硝子の国の物語

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「それでは、あなたが『硝子の靴の美少女』で間違いないのですね?」
 何故か言外に、「残念」という匂いを漂わせながら、ラーナが呟く。
 あの時見た『少女』が、可憐で儚げだっただけに、目の前にいる、顔は綺麗だがどこか生活感溢れる『少年』との落差が激しかったらしい。
 もっとも、現実感のなかったあの時の姿よりも、今目の前にいる少年に興味を覚えないといえば、嘘になる。
「それにしても、あんなに近くにいたのに、男だってことに気がつかなかったなんてなあ。僕も迂闊だったよ」
「そうですわ。性別を偽って退屈な舞踏会に出席する方がいるなどとは、ついうっかり想像しませんでした。浅はかでしたわね」
 少年は、二人の言葉を聞いて、険しい顔になった。
 ふざけた物言いが気に障ったのかもしれない。
「悪いかよ。別にどんな格好で舞踏会に行こうが、個人の自由だろ」
「悪くはありませんよ。何故とは思いますが」
 思ったままのことを、ラーナは述べる。
 隣でカイルが大きく頷いたのは、彼女と同じ意見だったからだろう。
 そう。
 どんな服を身にまとおうが、どんな化粧をしようが、酔狂なことをしていると見られるだけだ。
 少年の場合、わざわざ『女装』をしたうえに、不可思議な行動をしているのだがら、疑問に思われても仕方がないだろう。
「まさか、仮装が趣味ってわけじゃないよね?」
「その場合は、女装というべきだと思いますが?」
 律儀に訂正するラーナに苦笑してみせると、カイルはいつもの人のよさそうな表情を浮かべ、少年の顔を覗き込むように身を屈めた。
「どっちだって、かまわないよ。要するに、僕が知りたいのは『理由』なんだから」
 理由も無く、普通の少年が、女装などして舞踏会に参加するなどとは思えない。
 もっとも、それが彼の趣味であるというのなら、話は変わってくるのだが。
「なんだよ! 二人でごちゃごちゃと。俺は忙しいんだ。あんたらにつきあっている暇はないんだよ」
 少年はやや逃げ腰である。
「では、用事がすむまで、お待ちましょうか?」
 二人は帰る様子を見せない。
 仮に、今日のところは帰ったとしても、また彼のことを訪ねてくるに違いない。
 ラーナとカイルの、溢れんばかり笑顔がそれを示している。
「わかったよ。話せばいいんだろ。だけど、ここじゃ落ちつかないから。場所を移動させてもらうからな」
 少年は、ふてくされた顔のまま、くるりと背を向ける。
 そのまま、屋敷の中には入らずに、荒れた庭に向かって歩き始めた。


 少年が、二人を案内したのは、庭の片隅に建っている古ぼけた煉瓦作りの建物だった。
 ドアは曲がり、外側の壁は朽ちかけていたが、中はきちんと掃除され、片付いている。
 部屋の片側は木製の棚が並んでいて、そこには硝子で出来た花瓶や小物入れが並んでいた。
 他には、動物や植物をかたどった硝子細工もある。
 まず興味を示したのは、ラーナだ。
「かわいらしいですね。いったい、どなたが?」
 どこかまだ作りは荒いが、丁寧な仕事だと、素人目で見てもラーナにはわかる。
 動物たちの、どこかユーモラスな表情も、口元をほころばせるには十分なものだった。
「俺だよ。奥に工房があるんだ。こういうものでも、金になるからね」
「もしかして、履いていらした靴もあなたが作ったのですか?」
 あんまり実用的じゃないけど、と少年は照れたように笑った。
「俺、こういうことするの、好きなんだよな」
 さっきまでの刺々しい様子とは違って、嬉しそうだ。
「とても素敵ですわ。ね、カイル」
「ああ、器用なんだな」
 褒められたことが嬉しかったのか、少年は先ほどよりも明るい声で、どこか適当なところに座るように勧める。
「ますは、自己紹介からした方がいいのでしょうか」
 ラーナは、無造作に置かれた木箱のひとつに腰を降ろしながら言った。
「私は、ラーナ。ラーナ・ディアル・カトラスと申しますわ」
「僕はカイル。ここでは、ただのカイルということにしておいてほしいな」
 正式な名前は、長くて名乗るのが面倒という思いもあってか、カイルの自己紹介はかなりいい加減だ。
「名前は知っていたよ。二人とも、有名だから」
「悪名でしょうか?」
 ありえる話だ。
 カイルは、元々女嫌いで変わり者だという評判が立っているし、ラーナ自身も、貴族の姫君らしからぬ行動をすること、王子と親しい関係のため、王宮に出入りする一部の人間に煙たがられている。
「そんなじゃないよ。ただ、よく噂を聞くからさ。悪い噂じゃないから、安心しろよ」
 笑いながら言われてしまうあたり、少年のいうことが本当かどうかはわからない。
 ただ、自分たちの正体がわかっているにもかかわらず、カイルや自分に対して、普通に振舞っていることを、ラーナは好意的にとることにした。
「それで、あなたのお名前は?」
「アレク・システィア・ロシュフェル」
「ロシュフェル? ということは」
 それがどういうことか、改めて訪ねなくとも、想像できることだ。
 この地方で、領主と同じ『ロシュフェル』の名前を持つということは、領主の身内以外の何者でもない。
「俺は、ここの館の主の息子だよ」
 そう見えないかもしれないけれど、と呟きながら少年は溜息をついた。


