「入ろうか」
「そうだね」
疲れた顔で頷き会ったあと、草平が扉をノックした。
「……聞こえていたぞ。ソウだろう。よければ、客人も入られよ」
綺麗な声が扉越しに聞こえ、ソウはゆっくりと扉を開いた。
扉の向こうは、豪華絢爛というよりはどこか可愛らしい内装で、全体的にピンク色をしていた。
中央に置かれたソファーも淡い桃色で、そこに女性が座っている。
短い黒髪に、藍色の瞳。余計な肉など付いていないすらりとした体には、白を基調としたスーツに似た服を身につけていた。
さきほど会った王様もかなりの美形だったが、王妃様は、さらにその上をいっている。見ているだけでくらくらしてしまい、莉子は思わず一歩下がってしまったくらいだ。
「良く来たな、ソウ。相変わらずふかふかの毛で何よりだ」
王妃様はとても嬉しそうだった。
椅子から立ち上がると、ソウに近づき、その毛に触れた。
やっていることは微妙だが、仕種は優雅で様になっている。
「そちらが、あちらの世界からの客人だな。ようこそ我が国へ。歓迎するぞ」
「あ、はい。突然お邪魔して申し訳ありません。私、時田莉子と言います」
王妃様に対してどんな挨拶を返していいのかわからず、結局莉子は深々と頭を下げることしか出来ない。
だが、王妃様は、莉子の礼儀作法はあまり気にしてはいないようだった。
「リコか。よい名前だ。リコ、ここは私の私室だ。堅苦しい礼儀など必要ないから、楽にしてくれ」
そう言いながら、王妃様はソウの毛を楽しそうにいじっている。草平はくすぐったそうにしているが、敢えて動かないところを見ると、これはいつものことなのかもしれない。
王妃様は、草平の毛に触るのが好きなのだろうか?
ふかふかしていて気持ちよさそうだから、触りたくなるのは莉子もわかる。
というより、莉子としては、堂々と触れる王妃様が羨ましいくらいだ。
「どうした、リコ。お前もさわりたいのか?」
莉子の視線に気が付いたのか、口元を綻ばせ、王妃様が尋ねてきた。
「はい!」
手まで上げて答えてしまってから、自分のした行動に恥ずかしくなり、莉子はあわあわと両手を振り回した。
「い、いえ。今のはなんでもないです!」
「そうか? 触りたそうな目をしていたぞ。いや、待て。おかしいな。お前は、ソウに触ったことはないのか? 恋人同士なのだろう?」
「ち、違いますよ! 今日初めて秋野くんの本当の姿を見たばかりなんです。触りたいとか、ふかふかしてみたいとか、そんなこと、ちっとも、全然思っていません!」
「……時田さん……思っているんなら、正直に言ってくれよ。俺は別に触られるのは平気だから。きらきらした変に期待するような目で見られる方が居心地悪い」
そんなに変な目をしていただろうか。
いや、見ていたかもしれない。
「王妃様以外、触っちゃダメなのかと思って」
莉子の言葉に反応して、首を振ったのは王妃様だった。
「別にそんな決まりはないぞ。私は触りたいから触っているだけだ。それにソウは私の乳母の孫だからな。小さい頃から知っているし、遠慮などする必要もない」
孫?と聞き返しそうになり、莉子はあわてて口を塞ぐ。
王妃様の見た目は、20歳前後というところだ。草平が本当のところはどのくらいの年齢なのかはわからないけれど、莉子よりも年下とは思えない。この世界の年齢の数え方や成長の仕方が、莉子達と違っていないとすれば、王妃様は見た目に反して、かなりの年齢だということになる。
が、もちろん、そんなことは聞けるはずもない。
後でこっそり草平に確かめてみようと思いながら、莉子は年齢のことを追求するのは止めておいた。
「それにしても、ソウの恋人ではないというのは残念だ。話も合いそうなのに」
「みなさん、どうして誤解するんでしょうか」
門番も、王様も、ごく普通にそう聞いてきた。女性連れでからかう意味もあったのかもしれないが、それにしてもまず最初に聞くことではない気がする。
「それはそうだ。ソウが女連れというのもめずらしいが、あちらの世界から異性を招くというのは、それなりの仲になった相手が殆どだからな」
「え、そうなんですか!?」
「そうでもなければ、来る理由もないだろう」
