勇者が村にやってきた

戻る | 進む | 目次

  5.結界  

 勇者と話をしてから、さらに3日ほど過ぎた。
 異変があるわけでもなく、勇者一行の態度も変わらない。
 相変わらずふらふらしていて、時々4人のうちの誰かの姿が見えなくなる。
 ここにきて、アサギにも、いない誰かが村の外へ出て何かをしているのだとわかってきた。いつも屋敷で彼らの世話をしているからこそ気が付いたことだ。
 何故なら、その『誰か』は戻ってくるといつも血の臭いをさせているのだ。
 それは、彼ら自身のものであったり、それ以外の何かであったり。
 時には、体に気味の悪い何かどろどろとした液体がついていることもあった。魔物と戦っているのか、勇者が言ったように何かを探しているのか、それはわからない。
 ただ、彼らが何か目的があってここにいるのだということだけは理解できた。
 今日いなかったのは剣士。
 彼がいないだけで、妙に静かだ。それだけ彼がアサギの前へ頻繁に現れて、ちょっかいを出していたということなのかもしれない。
 誰もアサギの邪魔をしないから、最初は今日は仕事が早く済むなと思っていたが、剣士は夜遅くなっても帰ってこなかった。
 こんなことは初めてである。
 今までは、いなくなった『誰か』は夕ご飯の前には屋敷内に戻ってきた。
 何事もなかったかのように着替えて、ご飯を食べて、アサギや他の仲間と他愛ない話をする。だから、アサギも彼らが何をしているのか、知らないふりをしていたのだ。
 なのに、今日に限って、帰りが遅い。
 別に心配しているわけではない。そう思いながらも、つい入り口を見てしまう。
 しかし、どれだけ待っても、剣士が戻ることはなく、結局、彼が帰ってこないまま夕食は終わってしまった。
 いつもなら、夕食の片付けと風呂の準備をしてしまうと、もう何も用事はないことを確かめてから自分の家へ帰るのだが、なんとなく落ち着かない。
 しばらく明日の準備などをしていたが、とうとうすることがなくなってしまった。
 明日も朝早いのだ。そろそろ帰るべきだ。
 そうは思うのに、足が動かない。
 しかし、ここにいるわけにもいかない。そちらの方が不自然だ。
 アサギは溜息をひとつつくと、帰る支度を始めた。
 明日。
 もし、明日になっても帰ってこなかったら、勇者に聞いてみよう。
 仲間なのだ。彼らだって、心配して探すはずだ。
 明日は少し早く来ようなどと考えていた時だった――裏口の扉が開いたのは。


「……剣士様?」
 開いた扉の向こう側に立っていたのは、剣士だった。
 彼はアサギの姿を見つけると、驚いた顔をする。
「アサギ? なんでまだここにいるの?」
「だって、その。剣士様、お帰りが遅かったので」
「だからって、こんな遅くまでいることないでしょ。これから家に帰るまでに何かあったらどうするの」
「何かあったのは、剣士様の方じゃないですか。……血がついてます」
 剣士は薄汚れていたうえに、あちこちに血がこびりついていた。顔色も悪い。
「大丈夫ですか? 賢者様を呼んできましょうか?」
 賢者は確か癒しの魔法を使えたはずだ。実際にこの目で見たから間違いない。
「大丈夫。このくらいどうってことないって。かすり傷」
「でも……」
 確かに大した傷ではないのかもしれないが、そんな顔色で、平気なはずがない。
「あー、もう。ここ最近あれだけ俺から逃げまわってたくせに、どうしてこういう嬉しいこと言うかなー」
「嬉しい事!? いつ私そんなこと言いました?」
 言っていない。絶対言っていない。
「だって、帰りが遅かったって言ってくれたでしょ」
「それは。その通りだったからです」
 事実を述べただけなのに、喜ばれる理由がわからない。
「俺のことどうでもよかったら、帰りが遅いかどうかなんて、気にしないはずだよね」
「……食事がもったいないですから。それに食器が片付かないし」
 台所に置かれた、剣士用に取り置かれた夕飯をちらりと眺める。
「体のことまで、心配してくれた」
「村長から、あなたたちの世話を頼まれてますから」
 当然のことを言っただけだ。剣士のことをどう思っていたにせよ、今の自分は彼らの世話が仕事なのだ。日当だってちゃんともらっている。
「アサギ」
 伸びてきた手が、アサギの体を引き寄せる。
 ふいうちだったから、逃げ損ねた。
「んー、やっぱイイ体だよね。抱き心地最高」
 そんなこと言うから、剣士は自分をからかっているのだと思うのだ。わかっているのだろうか、この剣士様は。
「しばらく、こうしてて。……ちょっとだけ疲れた」
 それでも、あんまり剣士が辛そうな声で言うものだから。
 ついつい彼の抱擁を受け入れてしまった。


