異世界のお城というのは、石造りで、見るだけで圧倒されるものだと思っていた。
「か、かわいい。可愛すぎる!」
ピンクの外装をした、まるでお菓子の家のような建物に、莉子は大喜びである。
入口の扉には、たくさんの花の装飾が施され、それぞれが綺麗に彩色されていた。
そういえば、小屋の中に置いてあった傘も、ピンク色だった。
この世界の人は、可愛い色が好きなのだろうか。
ふとそう思ったが、隣に立つ草平が、なるべく地味な色の傘を選んでいたから、人にもよるのかもしれない。
扉の横に立っている、2本足で立つ蜥蜴に似た生き物も、ピンク色とは無縁そうな様子だった。
「おう、ソウ。ご苦労様」
軽く手を上げると、蜥蜴に似た生き物は、草平に向かってそう呼びかけてくる。
「ソウ?」
「あ、俺の名前。秋野草平は、人間の世界での便宜上の名前だよ」
それもそうか、と莉子は納得する。
いくらなんでも、異世界で日本の名前ということはありえないだろう。
ありえないといえば。
「ああ、そうだ。秋野くん、これ、ありがとうね」
莉子は、胸から下がっているペンダントを指す。
どうやらこれは、こっちとあっちの世界の言葉を翻訳するものらしい。
莉子が困らないようにと、小屋の中で渡してくれたのだ。
草平は小難しい言葉を使って仕組みを説明してくれたが、莉子にはさっぱりわからなかった。
「俺にはもう必要ないから」
そう言った草平は、このペンダントを利用しながら、先に異世界へ行っている仲間たちから、日本語を教わったのだという。
莉子相手に話す言葉は日本語だが、確かに違和感はない。
「英語の授業で使えないかな」
そう呟いた莉子だが、あくまでこっちとあっちの言葉を繋ぐものなので、日本語とどこかの国の言葉を自由に翻訳するというのは無理だと草平に言われてしまう。がっかりする莉子に、ちゃんと勉強して言葉を覚えないと、大事なことが伝えられなくなるよと草平は笑いかけた。
「真面目にやれってことだよね」
「そういうことだよ」
ぼーっとしているようだが、意外にしっかりしているのかもしれない。
それに、今の方が人間の姿よりも数倍かっこよく見えている。
ふかふかして柔らかそうなのも莉子的には好感度が高い。
「あー、ソウ。お取り込み中のところ悪いんだけど。呼ばれて来たんだよな」
控えめにそう聞かれ、二人は自分たちがお城の前にいたことを思い出した。
咳払いをひとつして、草平が真剣な顔をする。
「そうだ。また、王様達が喧嘩したんだろ」
「そうなんだよ。すぐ仲直りするかと思ったんだけど、長引いちまってよ。王妃様が部屋に籠もったまま出てこない。おかげでこの有様さ」
彼は空を仰ぐと、大袈裟に肩を竦めてみせた。
「いつものこととはいえ、そろそろ雨が止まないと、作物に影響が出そうだ」
「わかった。王妃様のところに行ってみるよ」
「頼むぜ。こうなったら、ソウ以外は誰も部屋に入れないからな。ところで」
そこで彼は言葉をきり、莉子の方を見た。
大きな目が動いて、上から下まで眺めると、意味ありげに笑う。
「こっちの子は? もしかして彼女か?」
「え! 違います。今日までほとんど話したこともないし!」
「……そんなに思い切り否定しなくても……」
大慌てで両手まで振り回した莉子だが、その隣ではがっくりと草平が肩を落としていた。
「なんだ、つまんねえ。で、なんで一緒なんだよ」
「なりゆきだよ」
草平がかいつまんで事情を話すと、彼は大笑いする。
「あいかわらず押しに弱いんだなあ。ほいほい連れてきちまってどうするんだよ」
「あ、あの。やっぱりお城っていうくらいだから、私が入ったらまずいですよね」
草平は大丈夫と言ったが、やはりここはピンク色をしていてもお城だ。
見ず知らずの人間をすんなり入れる方がおかしい。
だが、門番であるにもかかわらず、蜥蜴に似た彼は、やる気がなさそうに肩を竦めると、首を振った。
「いーや、全然。誰でも入って良いし、誰でも王様たちに会ってもいいことになっている」
この世界は、セキュリティには厳しくないのだろうか。