確かに、ここは異世界だ。
皆がそう言っているし、天候も違うし、間違いないだろう。
莉子だって、草平の行動を怪しまなければやってきたりしなかった。
観光のために訪れるなんてことは、絶対にないだろうから。
「まあ、いい。客人はもてなすのが決まりだ。ゆっくりしていくがいい」
「いえ、そんなにゆっくりは出来ないですよ。だいたい、俺が来たのだって、呼び出されたからで、用事が済んだら、急いで帰らないといけないんですからね」
草平が、和んできた場を乱すように、きつい口調で話し掛けてくる。
「王妃様。また王様と喧嘩したんでしょう」
「喧嘩ではないぞ。あやつが私に、フリルだの、裾の短いドレスを着せたがるから、ついこちらもムキになって、そういう服を持ってくるのなら、二度と口を聞かないと言っただけだ。それを部屋の前で大袈裟に泣き喚きおってからに。腹立たしい」
王妃が向けた視線の先には、ソファーに投げ出されたままの服があった。
淡いピンク色で、ふんだんにレースやフリルが使ってある。胸元についた大きなリボンが特徴的だ。
可愛らしくて、莉子は好きだと思ったが、確かに中性的な容姿の王妃様には合わない気がした。
「そういうものは嫌いだと何度も言っているのに、懲りない」
王妃様によると、この部屋にあるものも、王様が勝手にプレゼントしたものばかりなのだという。
どうりで、今目の前にいる王妃様のイメージと合わないはずだ。
「だいたい、私にひらひらしたモノが似合うと思うか?」
草平ではなく、莉子の方を向いた王妃様が眉間に皺を寄せたまま言う。
莉子は、ソファーの上のドレスと、王妃様を交互に見比べ、着替えた姿を想像してみた。
どちらかといえば、女性的というよりも美少年のような顔立ちの王妃様がひらひらドレスを着ると、女装しているようにしか見えないかもしれない。
「さすがに、私もちょっと似合わないと思います」
莉子の言葉に、王妃様は満足そうに頷いた。
「そうであろう。さすがにリコは女性だけあって、わかっているな。皆もそう思っているであろうに、あやつに気を遣ってはっきり似合わないと口にしない」
草平がバツが悪そうにそっぽを向いたから、彼も「似合わない」と言えない一人なのだろう。
「とにかく、仲直りしてください。いつまでも嵐では、農作物に影響も出ますし、夜が明けなければ、住人も困ります」
「嫌だ。私はまだ怒っている」
「だったら、もう俺は知りませんよ。毛を触るのも今日限りです」
「む、むむむ。それは嫌だ」
「……仲直り、していただけますか」
さっきまでとは違い、草平は妙に迫力があった。
王妃様相手に、一歩もひかないでいる。
結局、折れたのは王妃様の方だった。かなり葛藤はあったようだが。
「仕方ないな。ただし、条件がある。今後一切私にあんな服を贈らない。これをあやつが納得したのならば、会ってやってもいい」
それ以上、話すことはないとばかりに、王妃様はそっぽを向いてしまい、後はもう何を言っても説得には応じてくれなかった。
「というわけなんですよ、王様」
広い城の中、ようやく探し当てた王様は、草平が説明すると、うーむと唸った。
「わかっているんだよ。后が、私好みの服が嫌いだってことは。でも、后を見るとつい口から言葉が……」
「似合わない服を着る方が、変ですよ」
莉子が言うと、王様の肩がますますさがった。
「それもわかっているんだ。でも、着て貰いたいんだよ。男のろまんなんだよ」
莉子の目が、ちょっとだけ冷たくなる。
その視線に耐えられなかったのか、草平の無言の圧力に屈したのかはわからないが、王様は仕方ないなあと呟いた。
「わかった。后が条件をのんでくれさえすれば、今後一切、ああいう服は贈らないよ」
「本当ですね」
「もちろんだ」
「で、その条件とはなんですか?」
「一度だけ、私の贈った服を着て欲しい。そうしてくれれば、后の条件を聞こう」
王様の方も、それ以上の妥協点はないと言い切った。
難しいなあ、と草平が言ったから、莉子は気の毒そうに見上げる。
もし手伝えることがあるのなら、何かしてあげたいけれど、何も思いつかなかった。