「最初は、イタズラのつもりだったんだ」
 父親が、二人の娘を連れた女性と結婚してから、何かとこき使われているので、常々彼らの鼻を明かしてやろうと考えていたらしい。
 父親は、しくじりかけた事業を、再婚によって得られた援助でかろうじて持ち直したという経緯があるため、新しくやってきた妻と娘たちに頭が上がらない。その上、父親は留守が多いので、息子が姉たちにいいようにもてあそばれているのを知らないのだ。
 そんな中、持ち上がった舞踏会。
 ひょっとすると玉の輿に乗れるかもという淡い期待の元、姉たちは着飾って出かけていった。
 彼も参加したかったのだが、姉たちの妨害にあい断念した。
 ふてくされて家にいたとき、訪ねてきたものがあったという。
 見たことも無い行商人風の女性は、彼が留守番している理由を尋ね、家族にわからずに舞踏会に行く方法を教えてくれたらしい。
「姉たちに見つからないように舞踏会に潜り込むには、女装すればいいっていうんだよ。ただ、俺の招待状は男名前になっていて、ドレス姿じゃ門で不審がられるから、男の姿のまま城の中に入り、中でこっそり着替えたわけ」
 ドレスは、父親が捨てきれずに持っていた彼の母親のものを利用したのだという。
 門番に覚えがなかったわけだ。
 それにしても、王宮の中には、隠れるとことがないこともないとはいえ、よくも、誰にもばれずに、着替えが出来たものだ。
「あいつらの目の前で、王子を誘惑するのもおもしろいかもって思ったんだよ。でも王子は女嫌いだって話だったし、まさか俺に声を掛けるなんて思わなかったから―欲が出た」
「欲?」
「ああ、そうだよ。このまま王子をたぶらかせば、何か弱みを握れるんじゃないかって。 でも、今は反省してるよ」
 ラーナは思わず笑い出した。
 王子もだ。
「わ、笑うんじゃねえよ!」
 顔を真っ赤にさせて怒るところは、まだ子供だなと思いながら、ラーナは、先ほど聞いた話を頭の中で思い返していた。
「その行商人風の女性というのは、その後、お会いになったのですか?」
「それが、それきりなんだよな。元々見かけない顔だったから、ここらを回っている人間とも思えないし。後から考えると変だと思ったから、一応調べてみたけど、見つからなかった」
 少年は悔しそうだ。
「すっきりしないんだよ。何か悪いことに利用されていたらいやだなって。だから、あんたらが来たときは、まずいことが起こったんじゃないかって、心底あせった」
 いろんな意味で不思議だったのだという。
 確かに、自分は今の生活にうんざりしていた。
 姉たちが困る顔を見てみたいと思った。
 だが、それを知っているものは、いないはずだった。
 他人の前では、不満など言うことはない。態度にもなるべく出さないようにしていた。
 家族の仲をぎくしゃくしたものにしたくなかったのだ。
 姉たちは、気が強くて、彼を好きなようにこきつかって、わがままも言い放題だ。
 けれど、だからといって、彼は心底彼女たちが嫌いなわけではない。さっぱりとしていて、意外に潔いところもあるし、彼の知らないことをたくさん知っている彼女たちは、ある意味新鮮な存在だった。
 そんな彼の微妙な感情を、あの行商人は何故知っていたのだろう。
 偶然なのか、それとも。
 何か意図することがあったのか。
「城の中の様子を探ってこいとか、何か特殊なことをしてくれという話でもなかったんだ。ただ、女性の姿だと、誰にもばれないだろうと教えてくれただけで。そのことが返って薄気味悪いだろ?」
「確かにそうですわね。どう思います? カイル」
「調べてみたいとは、思うけど。情報が少なすぎるなあ」
 相手が何をしたかったのか、したいのかが、今の状況では、まったくわからない。
 ただの、親切な女性だとはとても思えないという気持ちだけはあるのだが。
 さて、どうしたものだろう。
 ラーナは、少年の顔を眺めながら、考え込むのだった。

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