勇者が村にやってきた

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  6.禁断の果実  

 勇者は、この村は特殊だと言う。
 だが、ここは、どこにでもある普通の村だ。特別な何かがあるわけでもないし、価値あるものが生産されているわけでもない。
 むしろ、他の土地に比べて痩せている所なのだ。冬の寒さも厳しい。
 住んでいるアサギから見ても、ごく普通の村だというのに、何が特殊なのか。
 息を詰めるようにして、アサギは勇者の言葉の続きを待った。


 遠い昔のお伽噺だと、勇者は言った。
 むかしむかし、とある大陸にその一族は住んでいたのだという。
 人でありながら同時に精霊に近い人々。日々祈りを捧げ精霊と関わりを持った人々。
「彼らは精霊にも好かれるが、同時に魔物を惹きつける。……ある一定の年齢に達した者は、まるで熟れた果実のように魔物にとっては美味なものらしい」
 果物に例えられることが、不吉に思えた。果物とはただ鑑賞されるだけのものではない。そんなものと同列にされ、しかも美味などと言われれば、おのずと答えは見えてくる。
「それは食べるということなんですか?」
 なるべく平静に聞いたつもりだったが、声は掠れていたかもしれない。
「いや。実際食べるわけじゃない。その精神や精気、あるいは体液や血を欲しがる。その全てが力になるから、彼らはそう言う人間を殺さない。ただ、側に置き、死ぬまでむさぼり続ける」
 淡々という勇者の声が、ひどく遠く聞こえた。
 勇者の言葉は、非現実的で、それなのに、アサギの中でゆっくりと意味をなしていく。
「アサギ、大丈夫?」
 いつのまにか、剣士の手が、しっかりとアサギの手を握っていた。
「気持ち悪いなら、無理しなくていいよ」
「大丈夫です」
「でも、顔色が悪いし、震えてる。聞きたくないなら、その方がいい」
 確かに何も聞かないというのも選択肢のひとつだ。
 だが、こんな中途半端な状態でいる方が怖い。
「いえ。最後まで教えてください」
 そう言うと、剣士の手に力が籠もった。強く、強く、握り締めてくる。その痛みが、遠のきそうなアサギの意識をつなぎ止めてくれるようだった。
「彼らは安住の地を求めて彷徨った。そして、最終的には、ここに結界を貼って村をつくった。……神殿に伝わる話だよ」
「少し前までは、私たちも伝説だと思っていました。そう――私たちが探している魔物が北の山に逃げ込まなければ」
 北の山や辺りを探しても思うように手掛かりが得られなかった彼らは、山から一番近い村に滞在して、じっくり魔物を捜すつもりだったという。
 だが、勇者たちはこの村に入ったとき、違和感を覚えたらしい。
 村全体を覆う、わずかな魔力。まるで村を守るように貼られたそれに、村の人間は気づく様子もない。
 それ以外にも、この村は妙だった。あれだけたくさんの魔物が住む山が近くにありながら、何故この村の人間は危機感がないのか。
 誰に聞いても、『森や山に近づかなければ大丈夫』と答える。
 もしかすると、この村を覆う魔力のせいなのかと思い、村長に聞いても、村に残る文書を調べても、それが何かわからない。
 その時、賢者がその『伝説』を思い出したのだそうだ。
 かつて魔物から逃れるために村に結界を張り、ひっそりと暮らすことを望んだ一族のことを。
「そう考えると、微弱でわかりにくいですが、この魔力は結界なのではないかと。私も直接見ていないのではっきりと言えませんが、神殿に残る記録によれば、結界は村を守るだけでなく、村人が熟れすぎないように、押さえる役割があるのだと伝えています」
 だから、目的の魔物を捜す傍ら、手分けして、情報収集をしていたのだという。
「北の山へ逃げ込んだ魔物は、おそらくこの村のことを知っている。魔物は長生きだし、結界が弱まっていることにも気が付いているのかもしれない。で、自分の力を取り戻すために、熟れた人間が現れるのを待っている可能性がある」
「でも、勇者様。結界があるんでしょう? 不用意に森へ近づかなければ、大丈夫なのでは?」
 結界が村人を守っているならば、問題ないような気がする。
 だが、目の前で暗い顔をする勇者たちを見ていると、事はそう簡単ではないのかもしれない。
「今、その結界は弱まっているのですよ。遠くない先に、結界は壊れてしまう。出来れば張り直したいと思い、結界がどこから貼られているか、調べていたわけです」
 結界が壊れる。
 つまり、村を守るものがなにもなくなってしまうということだ。
「それは、いずれ熟した状態の人間が出てくるかもしれないってことですか?」
「よそからの血もかなり入っているから、随分血は薄まっているはずなんだ。だから、全員に可能性があるわけじゃない。ここにいるほんの数人がそうなるかもしれないって話だ」
「つまり、私にも可能性があるってことなんですね?」
「……否定はできない。いやむしろ、ある程度の覚悟が必要かもしれない」
