硝子の国の物語

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「その女性のことは、なんとか手をつくしてみますわ。気になりますから」
 元からそういうことがラーナは得意ではあるし、カイルに害を加えるような相手が現れたら、容赦などしないつもりだった。
 曖昧なままで放っておくつもりなどない。
 だが、今はそれよりも、この少年だ。 
 彼は頭の回転も速いし、柔軟性もあるようだ。
 性格は少々難があるかもしれないが、このくらいの方が王子に振り回されることなく、相手が出来るかもしれない。
 それに、王子の味方になってくれるものは、一人でも多い方がよい。
「取引しませんか?」
 そう思ったとき、瞬間的に彼女はそう言っていた。
 隣で、王子が驚いている。
「はあ? なんだよ、取引って」
 てっきり処罰されると思っていた少年も、意外な彼女の言葉に戸惑っていた。
「その美少女ぶりを、役立てませんか?」
「言ってる意味、わかんねぇけど」
「つーまーり! 僕の思い人になってくれってことだね」
 王子は、すぐにラーナの意図を悟り、横槍を入れてきた。
 嬉しそうな王子の姿に、彼は思わず後ろに下がろうとした。
 もちろん、すぐに背中は壁に当たり、自分が袋のネズミだと気がついたのだが。
「ほんの2、3年でいいんです。時間稼ぎの間だけ。硝子の靴の美少女を演じてほしいのです。お給金も出しますし、この場所だけで硝子細工するのは、大変でしょう? 承知してくださったら、設備も用意させますわ」
「いや、それは、でも…」
「僕も。こういう相手が宮殿に出入りしてくれたら、楽しいかもね」
 二人に詰め寄られて、少年は冷や汗をかく。
「お、脅すつもりかよ」
「あら?」
 ふいに、ラーナが視線を泳がせた。
 何事かを考えるように、頬に手を当てる。
「そうですわねーその手がありましたね。ついうっかり忘れていました」
 冗談とも本気とも取れる言葉だった。
「わかった。どうせ、ここにいたって、一生姉たちにこきつかわれるだけだし、生活にかわりばえもないしな」
「では、決まりですね。早速、あなたの保護者に話をつけないといけませんね」
 心の底から楽しそうにラーナは言ってのけたのだった。


 それから先の出来事は、少年にとっては、目が回るような出来事ばかりだった。
 どうやったのか、ラーナは彼の父親を丸め込み、騎士見習いということで、彼女の屋敷に出入りすることを承知させたのだ。
 由緒正しい貴族の姫君が、何の目的で少年を預かると言い出したのか、父親は疑うことはなかったのだろうか?
 少年の中に、疑問が芽生えたとしても仕方がないだろう。
 もしかしたら、父親は変な想像をしたのではなかろうか。
 頭を振ると、余計な考えを振り払う。
 確かに、目の前の女性はやることなすこと少年の度肝を抜くことばかりだったが、彼に対して嘘をつくことはなかった。
「なあ、いろいろ質問させてもらっていいか? 聞きそびれたことが、たくさんあるから」
「どうぞ」
「なんで2、3年なんだ?」
 当面は、ラーナの家で一緒に暮らすということに落ちついた少年は、屋敷へ向かう馬車の中で、そう尋ねてきた。
「あら、それが限度でしょう? 今はそんなに細くて華奢だけれど、男の子の成長は早いのですよ? すぐに女の子の格好が似合わなくなります」
 にっこりと笑ったラーナの笑顔に、どう考えても叶わないと思う。
「じゃ、そのあとは? あんたの話だと、時間稼ぎって話だった」
「王子の結婚を、少しでも先延ばしにしたいのですよ。いろいろと事情があるので。それに、あなたがあの姿で王子の周りをうろついてくだされば、例の謎の女性か、もしくはその仲間が何か行動を起こしてくれるかもしれませんし」
「ふーん。それと、確認なんだけど」
「あら?」
 なかなかしっかりしているようである。
 ラーナは心の中で、これは掘り出し物を見つけたのかもしれないと考えていた。
「俺、勉強したいんだ。きちんと武術も習いたいし、出世もしたい。あのまま屋敷にいても、何もできそうにないからな」
「なるほど。出世は努力しだいでしょうが、勉強と武術は必要でしょうね」
「やらせてもらえるか?」
「あなたが、共犯者になってくれるのならば」
 共犯者という言葉に、少年は戸惑ったようだ。
 だが、言葉とは裏腹な、ラーナの何かを含んだような楽しそうな笑顔に、すぐにその顔に、好奇心を溢れさせる。
「なんだよ、それ。おもしろそうなこと?」
「聞いたら、逃げ道はなくなりますよ?」
「いーよ、俺、あんたのこと好きになれそうだし」
 ラーナは微笑みながら、少年の耳元に唇を寄せた。
 短く言葉を囁く。
 ぽかんと口を開けているのを見ただけで、少年がひどく驚いたことがわかる。
「え、えええ? それってマジな話?」
「秘密、ですけれどね」
「だから、先延ばしが必要ってわけか。それにしても、殿下って、そうだったのか。ふーん、苦労するね、あんたも。殿下も」
「あの方は、私の弟みたいなものですから、やはり幸せになって欲しいのです」
「それだけ?」
 もちろんです、と言う。
 けれども。
 すぐにおどけた仕草で肩を竦めてみせる。
「それにね。駆け引きというのは、とてもおもしろいものですから。王子と一緒にいると、いろいろ楽しめるのですよ」
「俺も。スキだよ、駆け引きってやつ」
 それに。
 出会って、ほんの少ししか立っていないというのに、少年はずっと昔から、ラーナのことを知っているような気がした。
「いいよ。オレ、今日からあんたの共犯者になってやるよ」
 だから、素直にそんなことを言えたのかもしれない。
 ラーナの方も、滅多に自分の本心を明かさないというのに、この少年に対しては甘くなってしまう、などということを考えていた。
 もう1人、弟が出来たようなものなのかもしれない。
「それでは、改めてよろしく」
 差し出したラーナの手を、少年はためらいながらも、しっかりと握った。
 明日からはじまる、今までとは違う日常に、密かに期待しながら。

《第一部 完》

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