勇者が村にやってきた

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  3.剣士  

「それ、重くない?」
 そう言って、強引にアサギから水瓶を奪い取ったのは、勇者と共に村を訪れた男だった。
 勇者一行の中では一番地味で普通の顔だったので、印象は薄い。
 名前も実は覚えていない。
 だが、相手は勇者様一行の1人。水瓶を持たせているところを見られれば、例えそれが相手の好意であったとしても、怒られるのはアサギの方だ。
「剣士様、困ります」
 相手の名前を忘れてしまったアサギは、男のことを『剣士様』と呼んでいる。最初に剣士と名乗ったことは覚えていたからだ。
 ちなみに勇者を含め、ご一行様はすべて職業名で呼んでいる。
「これは私の仕事ですから。お客様に持っていただくわけにはいきません」
 アサギにとって、水瓶のひとつくらい、どうということはない。正直、両手に一つづつでも大丈夫だ。収穫期に芋の入った袋を担ぐことに比べたら、全然楽なのだ。
「そう言わないの。こういう時は、ありがとう、だよ」
「ですが」
「それに、俺、今暇だし」
 そう言いながら、男はすでにアサギの数歩前を歩いていた。
 ああ、もうだめだ。
 がっくりと肩を落とすと、アサギは諦めた。
 村長に怒られるのは覚悟するしかない。
 勇者一行が村に来てからすでに3日。アサギは裏方に徹しているので詳しいころは知らないが、勇者たちは何をするでもなく、村をうろうろしたり、村人に話しかけたりしているだけだ。時々、4人のうちの誰かの姿が見えないこともあるが、表だって何かしているふうにも見えなかった。宴でも村中の酒を飲み尽くしたなどということもあり、村長の機嫌は日に日に悪くなっていくばかりなのだ。
 今朝も、勇者たちの機嫌は損ねたくないが、必要以上に村人と関わってほしくない村長に彼らの様子を聞かれたばかりである。
 アサギが何か悪いことをしているのではないが、そんな村長の様子を見るたびに、何故か申し訳なくなってくるのだ。
「これ、どこに運べばいいの?」
 どんよりと暗い空気を纏っていたアサギだが、剣士の明るい声に、顔を上げた。
 適当に、と言いたいところだが、やめておく。
 どうせ、もう誰かに見られているのだ。開き直って、運んでもらえばいい。
「あ、そこの裏口のところにお願いします」
 勇者一行が寝泊まりしている屋敷の裏手を差すと、彼はそこに水瓶を下ろした。
 そのままいなくなるのかと思ったが、彼は動かない。
 彼が動かないから、なんとなくアサギも動けない。
「そういえばさ、この村って、ホントに若い女性は少ないの?」
 この男もか!
 わずかにアサギの手に力が籠もる。それでも平静を保てたのは、心の中で『平常心』と唱え続けているからだろう。
「少ないですよ」
 殆どの娘たちが、隣村に避難していますから、という言葉はもちろん言わない。
「辺境ですからね。若い人間は外へ出て行ってしまいます」
 これは嘘ではない。
 録に仕事がないから、男は皆街へと行ってしまうし、年頃の女性も、結婚相手を求めてやはり出て行ってしまう。
 アサギだって、年老いた両親がいなければ、もっと若いうちに街へと出て行きたかった。それほど美人でも気だてもよくない自分が、少ない村の男達に結婚相手としては見られていないことは知っていたから、外へ出て自力で働きたかったのだ。街には、結婚していない女性もたくさんいると聞いていたし。
 けれども、病気がちだった両親が死に、自由になったときは、街に出るきっかけを失っていた。
「ふうん。大変だな」
「そうでもないですよ。贅沢せずにいれば、生きて行くには困りません」
「でも、高地だから、あまり作物は育たなそうだよね」
 ただふらふらしているだけかと思っていたが、意外によく見ているようだ。やはり腐っても勇者一行ということなのだろう。
「そうですね。芋が採れるくらいです。後は、果物がわずかばかり。山には魔物が住んでいますから、なかなか恩恵にはあずかれないですし」
「そういえば、君はずっと俺たちの世話をしていくれているけれど、家は大丈夫なの? 旦那さんとか、子供に文句言われない?」
「え? 私、独り身なんですけれど」
 子供がいると思われるのはいつのもことなので、普段と同じように訂正はしておく。
 どうせ、次に向けられるのは、同情の混ざった目差し。そう思ったのだが。
「へえ、そうなんだ。ふーん」
 じろじろと体中を見られて、アサギは居心地悪くなる。
「年、幾つだっけ?」
 そこで年を聞くか!?と叫びそうになってしまう。
 しかし、ここで怒ってはだめだ。
 相手はお客様。
「……22歳です」
「22歳? もっと上かと思った」
 がーん、と確かに擬音が聞こえた。
 ついでに頭を殴られたような衝撃に、アサギはよろめいた。
「そ、そうですか。そうですよね。私、老けてますから」
「老けているっていうより、すごく落ち着いているというか、人生を達観してそうとか、そんな感じ?」
 あまり嬉しくない言葉だ。少なくとも、誉められているような気はしない。
 だが、それを口にした剣士は、何故か、ものすごく嬉しそうだった。
「じゃあさ。決まった相手とかいるの?」
 いい加減、そういう微妙な話題に関して聞くのはやめてくれないだろうか。
 それに、どうしてこの男はそれを聞きたがるのか。
「残念ながらいません」
「じゃあ、俺が立候補しようかな」
「はい?」
 いきなり空耳を聞いた気がする。しかも、かなちタチの悪い空耳だ。
「年上っぽい雰囲気の人っていいよね」
 だが、空耳は続く。
「本当はさ。希望は未亡人なんだけど。なかなか思うような相手が見つからなくて」
 頭が男の言っていることを拒否している。
 未亡人? 何故未亡人?
 聞きたいが、聞くべきではない気がする。
「いえ、あの。私、今のところ、誰ともお付き合いする気がありませんから」
 言いながら、ずるずると後ろに下がる。
 わけがわからない人からは、離れた方がいい。
「え、どうして?」
 そう言いながら、男はゆっくりと近づいてくる。
「そもそも、私と剣士様は出会ってまだたったの3日です。それでどうやったら、そういう話になるんですか」
「……一目惚れ?」
 いや、それ疑問系になってますよ!
 本当は違うでしょう! と内心叫びながら、アサギはさらに後ろへと下がった。
「心にもないことを言うのはやめてください」
「あれ? 大抵の女の子はそういうと、喜ぶけど?」
 それは、一目惚れされるような若い女性だからだろう。実際より年齢が上に見られる自分は、『頼りになる』とか『母親を思い出す』と言われたことはあっても、そういう反応をされたことは今までなかった。
「うーん、じゃあ、正直に言うよ。一目惚れしたのはほんと。だって、すごく俺好みの体してるから」
「はあ?」
 顔じゃないのか、と思わず突っ込みを入れそうになる。
「いいよね、その唇も。誘ってるみたいだ」
「誘ってないですってば」
 さらに後ろに下がろうとしたが、それ以上後がなかった。どうやら壁際に追い詰められたようだと気が付いたのは、目の前の男がにやりと笑ったからだ。
「残念、行き止まりだね」
 彼は、アサギを挟み込むように壁に両手をついた。
「もったいないなあ。奇麗な唇なのに。赤い紅塗ってさ、もっと艶出してさ。そうしたら、俺すぐ食べちゃうだろうな」
「た、食べる?」
 間抜けにも聞き返したアサギは、すぐに後悔した。
「そう、こうやってね」
 男はそう告げて、アサギの唇に口付けを落とした。
 