 勇者の陰りを帯びた目差しは、アサギに向けられている。
「どういう意味ですか?」
「言っただろう? アサギは俺たちに関わりすぎた。俺たちはちょっと特殊だから。側にいたことで、それでなくとも微弱な結界の魔力を遮ってる可能性があるんだよな」
 どういうことなのかと思ったが、勇者は特殊だという事情については教えてくれる気はないようだった。
「まあ、そうは言ってもアサギだって、その一族以外の血が混じってるから、大丈夫だとは思う。ただ、可能性が消せない以上、気をつけて欲しいんだ」
 この言葉は本当だろうか。
 まだ何か勇者達は隠しているのではないだろうか。
 彼らは確かにふざけた部分も多いが、それでも馬鹿ではないと思っている。ただの村人である自分に話せることと話せないことの区別はちゃんとしているはずだ。
 信じたいとは思う。彼らはアサギの質問に、誠意を持って答えてくれた。誤魔化すことだって出来たはずだし、アサギも彼らがどうしても話したくないといえば、それ以上追求はしなかった。不安は残るが、彼らにも事情があることはわかるのだ。
 元々、ここまで彼らと関わるつもりはなかったのだから。
 ただ、勇者たちが過剰なまでアサギを心配することが気になる。関わりすぎたというだけではない何かがあるのではと思ってしまうのだ。
 もしかすると、嫌な可能性――アサギ自身の体に変化があって、『熟れ』つつあるという可能性があるのではないか。
「私にも何か手伝えませんか?」
 試しにそう聞いてみた。自分に何かあるのならば、反応があるのではないか。
 そう考えたことと、何もしていないと余計なことを考えてしまいそうでもあったからだ。
「だめ」
 即答したのは、勇者ではなく剣士だった。
「そんな危ないこと、アサギにさせられないよ」
「手伝うと危ないんですか?」
「……たぶん」
 曖昧な言い方に、ついムキになってしまう。
「でも、私の村です。何もしないでいるなんて、嫌です」
「それでも、駄目。アサギは、剣も録に使えないでしょ」
「だから、戦う以外で何かないですかって聞いているんです」
 そこまで言っても剣士は頷かない。
 お互い譲らない様子に、折れたのは勇者だった。 
「まったく。アサギは頑固だな」
 勇者が溜息をつく。
「いいじゃないの、もうここまで関わったんだから」
 魔法使いの言葉に、全員が振り返った。
「私、このままアサギを茅の外にしたら、一人で無茶するって方に掛けてもイイ」
「え、しませんよ」
「するわよ、絶対にそう。あんた私の妹に似てるもの」
 自身たっぷりに言うと、魔法使いは握っていた剣士の手からアサギを強引に引きはがすと、彼女のことを力一杯抱きしめた。
「あんたの言いたいこと、わかってる。不安なんだよね。自分の身体のこととか。だから、何かしてないと落ち着かないんだ」
 女性にしてはありえないくらい大きい胸に顔が埋まる形になって、柔らかさと息苦しさと恥ずかしさで顔が真っ赤になる。
 それでも、優しく回された腕に、アサギの強張っていた体から力が抜けた。
 両親や兄がしてくれた時感じたような暖かい感触に、涙が出そうになる。それを見られないように俯くと、さらにぎゅっと抱きしめられる。
 ようやく胸から解放された時には、少し頭がくらくらしていた。
「とりあえず、あんたはしばらく私たちと一緒に行動しなさい。どうせ私達の世話してるんだから、ここで寝泊まりしてもいいでしょ」
 宣言するように言うと、魔法使いは残り3人の男達の顔を睨み付けた。
「だいたい、この屋敷には華がないわ! 見目麗しい男性も少ないし、目の保養にもなる女性はいないし! いつも同じ顔じゃ、あきてくるのよ!」
「は、はあ」
「だったら、手近にこんな面白い子がいるんだもの。相手してほしいって思うのは当然でしょう。側にいた方が守りやすいんだしね」
 面白いと言われてしまった。
 歳より上に見えるとか、大人しいとか、いるんだかいないんだかわからないという言葉はよく聞くが、こんな反応は初めてだ。
 だが、力説する魔法使いは真剣で、嘘や偽りは感じられなかった。
 アサギを守るというよりも前に、楽しい話相手が欲しいと言い出すなんて、普通の感覚ではありえない。
 もしかすると、彼女なりに、アサギを気遣ってくれているのだろうか。
「ありがとうございます」
「え、どうして?」
「なんだか気が抜けて、気持ちも落ち着きました」
 事実だった。
 魔法使いのあまりにも脳天気な雰囲気は、場を和ませるよりも気が抜ける。
 改めて見ると、この美女はここにいる男達よりも背が高く存在感がある。『私に任せて!』と言われたら、素直に頷けてしまうほど、見た目も頼もしい。
「それに、魔法使い様に守ってもらえば、大丈夫な気がします」
「え、俺じゃなくて?」
 なんとも情けない剣士の声に、アサギは今度こそ本物の笑みを浮かべた。

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