『いったいいつまでいらっしゃるんでしょう？』
そう村長に問いかけた言葉は、アサギの頭の中にずっと残っていた。
勇者があちこち旅をしているのは、２年前の魔王との戦いのあと、人に害をなす魔物を退治してまわってっているからだと聞いている。
だから、普通に考えれば、今回も魔物退治のはずだ。だが、アサギが物心ついてから、魔物がこの辺で暴れたという話はない。
勇者たちは北の山のことを言っていたから、そこに何かあるのかもしれないが、村長も今回の村滞在についての詳しい話は聞いていないという。
そもそも、一般の兵士や魔法使いたちが倒せないほどの魔物が北の山にいるのならば、当然そういう噂が出てくるだろうが、それもない。
まさか勇者が何の目的もなくやってくるとは思えないが、彼らの今の態度を見ていると、それも疑いたくなってくるのだ。昨日の剣士のこともある。恐らくあれはアサギをからかったのだと思うが、同じことをされて、もう一度逃げ切る自信はない。
剣士とはあまり関わりたくないが、勇者たちの目的はやはり気になった。
機会があれば、さりげなく聞いてみようか。素直に教えてくれるとは思えないが、聞かないでもやもやしているよりはましだ。
そう固く決心して、アサギは朝食の準備に取りかかった。
「おはよう、アサギ。今日も早いな」
台所を覗き込みながら声をかけてきたのは、爽やかな笑顔を浮かべた勇者だ。
「あ、おはようございます、勇者様」
アサギの朝も早いが勇者の朝も同じように早い。どんなに夜が遅くても、一番に起きてくるのはいつも勇者だった。
「なあ、アサギ。昨日からうちの大馬鹿が上機嫌なんだが、何か知らないか？」
「大馬鹿……ああ、剣士様のことですか？」
勇者が、剣士のことを馬鹿だとアホだの言っているのは、ここ数日で何度も見た光景だ。
おそらく、今彼が言っている相手も間違いなく剣士のことだろう。案の定、アサギの言葉に、勇者は大きく頷いた。
「そうそう。おっかしいよなあ。この村にはあいつ好みの未亡人はいないのに、浮かれまくっている」
「え、あ、そ、そうなんですか」
浮かれまくっているという言葉に、何故か昨日の口付けを思い出し、動揺してしまう。
そんなアサギの様子を勇者は不思議そうに眺めていたが、ふいに何かを思いついたように首を傾げた。
「ん？ ちょっと待てよ。アサギ、あんた未亡人だったっけ？」
「違いますよ！」
「だよな。でも、確かに――」
そう言いながら、勇者は遠慮無い視線でアサギのことを頭から足の先まで眺め回した。
「アサギって、馬鹿好み、だよな」
「ど、どこかですか」
「体」
がしゃーん、と派手な音がして、アサギの手から鍋が落ちた。中身が入っていなかったのが幸いだった。
「ど、どどどうして、そんなことわかるんですか！ 服着てるんですよ！ 見えるわけないでしょう」
「いや、そうなんだが。俺もあいつも、結構そういうの得意だし。はずしたことは一度もない」
なんだ、その変な特技は！
抗議しようとしたアサギは、目の前の勇者がなんともいえない目差しでこちらを見ているのに気が付いた。
「勇者様、どうしてそんな同情の目差しを私に向けるんですか」
「いや。その。ご愁傷様」
「どういう意味ですか」
「俺には馬鹿を止められない」
「止めてください、勇者様は仲間でしょう」
いやいやいや、と勇者は首を振る。
「そんな面倒なこと、俺はしたくないし。あいつ怒るとおっかないから」
それだけの理由で野放しだなど、絶対に間違っている。
そう訴えたが、勇者はへらへら笑うだけだった。
「飽きっぽい奴だから、頑張って逃げ切ってくれ」
勇者の意見は参考になりそうになかった。というよりも、ほとんど役に立たない。
「いいです、どうせ、勇者様達はずっといるわけではないですから、根性で逃げ切ってみせます」
そうだ。彼らはずっといるわけではない。
昼間は屋敷内にいないし、剣士と顔を合わせることも少ない。こちらが意識して二人きりにならないようにすれば、逃げ切れるはずだ。
後は、彼らがどのくらいここにいるのかということだが。
「勇者様。ひとつだけ聞きたいことがあるんですが、よろしいですか」
「うん？ 女性の好みとかだったら、残念ながら……」
「それは興味ありません」
そんなことは聞かなくても、村の人達の話から、だいたいわかっている。アサギとは正反対の女性だ。背が高くてちょっと清楚な感じの美人――そういうのがいないのを残念がっていたと、おばさんたちも言っていた。
「女性の好みじゃないとすると、なんだろう？」
勇者は本気で悩んでいる。質問と言われてどうしてそう思うんだと言いたくなったが、ここは無難にさっさと話を逸らした方がいいだろう。
「勇者様たちは、魔物退治にいらしたんですよね？」
やや強引ではあったが、聞きたいことを口にする。
「ん？ ああ、まあ、そうだな」
ところが、その質問に対して、何故か勇者は歯切れが悪かった。
心持ち、アサギから目を逸らしている。
「……違うんですか？」
まさかやっぱり美女捜し！？と一瞬、とんでもないことを考えてしまったアサギである。
「大まかには合ってるんだけど、微妙に違うんだよな。……あ、そうだ。この村ってよく魔物が出てくる？」
「いえ、森に入らなければ、襲われませんよ。昔はそういうこともあったみたいですが、今は聞かないです」
「そうか」
そういうと、勇者は珍しく難しい顔をして考え込んでしまった。
「やはり、な？」
呟くような言葉に、アサギの方が首を傾げる。今の勇者は、これまで見た彼の姿とは違っていた。
「あの、勇者様？」
「……そういえば、アサギって、最初会った時よりも、色っぽくなったな」
「はい？」
「馬鹿が余計なことをしたせいか」
溜息は深く、眉間によった皺は深い。
「勇者様？」
黙り込んだ彼に不安を覚えて、アサギは再度呼びかける。
さきほどから、勇者はアサギの疑問にはまったく答えてくれていない。それどころか、反対に不思議な質問ばかり投げかけてくる。
「え、ああ。悪い。ちょっと考え事してた。……そうだな、何も言わないのも不安か」
小さく溜息をついた勇者がアサギの顔を覗き込んだ。
「俺たちの目的は魔物退治だ。それは間違いない。詳しく言えないことが多いけど、ちょっと探してる魔物がいるんだ」
「もしかして、北の山を調べていたのは、そのためなんですか？」
「ああ。そこに逃げ込んだって話だったんだが……」
勇者の口ぶりからすると、うまく見つけることが出来ていないのだろう。
「山にあれだけ魔物がいるのに、この村が無事ってのも気になるんだよな。……一応、村長にも注意するけど、あんたも何か妙なことがあったら、すぐに教えてくれ」
「は、はい」
思いがけない言葉に、アサギは緊張した面持ちで頷いた。
勇者だって、遊びでここに来ているのではないのだ。いろいろあれなことやこれなこともあるが、真面目な面もあるのだ。
そう、素直にアサギは思った。
だが。
「でも、やっぱり、美人が応援してくれないと、やる気半減だなあ」
などと言ったものだから、せっかく見直し掛かけた勇者の好感度は一気に落ちた。