庭園から出ようとしたところで、シャルギルと出くわした。
例の税関の件もあるから、今日はもうここには来ないかと思っていたんだけれど。
「その仕事を受けるつもりか?」
私が持つ許可証を見て、彼は言った。
そういうときの彼は、この星の最高責任者であり、すべてのハンターを統括する立場にある者の顔をする。
「悠基と組むことになったよ」
「そうか。あれから、また一人犠牲になった。必要な時以外は、外には出ないよう通告を出しているが、ドーム内に引きこもってばかりいるわけにもいかないからね」
「任せて。悠基もいるし、さっさと片付けてくるから」
「ああ。待ちなさい、ハル」
出て行こうとした私を、シャルが引き留める。
振り返ると、そこには先ほどとは違う優しい目をしたシャルの顔があった。両腕を私の背中に回すと、ぎゅっと抱きしめられる。
「気をつけていっておいで」
彼の口調は、いつもの過保護なシャルギルとおんなじだ。
「大丈夫、心配しないで」
どんな言葉を口にしたとしても、きっと心配するだろうけれど、私はそう言った。
大丈夫。
だって、昔約束したから。
シャルギルのいないところで、死んだりしないと。
その約束だけは絶対守るって、2年前に誓ったのだから。
実は、私は一度、死にかけたことがあるのだ。
この星―――ここ、スレイヴ・アグゥダには奇妙な風土病が存在する。
医者たちは、一種のウイルスが原因ではないかと言っているけれど、実際は何もわかっていない不思議な病気だ。
滅多に感染者はでないけれど、一度感染すると、大多数のものが助からない。
何日も苦しんで、助かったとしても、その体は今までとは違うものに変わっている。
意志の力だけで、異形のものへと変化する不思議な体を持つようになってしまうのだ。
誰もが、それまで培ってきた全ての常識がひっくり返される感覚に、最初は戸惑うらしい。私もそうだったし、他の住民も同じことを言っていた。
変化してしまった体は元に戻ることはなく、殆どの者が、感染後はこの星で生活している。感染者に対しては、すぐに市民権が与えられるし、最低限の保証は得られるからかもしれない。
感染者は大抵成人したものばかりだ。惑星自体が娯楽施設で成り立っているし、非合法すれすれの施設で遊ぼうと思うのは、それなりの年齢になってからというのもあると思う。もちろん、子供が遊べる施設がないわけじゃないけれど、数は少ない。
そんな中で、未成年である私の存在は珍しい。周りを見回しても、歳が近い者は数えるほどだ。
感染した状況も特殊だった。実は、私は、子供―――というより、母親のお腹の中にいる時に感染してしまったのだ。
詳しいことはわからないから母や父を知る人の話をつなぎ合わせての憶測でしかないのだけれど、両親は、ここへ旅行に来ていて、この病気にかかったらしい。父はそのせいで命を落としたが、母は助かった。
その時お腹の中にいた私は、ごく普通の健康な赤ん坊として生まれたから、母は安心していたのだと思う。そうでなければ、私を連れて地球には行かなかっただろう。母は死ぬまで自分の身体のことは私には告げなかったし、目の前で姿を変えたこともなかったのだから。
けれど、私は感染していなかったわけではなかった。病気は、私の体の中で息を潜めていただけだったのだ。
もしかしたら、地球にずっといれば、大丈夫だったのかもしれない。
あの日、シャルギルを追いかけるために家を飛び出した義兄を探しにいかなければ、一生何も知らずに過ごせていたかもしれない。
あるいは発病したあと、あっさりと死んでしまった可能性だってある。
だけど、すべてが予定されていたかのように、スレイヴ・アグゥダに向かう宇宙船の中で、私は発病した。
その時の記憶は曖昧だ。
苦しかったことだけは覚えている。体中が痛くて薬も効かなくて永遠にこの痛みが続くんじゃないかとさえ思った。
ようやく熱が引いて目が覚めた時、そこにいたのは、義兄でも医者でもなくシャルギルで、淡い緑の瞳が私の顔を覗き込んでいたのを鮮明に覚えている。
そして、生きのびてくれてよかったと、憔悴しきった顔で言われた。
苦しい時、ずっと側で誰かが自分の手を握っていてくれたような記憶があって、それはシャルギルじゃなかったかとずっと思っているのだけれど。聞いても彼は何もいってくれないので、今もって真相はわからない。
その時は、何故シャルギルがいるのかと不思議に思った。
てっきり私のことを嫌っているとばかり思っていたからだ。
いつだって、義兄と彼が一緒にいるのを邪魔ばかりしていたし、口を開けば文句ばかり言っていた。
けれども、思い返してみると、彼が私に対して本気で怒ったことは一度もなかった。適当にあしらわれていると感じたことは幾らもあったけれど、あからさまにひどい態度は取られたことはない。
その時、初めて気がついたのだ。
シャルギルはそれほど私のことが嫌いじゃないのかもしれないって。
どうしてなのかはわからないけれど、最初からずっと、彼は私のことを気にかけてくれていたのだと。
恐らく、彼は全てを知っていたのだ。母のことも、生まれた子供のことも。
地球に来たのだって、もしかしたら、私を見に来たのかもしれない。今ならわかるけれど、彼は例えどんなに親しい人に招かれても、スレイヴ・アグゥダを離れることはないのだ。
もし例外があるとすれば、同胞が絡んだ時だけで、同胞を何よりも大切にする彼だから、私の行く末も気にしていてくれたのだろう。
結局、この後、私たちは、急速に親しくなった。
義兄よりも、ずっとだ。
義兄は、地球に帰っていったけれど、私は、スレイヴ・アグゥダに住み着いてしまうことになった。
正確にいうと、シャルギルの所に転がり込んだわけだけれど、その時、彼が条件をひとつだけ出したのだ。
自分と共にいたいのならば、決して自分がいない場所で死なないで欲しいと。
彼が、何故そんなことを言い出したのか私にはわからないし、聞こうとも思わない。
ただ、彼が大切だと思う者にひどく固執することや、失うことを恐れるのに気がついていたから、素直に頷いてしまった。
私自身も、その頃にはシャルギルのことが好きになっていたからというのも、大きな理由だ。