「で、この馬鹿は、見栄を張って痛いのを我慢したあげく、ぶっ倒れた、と」
 身も蓋もない言葉を横になっている剣士に投げかけたのは、勇者だった。
「す、すみません勇者様。もっと早く私が賢者様を呼んでいれば」
 あの後、剣士はアサギを巻き込んひっくり返ったのだ。
 そうしながらもアサギから手を離さなかった執念深さに、駆け付けた賢者も勇者も呆れかえっていた。
「アサギは悪くない。悪いのはこの馬鹿だ」
 いいながら、勇者は剣士の頭を叩いた。意識がないはずだが、剣士の顔が歪む。いい音がしたから、かなり痛かったのかもしれない。それで起きないというのもすごいが。
「勇者様って、剣士様に関しては容赦ないですね」
 最初から、互いに遠慮がないように見えた。見た感じ歳も近いようだし、よく二人は一緒にいる。
「この二人、幼馴染みって奴だからねー」
 笑いながら、魔法使いが言った。
「幼馴染み!? なるほど、なんだか納得できます」
 アサギがそう言うと、勇者は不機嫌な顔になった。
「同列にされてるようで、ものすごくむかつく」
「とても仲良しに見えますよ」
 たたみかけるように言うと、賢者が珍しくお腹を押さえて笑いだした。
「まったく、調子くるうな。アサギは本当に変な女だ」
 勇者にそういうことを言われると、釈然としない。思ったことを言っただけなのに。
「とにかく、だ。アサギ。本当に申し訳ないけど、こいつについててやってくれ」
 断るもなにも、今だ剣士はアサギの手を掴んだままだ。
 眠っているはずなのに、離す気配もない。
「仕方ないです。こういう状態ですし」
 溜息とともにそう言うと、勇者はアサギの頭をぽんと叩いた。
 まるで親しい相手にそうするように。


 アサギが気が付くと、朝になっていた。
 いつのまにか眠ってしまっていたらしい。部屋の中には誰もおらず、アサギの体には掛布がかけられている。
「朝ごはん……作らないと」
 半分寝ぼけた頭で、まずそのことを考える。
 すでに夜が明けて随分立つようだ。
 勇者たちもお腹を空かせているだろう。
 剣士のことも気になる。ここにいないということは、怪我も疲労も思ったほどひどくはなかったのかもしれない。
 起き上がり、掛布を丁寧にたたむと、アサギは自分の右手を見た。
 少し赤くなっているのは、強く握られていたせいだ。
 あんな状態になってまで離さないなど、剣士はどうかしている。体が好みなだけの、村娘ではないか。なぜあんなふうに必死になるのかわからない。それとも、あまりにも村に女性が少ないから、手近なアサギをからかって遊んでいるだけなのだろうか。
 わからなかった。
 アサギの周りには、今までああいう人間はいなかったのだ。
 村の男たちは、どちらかといえば、真面目で働き者である。偶にろくでもない性格のものもいるが、そういう人間は何もないこの村では生きていけない。作物も世話をかけなければ育たず、何か産業があるわけではないのだ。働かざるもの喰うべからず、である。
 そのせいなのか、結婚も恋愛も、村の中か、近くの同じような村の中でしか相手がいない。
 真面目で働き者が男女ともに好まれる。それで容姿や性格がよければさらによい。
 元々の村人の性質もあるのだろう。
 殆どの人間が穏やかで、争いを好まない。暇だからといって、異性を口説いてまわったりもしない。
 もちろん、最近では道も整備され、昔ほど閉鎖的ではなくなったから、いろんな人間が出入りするようになった。
 街への移動時間も短くなり、若い者たちが出稼ぎに行くのも容易くなり、無理をしなければ生活も少しは楽になったのだ。
 それでも、この村の人間の性質がいきなり変わるということはない。
 だからこそ、印象が強い勇者たち一行に、皆戸惑っているのだ。
 村長など、どうやったら村人と勇者たちの過度な接触を減らせるかと頭を抱えているくらいなのだから。
 アサギもそうだ。
 必要以上に接してくる剣士にどうすればいいのか戸惑っている。
 アサギとて、男性と付き合いがまったくなかったわけではない。
 若い頃は、それなりの相手も好きな人もいた。
 頼りにしていた兄が魔王復活の混乱で戦にかり出され死んでしまい、病弱な両親の面倒を見ることにならなければ、もしかすると結婚していたかもしれない。
 その人も真面目な人だったし、初恋の相手も、好きになった相手も皆そうだった。
 剣士のように堂々と追いかけ回したり『体が好き』などと言う人など、本当に初めてなのだ。口付けだって、いきなりはありえない。
 なのに、どうして心の底から拒否できないんだろう。
 彼が恋愛対象として好きだということはないはずだ。まだ彼のことはよくわからない。そもそも剣士はこの村の人間ではない。いずれはいなくなる人。
 本気ではないだろうし、本気になっても別れは必然だ。
 一時のことだと、適当にあしらうしかないのだ。
「とりあえず、朝ご飯」
 もやもやする胸の内を押し込めると、アサギは気持ちを切り替えた。
 これ以上、近づいてはいけない。
 ただそれだけはわかっている。