莉子の世界では、えらい人に、アポなしで簡単に会うことは出来ない。上下関係や仕組みがどうなっているのかわからないが、そういう部分は適当なのか、何か特別な警護をされているのか。
わからなかったが、一応は気をつけて行動した方がいいかもしれない。
何がダメで、何が大丈夫なのか、莉子の常識ではわからないのだから。
「それに、ソウの連れなら構わないよ。あんたが危険人物だったら、いくらなんでもソウだってここへは連れてこないから」
「ありがとうございます」
今は、彼らの言うことを信じてみようと思う。
悪い人にも見えないわけだし。
「あ、私は莉子です。よろしく」
「オレはルーク。よろしくな。前にあっちの世界で修行してたんだ。懐かしいなあ」
草平の言っていたように、この世界の住人は莉子たちの世界に本当に修行に行っているらしい。
莉子の世界には、そんなにたくさん魔物がいるのだろうか。
その方が心配になってきた莉子だった。
王妃様の部屋まで来ると、そこには人がいた。
年の頃ならば20歳半ば、金色の髪に青い瞳。甘いマスクに豪華な服。
物語に出てくる王子様のような男性だ。
だが、普通に立っていれば、そこら辺の女性が黄色い声を上げて近づきそうなのに、その男性は、扉に縋り付き、中に向かって何事か言っている。
「お願いだから、開けてくれ。君が顔を見せてくれないと、私の心が張り裂けてしまうよ」
容姿を裏切らない美声だったが、言っていることは少し寒いかもしれないと莉子は思う。
あれは誰なのか聞こうと思い草平の方を向くが、そこには溜息をつきながら目を伏せる彼がいた。
「……王様……」
草平の呆れたような声に、莉子は思わず「えー!」と叫んでしまった。
そのせいで、“王様"がこちらを振り向いてしまう。
しまったと思った時にはもう遅い。
こちらを見た“王様"は、花でも咲いたような華やかな笑顔を二人に向けた。
「おや、ソウ。よく来てくれたね。待っていたんだよ」
揉み手をしながら近づいてくる“王様"は、庶民的な仕種にもかかわらず、やはりきらきらと爽やかな雰囲気を醸し出していた。
「我が后が、いつものように部屋に籠もってしまってね」
物憂げに溜息をついたとたん、莉子には辺りがほんの少し暗くなったように見えた。王様のきらきら具体も、少し霞んでいる。
おまけに、潤んだ青い瞳を見ていたら、大丈夫です!と慰めたくなってきてしまうから不思議だ。
異世界の王様だし、何か怪しげなオーラでも出ているのかもしれない。
「今回は何をやらかしたんですか」
ソウの方は冷静だ。
王様の悲しげな眼差しにも動じることもない。
「うん、まあ、ちょっとね、后に服を贈ったんだが、それが気に入らなかったようで…」
王様は大袈裟に肩を竦め、瞳を閉じた。
いちいち絵になっているうえに、やはりきらきらとしている。
それにしても、プレゼントが気に入らなかっただけで喧嘩とは不思議だなと莉子は思う。
よほどセンスがないのか、服の趣味が合わないのか。あるいは、服というのはきっかけだっただけなのかもしれない。
草平もそう考えたのか、王様に向かった何か言おうと口を開いた。
けれども、「服が…」とまだ呟いていた王様は、ふと気が付いたように、草平の隣に立つ莉子へと視線を向けた。
そのまま、草平が何か言うよりも先に言葉を発する。
「ところで、こちらのお嬢さんは? 君の彼女かい?」
「え? 違います」
今度は草平の方が慌てたように否定した。
さっき、思い切り否定したことを覚えているのかもしれない。傷ついたような顔をしていたから、莉子としてはちょっと気になっていたのだ。
「そうなのかい? ソウが女の子と一緒のところなんて初めてみたから、誤解してしまったよ」
「俺は王様と違って、女性にはもてませんから」
悲しそうに目を伏せた草平は、本当にしょんぼりとしていて、莉子は知らん顔が出来なくなってしまう。
「そんなことないんじゃない? こっちの世界の秋野くんは、かっこいいと思うけれど」
「え?」
予想外、とでもいいたげに、草平は目を丸くした。
それほど驚くことなのだろうか。
