないような雑草だらけの空間が、塀の向こうに広がっている。
「見事に荒れ果てているなあ」
 ラーナの後ろから、中を様子を窺っていたカイルが、感心したように呟いた。
「10年かそこらで、ここまで荒廃するなんて、いったいどういう金の使い方をしたのだろう」
「人を雇う余裕がないのでしょう。見たところ、誰もいないようですね」
 事情を知っていなければ、廃墟とも間違えかねられない様子である。
 男爵が再婚した相手は、それなりに裕福な家の出だと話も聞いたが、屋敷を維持するほどの経済的余裕はないのかもしれない。
「私も、ここまで荒れ果てているとは、思っていませんでした」
 昔の面影はまったくないが、男爵の屋敷と庭が、どれほどにすばらしいものだったか、ラーナの記憶にも残っていた。
 舞踏会の記憶も、まだ鮮やかだ。
 もっとも、子供心に派手な舞踏会を繰り返すとは思っていた。
 何もかもが豪華できらびやかで、王宮で催されるものとは比べ物にならなかった。
 一流の楽士、一流の料理人、招かれた沢山の貴族たち。
 結果、こんな状況に陥ってしまったのだとすれば、やはり贅沢というのは、しすぎてはいけないということだろう。
 反面教師として、よく覚えておいたほうがよいのかもしれない。
 だが、今は、現在の状況をどうこう言っていても仕方がない。
「どうしますか? 表から堂々と伺います? それとも、裏に回ってみますか?」
「一応、お忍びだしね」
「では、不法侵入を?」
「ハッキリ言うね」
 この場合、うやむやにしようとそうでなかろうと、いけないことをしようとしていることに変わりない。
「男爵は最近屋敷から出てきませんし、数少ない使用人たちも、カイルの顔まで覚えていないでしょうから、誰かに出くわしても、正体は判らないとは思いますが」
「いや、まあ、こんなところに王子がいるとは、普通は思わないだろうからね」
「代わりに、不審な人物と間違えられて、やっかいなことになるかもしれませんよ」
 言葉の割には楽しそうなラーナである。
「私の記憶違いでなければ、この少し先に、使用人たちが利用する裏口があったはずです。とりあえず、そちらの様子を窺ってから、どうするか考えましょう」
 昔一度訪れただけだと言い張る彼女だが、その頭の中には、屋敷の見取り図や配置が記憶されているらしい。
「ラーナに任せるよ」
 カイルの言葉に、ラーナは頷きながら、迷うことなく歩き始める。
 ほどなくして、裏口らしき場所にたどり着いた。
「これは、また。表にもまして、すごいことになっているね」
 腕を組んで、カイルは朽ち果てかけた裏門を眺める。
「あらあら。ここには、門扉があったはずですけれど。なくなっていますね」
 すさまじいですわ、などと能天気に言ってのけながら、ラーナは、用心深く中を覗き込む。
 荒れ果てたそこには、人の気配はない。
「呼びかけてみるかい? おーい、誰かいませんか」
 よく通る声が、辺りに響いた。
 だが、返事がない。
 人がいないとは、思えない。
 男爵は留守だとしても、家族がいるはずであった。
「だーれーかーいませんかー?」
 さらに声を張り上げる。
 それが功を奏したのか。
 ようやく、屋敷の中から、人の気配がしたのだった。
 
 
 扉が軋みながら開く音に、二人は顔を上げた。
「何騒いでんだよ! 押し売り、借金取りなら、お断りだからな!」
 声変わりしていないであろう、やや高めな少年の声が中から聞こえたと思った瞬間、扉が開いた。
 中から小柄な少年が飛び出してくる。
 髪はくしゃくしゃで、痩せて少しばかり顔色も悪かったが、その整った顔に、ラーナとカイルは見覚えがあった。
 そう。
 たとえば、きちんと髪を結い上げて。
 薄く化粧をして。
 そうすれば、舞踏会で見た、かの少女にそっくりではないか。
「あら」
「おや」
 二人は同時にそう言い、少年は、ぎょっとしたように動きを止めた。
「あんたら、なんでここに…。あ、いや! お、押し売りなら帰ってくれ」
 少年は引きつった顔のまま、それだけを口にすると踵を返して、その場から遠ざかろうとする。
 それを見逃すカイルとラーナではない。
「待ちなさい」
 ラーナが声をかけるのと同時に、カイルの手が伸び、少年の腕を掴んだ。
「う、うるさいな! 押し売りお断りって言っただろ!」
「押し売りねえ。お客さんだとは思わないのかい? それに、僕の顔を見て逃げるなんて、変だよね」
「そして、私の自慢は、記憶力がよい、ということですから」
 にこにこと、目の前で笑う二人組に、少年はそのまま固まってしまった。
「あなたによく似た方を、私は見たことがあるのですよ。双子というには、あまりにも同じ顔ですね?」
「それにね。君は気付いていないかもしれないけれど、僕の顔って世間的には知られてないんだよ。なにしろ、僕の肖像画は、嘘八百、かーなーりー美化されているからね。そんな僕の顔を見て驚くなんて、おかしいよね。それとも、君は、押し売りが来るたびに、イチイチそんなに驚くの?」
 二人に詰め寄られ、少年はがっくりと肩を落とした。
 どうやら逃げられないと、察したらしい。
「ああ、そうだよ。俺が、舞踏会であんたと踊った『女の子』だよ」
 観念したように、少年はそう口にした。

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