「そうきたか」
呟いた王妃様の顔が怖い。
怒っているのだと、聞かなくてもわかってしまうから、王妃様の部屋にあるピンク色のソファーに座ったまま、莉子は居心地悪そうに縮こまっていた。
隣にいる草平も、ソファーの座り心地が悪いのか、王妃様の視線が怖いのか、さっきからもぞもぞしている。
「交換条件として出すほどに、私に対して嫌がらせをしたいというわけだな」
王妃様はそう言うが、王様は別に嫌がらせのつもりはないのだろう。
王様のひらひら好きには共感できないが、そこまで言われるのは可哀想だなと莉子は少しだけ同情した。
「あやつだって、私が作った菓子は一切食べないのだぞ。自分だけ、我が儘を通すなど許せないだろう」
草平は、そうですね、と適当な相づちを返したが、莉子の方はその意外な言葉に思わず身を乗り出した。
「王様、甘いモノがダメなんですか?」
「そうだ。あいつは辛いものばかり食している」
趣味があれだから、王様は甘いお菓子も好きなのか思っていたが、そうでもないらしい。
王妃様によると、莉子達の世界にある唐辛子系の食べ物が最近のお気に入りで、あちらに行った者たちから届けてもらっているのだそうだ。
草平も何度か、日本のコンビニに売っているピリ辛系の食べ物を王様のために購入したことがあるらしい。
「そういえば、前回の喧嘩の原因って、王妃様のお菓子を食べられないというところから始まったんでしたね」
その時のことを思い出したのか、草平が遠い目をした。
「意地になって食べさせようとするから、王様が拗ねて大変だったんだよ」
草平の説明に、莉子はちらりと王妃様の顔を見た。
王妃様たちは性格は違うと思っていたが、案外似たもの同士なのかもしれない。
莉子から見れば、二人とも互いに意地を張り合っているようにしか思えないからだ。
そうならば、二人に振り回される草平たちが気の毒ではあったが、恐らく誰かが間に入らなければ互いが素直になれずに、仲直りも中々出来ないのだろう。
少なくとも、今の状況では二人が仲直りするには時間もかかりそうだ。
関わった以上、莉子も二人が喧嘩をしたままであっちの世界に帰るわけにはいかない。
「だったら、王妃様も、王様に、交換条件を付ければいいんじゃないでしょうか。例えば、お菓子を食べてもらうとか」
草平を助けるために言った言葉で、それほど深く考えていたわけではないが、その瞬間王妃様の目がきらりと光った。
「なるほど。そういう手もあったな」
「ち、ちょうど、この次期に、私の世界では、バレンタイン・デーというものがあるんですよ」
王妃様が興味を示したので、女の子が好きな人にチョコをあげる日があるのだと教える。実は義理チョコもあるのだとか、最近では自分チョコだとか、友チョコとかもあり、必ずしも異性だけにあげるわけではないということは、とりあえず伏せておいた。
話がややこしくなりそうだったからだ。
「ふむ。草平は知っていたか?」
「知っていますけど。俺には関係ない行事だったし」
「なんだ、もらったことがないのか」
どこか残念そうに王妃様がいい、草平は拗ねた。
「莉子。それは夫婦間でもありなのか?」
「もちろんです。一応、もらったら、礼儀として嫌いでも一口くらいは食べてるんじゃないかな」
実際どうかはわからない。莉子も渡したことがあるが、一応その時はちゃんと食べてくれて、お返しももらった。その他大勢のうちの一人であったけれど。
他の子も、よほどのことがないかぎり受け取ってもらったと言っていたから、大体の男の子たちは、チョコがどうしても食べれられないということがなければ、素直にもらってくれるのだろう。実際は見ていないので、親姉妹が食べていないとはいえないけれど、大袈裟に言っておいた方が、今は良いような気がした。
王妃様は素直に信じたようだし。
「いい行事だな、こちらで広めても面白いかもしれない」
言葉とは裏腹に、王妃様の顔はとてもチョコを渡す女性のものではなかった。
黒いオーラが背中越しに見えているような気もする。