 
「やっぱり、世話役からはずしてください!」
 涙目で訴えるアサギを、村長は哀れむように見つめた。
 せつせつと、文句を並べ立てるアサギにあきれているのかもしれないが、ここは強気にいかなければならない。美人でないだの、年を喰っているだのいわれるのはいい。傷つかないわけではないが、事実だからだ。そうでなければ、神経が持たない。
 だいたい、さっきの口付けはやばかった。
 初めてじゃないが、あんなにくらくらきたことはなかった。
 その気がなかったのに、その気になりそうになってしまった。真っ昼間じゃなかったら、ちょっとまずいことになっていたかもしれない。
「しかしのう。お前がいなくなると仕事をするものがのう」
「最初に言っていたおばさんたちに頼んだらどうですか。それかいっそ男性にでも」
「それも考えたんだが、勇者様のお連れの女性が、その……」
 言いよどんだ村長に、一瞬アサギの顔が赤らむ。
「そういえば、村の独身男性が追いかけ回されていましたね」
 なんとかしてくれと直接村長に掛け合ったという話を聞いたことを思い出し、アサギは溜息をついた。
 よく見れば、ふくよかだった村長の顔も、げっそりやつれている。
「ねえ、村長。いったいいつまで勇者様、いらっしゃるんでしょう?」
 問いかけた言葉に、青い顔をした村長が「うむむ」と唸った。
 そんなのはわしが知りたい。
 村長の目はそう告げていた。

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