 朝ご飯の用意を済ませ、彼らに知らせようと廊下を歩いていたときだった。
「あー。やっぱり、この村には結界があるよ」
 剣士の声に、アサギは足を止めた。
 声はいつものように調子よく滑らかだ。ほっとする反面、『結界』という聞き慣れない言葉に首を傾げる。
「それも、かなり古い結界。どこから貼られているかはわかったけれど、詳しいことは俺よりも専門家が見たほうがいいと思う」
「村の人間は気が付いてないのか?」
「随分昔の結界のようだった。そこへ行く道ももうなかったし、人が手入れしている感じでもなかったから、そうなんじゃないか」
 とても重大なことを話しているはずなのに、聞こえてくる声はのんびりしている。
 まるで世間話でもしているようだ。
 だが、胸がひどく騒いでいる。これは、普通の話ではない。アサギなどが聞いていい話ではない。
 それなのに、アサギの足は動かない。否、動けないと言った方がいいのか。
「待って、誰かいる」
 剣士の声に、アサギは身を竦めた。彼らは今までたくさんの魔物と戦ってきたのだ。アサギの気配に気が付かないはずがない。
「アサギ? ああ、もう朝ご飯の時間だ」
 廊下に立ち尽くすアサギを見つけた勇者が、ちらりと窓の外を見て、溜息をついた。
 賢者も魔法使いも難しい顔をしている。そんな中、剣士だけがいつもと同じだった。
 アサギの処までやってくると、彼女の顔を覗き込む。
「今の聞いてた?」
「ごめんなさい」
 小さくなるアサギに向かって、彼は笑顔を浮かべる。
「別に謝ることないよ。特に隠してるわけじゃないしね」
「でも」
 盗み聞きは悪かったと思う。いくらなんでも、お客様に対して失礼な行為だ。
 それでも、聞かずにいられなかったのは――ここが自分の住む村だからだ。
「この村に結界があるって、どういう意味なんですか?」
 剣士が一瞬表情を無くす。わずかに逸らされた視線は真剣で、初めて見るものだった。
「うーん、聞きたい?」
「あまり知りたくないような。なんだか録でもないことのような気がするから。でも、聞かないとも後悔しそうです」
「正直だね」
 本音を素直に言ったのは、他に言いようがなかったからだ。アサギはあまり駆け引きは得意ではない。どうせうまくいかないならば、直球でいったほうがましだろう。相手がどう取るかは別として。
「話してもいいけど」
 そう言いながら、剣士は勇者の方を振り返った。 
「約束を守ってくれるなら、俺は話してもいいと思う。アサギはちょっと俺たちに関わりすぎた」
 お前のせいだぞ、と勇者が剣士をこづく。
「え、俺のせいなの?」
「当然だ。アサギに何かあったら、お前どう責任とるんだ?」
 またわからない話だった。
 結界と、責任と、どういう関係があるのだろう。だが、勇者はそれ以上そのことについては触れなかった。
「アサギ。俺たちからの約束はふたつだ」
「はい」
「ひとつは、これから話すことは、他の人間には伝えないこと。もうひとつは」
 勇者は今一度剣士の方を見てから、アサギに真剣な目を向けた。
「村の外には出るな。出るなら、俺たちの誰かを連れていけ」
「どういうことですか? 最初の約束はわかります。だけど、二つめの約束は意味がわからないです」
「アサギ、この村は特殊なんだ」
 静かな声で、勇者はそう言った。

戻る | 進む | 目次
Copyright (c) 2011 Ayumi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-