「よし。そのばれんたいん・でーというものに肖って、私もあやつに、要求をつきつけてやろう。どんな反応を示すか、楽しみだな」
くくく、とお姫様を落としいれる魔法使いのように王妃様が笑った。
普通の人がやれば嫌味な感じだが、さすが美女は違う。悪女の笑みも絵になっている。
「でも、王様がその要求を飲むでしょうか?」
提案してみたものの、王様だって、そこまで嫌いなモノをひらひらの服のために食べるとは思えない。
「いや、やつは食べるだろう」
だが、王妃様は自信たっぷりだ。
「あちらが提案をひっこめれは、私がやつと口を聞かないとわかっているからな。それに、覚悟を決めて私の菓子を食べるのならば、ヤツの言うことを一度だけ聞いてやろうと言っているんだ。食いつかないはずがない」
王妃様はやる気になったようだ。しかも、機嫌まで直っている。
「よし、私の愛をたっぷりと込めて、素晴らしい菓子を作ってやろう。これまで食べてもらえなかった分も含めてな」
今までのことがよほど悔しかったのだろうか。王妃様の機嫌はどんどんよくなっていく。
最初見たときは、あまりに綺麗すぎるから、少し取っつきにくい人かとも思ったが、可愛いかもしれないと、莉子は思った。
年は莉子よりも上だが、構ってあげて、助けてあげたくなる。
隣で、苦笑しながらも優しい目で王妃様を見ている草平も、もしかするとそうなのかもしれない。
王妃様から漂っているのは、どこか不穏なオーラだったが、それさえも可愛らしく感じる何かがあった。たぶん、綺麗だというだけではない。
「王妃様。私も強力します。だって、好きな女の子からのチョコを断るなんて、言語同断だし」
「そうか? 私も、莉子の意見に同意するぞ。好いた女からのチョコを断るなど、男としてありえないな」
「その理屈、おかしくないか?」
草平の控えめな言葉は、思い切り無視された。
「王妃様、頑張って、めちゃくちゃ甘いお菓子を作りましょう。私、味見でもなんでもやりますから」
「そうだな。奴が持ってくるひらひらの服も驚くくらいの、甘いお菓子を作ってやろう」
盛り上がる女性陣を前に、草平は苦笑するしかなかった。
結局、王妃様と王様は互いの要求を受け入れた。
莉子も手伝って王妃様はとびきり甘いお菓子を作り、王様はソファーに投げてあった服よりももっとひらひらしたものを手にしている。
心なしか、互いの顔が青ざめていたような気がしたが、莉子と草平は知らないふりをした。
下手に口を出すべきではないと、本能で悟ったのだ。
服を着た姿を見られたくないという王妃様の意見を汲み、奥の部屋に消えていく二人を見届けてから、草平は隣に立つ小柄なクラスメートを見た。
「うまくいくと思う?」
「どうかなあ」
あの二人は文句をいいながらも、実は仲がいい。
互いに意地っ張りだから、一度喧嘩をすると仲直りが出来ないが、それもきっかけさえあれば大丈夫だ。
莉子もそう思ったのか、心配ないよと笑ってみせてから、草平の手を突いた。
「何? どうしたの?」
まだ何かあるのかと思って尋ねたら、手が差し出された。
「はい、どうぞ」
「え?」
開いた手の平には、ハート型のクッキーが乗っている。
「チョコよりもクッキーが好きだって王妃様に聞いたから」
他にも、お菓子を作りながら、いろいろなことを教えてもらったのだと言う。
お日さまを浴びた後の草平の毛触りが最高なのだとか、実は犬が嫌いなのだとか、ぼーっとしているから姿はよいのに、意外にもてないとか。
「甘いのも苦手だってことだから、甘さ控えめになってるし」
「ありがとう」
女の子から贈り物などもらったことがない草平は、大きなハート型クッキーを見て照れた。
赤くなってもいたのだが、それは体毛に隠れて莉子には見えないだろう。
気が付くと、いつの間にか、窓の外から日の光が差し込んでいる。
「仲直り、出来たみたいだね」
莉子が、眩しげに目を細めた。
そんな姿がちょっとだけ可愛いらしく見えてしまって、ドキドキしてしまう。
ピンク色の部屋は、相変わらず居心地が悪かったが、たまにはこういうのもも悪くないかなと、もらったクッキーをかじりながら草平は思った。