見た目は凛々しい感じだし、人当たりもよい草平である。無理矢理ついてきた莉子に文句も言わず、気遣ってくれもした。
なによりも、草平の毛は気持ちよさそうだ。あのふわふわの毛に触りたいという女の子や子供は多いのではないだろうか。もてるのとは少し違うかもしれないが。
「私は、今の秋野くん、結構好きだよ」
「え、その、ありがとう」
「あー、ここに私がいるということを、一応思い出してほしいのだが」
なにやら良い雰囲気になった二人を邪魔するように、王様が大袈裟に咳払いをした。
莉子と草平が慌てたように視線を逸らすのを確認してから、王様はにっこりと笑った。
「ふむ。見たところ、君はあちらの世界の人間だね」
「あ、はい。お取り込みのところ、お邪魔して申し訳ありません」
「とんでもない。あちらの世界からの客は、大歓迎だよ。いつもだったら、一番喜ぶのは后なんだが、ちょっと事情があってね、部屋に籠もってしまっているんだ」
それでソウを呼んだのだと、王様は説明した。
「毎回迷惑をかけているとは思うのだが、后は君のことが大のお気に入りだからね。ソウ、なんとか部屋に籠もるのだけはやめさせてもらえないだろうか」
「俺としては不本意なんですが」
「私としては、毎回頑張っているつもりなのだが、どうもうまくいかなくてね」
軽く目を伏せて、しおらしくうなだれる王様だが、草平は容赦ない。
「一応、俺は修行中の身なんですからね。毎回言っていますが、怒らせているのは王様なんですから、自重してください」
「わかっているよ」
一介の兵士だといっていていたが、王様よりも草平の方が、今は立場が強いようだ。
女性の押しには弱いが、男性は例外らしい。
「ところで、客人。君が着ているのは、もしかして“セーラー服"というものかい?」
「え、あ、はい」
思わず答えてしまったが、何故王様がセーラー服について知っているのかは、怖くて聞けなかった。
大方、莉子の世界に修行に来た誰かが教えたのだろうとは思うのだが。
「可憐だ。なんて清楚で美しいんだ」
王様のきらきら度が上がった。
恐らく、可憐で清楚で美しいのは制服のことで、莉子のことではないのだろうが、そのきらきらした瞳で見られると、いたたまれない気持ちになってしまう。
助けを求めて草平を見ると、王様の横で、莉子に向かってゴメンと言うように両手を合わせていた。
「裾の短さもなかなかいい」
王様は、いたくセーラー服が気に入ったようだが、莉子にしてみれば、スカートの裾のあたりをじろじろ見られるのははずかしい。
もちろん、王様は莉子の足ではなく、スカートだけを見ているのだとわかっているが、それはそれで複雑ではある。
小屋の中で乾いた制服に着替えずに、草平から何か服を借りた方がよかったのかもしれない。
「それを譲ってもらうというわけにはいかないかな」
しかも、王様は爆弾発言をした。
「無理です! というか、どうしてこんなもの欲しがるんですか!」
「我が后に似合うと思うのだよ。そうか。譲ってもらえないのならば、作ってしまうかな」
作る、という言葉に文字通り莉子は固まった。
確かに、王様というくらいだから、そのくらいのことは出来るのかもしれない。
経済とか、文化水準とかがどうなっているのかはわからないが、王様といえば、おそらくえらい人の部類に入るのだろうから。
彼の命令ならば、それが異世界のセーラー服だったとしても、作る人間はいるに違いない。
まあ、地位がなくても、あの王様なら自ら手縫いで作ってしまいそうであるが。
「胸元はもう少し開いていた方がいいかな。いやいや、やはりここは見えそうで見えないというあたりが……」
王様の妄想は止まらない。
「あのー」
莉子が声を掛けても、返事はなかった。
どうやら、すでに王様は自分の世界に入ってしまっているらしい。
何を言っても聞いていないようだ。
「そうと決まれば、早速仕立屋を呼ばなければ」
うきうきと、王様は廊下を走って行ってしまった。
莉子は呆然と見送ったのだが、いつもの光景なのか、草平の方は「まったくあの人は……」と呟いただけだった。